第5話
池袋の雑踏をひたすら歩いた疲れが、僕を冷静に、あるいは無感覚にさせたようだ。家では妻(かつての妻だ)がダイニングテーブルに腰かけていて、その事実を僕は素直に受け止めた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「悪いけど夕食の準備はしてないよ」
彼女は頭を振った。
「いいのよ。これからどこかで食べてくるつもり」
「夜はどうするの?つまり、今夜はどこで寝るつもり?」
「友だちのところに泊まろうかと思ってる」
思わず胸がつかえて、言葉が出なくなった。
「女の子よ。学生時代からの親友」
僕は人を疑うのが苦手だし、女の子は一般にウソをつかなくても「ほんとう」を隠すことが出来る。でも、少なくとも、彼女が「女の子の家に泊まろうと思っている」ことは間違いはないと僕は信じた。これがウソだとすれば、僕の抱いている彼女のイメージが崩壊する。離婚を切り出されても崩れなかったそのイメージですらも。そうなれば会話も調整も不可能だ。
「今日はいいとして、明日はどうするの?」
「まあ、着替えて座ったら?私たち、いろいろ話すべきことがあるような気がするの」
「どうだろう」と僕は答えて寝室に引っこみ、言われた通りに部屋着に着替えた。
「何か飲む?」
「ありがとう。自分で作るよ」
僕はウィスキーをグラスに1/3ほど注いで、同量の炭酸水で割った。氷は入れない主義だ。インターネットのラジオを起動してチャンネルを60年代ジャズに合わせ、スピーカーの電源を入れた。
「さて、と」
と彼女が言った。
「聞きたいことはある?どうして離婚を決意したか?とか」
「まだ聞きたくないね。ゆっくりとショックを吸収してるところだ。今は刺戟が強すぎる」
彼女は笑った。
「笑うところじゃないよ」
「ごめんね。あなたらしいと思って。じゃあ、私から話すわ。主に実務的な話だけど」
「実務的な話は嫌いじゃないね。課題を洗い出してTODOにして、一つずつ潰していこう」
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