第6話

「正直に言うけど、他に好きな男が出来たわけじゃないわ」

僕はウィスキーソーダを一口飲んで、素直に「信じるよ」と伝えた。疲れてはいたが、彼女に対して冷酷になれるほどではなかった。彼女は安心したようにため息をついた。

「住む部屋は決めてあるんだけどね。当面は独り暮らしよ。契約も済んでる。入居は来月から」

僕はキッチンのカレンダーをチェックした。

「来週だね。話が早い」

「今日は友達のお世話になる予定だけど、明日以降は何も決まってない。ホテルにでも泊まろうかと思ってるんだけど」

「金がもったいない。ここに泊まればいい。僕はソファで眠るよ」

「ありがとう。でも私がソファで眠るわ」

「好きにしたらいい。さすがに食事の準備までは期待しないで欲しいけど」

「仕方ないわね」

と彼女は笑った。

「ところで、しばらくの間は今まで通りに家賃の半額は払おうと思ってるんだけどいいかしら?」

「もちろん。助かるよ。どのくらい払い続けるんだろう?」

彼女は肩をすくめた。

「私の気が済むまで、かな。ところで、」

彼女の声が固くなった。

「慰謝料とか請求するつもりある?」

「慰謝料?」

「そう」

「さあね。考えてもみなかったな。少なくとも今日は」

彼女は水を一口飲んだ。

「あなたには、請求する権利があるかもしれない」

僕はウィスキーを一口含んで考えた。

「何だかバカバカしい気がするな。君に慰謝料を請求するなんて。仮に・・・」

「仮に?」

「他の男と寝てたとしても」

彼女は少しむっとしたようだった。

「私が他の男と寝てても関係ないってこと?」

「そうじゃないよ。君がほかの男と寝てたりしたら、死ぬほど傷ついただろうね」

「だったら、どうして慰謝料を請求しないわけ?」

「うーん、君が離婚を決意したその直接的な原因が、ほかの男と寝たことだろうが、それ以外の原因であろうが、本質的な違いではない、ということかな」

「どういうことだろう?」

「例えば君が何らかの哲学的あるいは政治的な理由で離婚を決意したとして、君から慰謝料を取ろうとは思わない。同じ理由で、ほかの男と浮気したからといって君から慰謝料を取ろうとは思わないよ」

「ふーん」

「それに僕にだって安定した収入がある。慰謝料をあてにする必要はないからね」

彼女は立ち上がり、冷蔵庫から缶ビールを取り出して栓を開けて一口飲んだ。

「分からないでもないわ」

「それはよかった」

後は公共料金の支払いや、これまで二人で貯めて来たお金の分配、それから共同で使っていた家具の扱いについて大枠で合意をし、事務的な話を終えた。彼女は6時過ぎにあっさりと家を出て行った。僕はジャズが優しく響くダイニングルームに一人残された。

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