3
相談したいことがある。立ち話もなんだから、どこかに寄って少し話がしたい。
小日向陽介は名のったあと、そう女占い師に切り出した。
女占い師は少しだけ思案したのち了承したが、すぐ近くの店に入りなおそうとしたので陽介はあわてて引き止めた。自分が痛めつけた悪漢が二人、怨嗟の炎を目に燃やしながら目と鼻の先で転がっているというのに、内心どういう神経をした女なのかと思ってしまった。
「ちょっとここでは落ち着かないかな」
明らかに怯えながら陽介がそう言うと、その理由を察した女占い師は涼しい顔をして言った。
「あの男たちならもう大丈夫よ」
はなはだ根拠に乏しいと思われるその言葉をとても信じることができずに、陽介は食い下がった。
すると女占い師は「久しぶりに海を眺めながらのんびり帰るつもりだったけど、しかたないわね」と言って、ひとつ隣のJR大船駅に移動することを提案してきた。
そこは普段利用する駅でも路線でもなかったが、陽介は喜んで承諾した。
二人は大船駅からほど近い和食喫茶で話をすることにしたのだった。
女占い師は席に着くなり、窓の外に顔を向けた。
「きみ、強いんだね。さっきの素手だったでしょ。合気道かなにか?」
女占い師は答えなかった。
「いにしえの中国拳法だったりして。あはは、あは……」
陽介はつまらない冗談を言ったことに後悔しながら咳払いをした。
所在なげに窓の外に目を向けると、この世のなにものも見ていないような遠い目をした女占い師の顔が映っているのが見えた。
むしろまるで、彼女自身がこの世に存在していないかのような、浮世離れした雰囲気であった。
年の頃は二十代半ばであろうが、顔の造りが幼いのか、よくよく見るともっとずっと若いようにも見える。しかし逆に、その物腰は二十代のそれではなく、貫禄じみたなにかがある。その雰囲気が見た目よりも印象年齢を引き上げているようだ。
陽介は間を持たせることができず、いかにして本題に入るか口火を切りあぐねていた。
すると唐突に女占い師の方から口を開いた。
「街でわたしが声をかけた人ね」
とりあえず陽介は会話をつなごうとした。
「よく憶えていたね。たしか一年も前のことだと思うけど」
「憶えていないわ。ただ、わたしは占い師とは名乗らないから」
陽介がその言葉の意味を理解する前に、女占い師は続けた。「そう勘違いする人がいるとすれば、わたしが街で声をかけた人だろうから」
わかったような、わからないような、陽介は独特のペースで話す人だなと思った。
「そう……なんだ?」
「綾幻」
「え、なに?」
「綾幻。わたしの名前」
「あ、ああ。りょうげんっていうんだ。めずらしい名前だね」
言ってから思う。本名のはずがない。職業上の通り名だろう。
「幻術士 綾幻。生業は除霊屋。以前そう名乗っているはずよ」
「あ、ああ……そうかもしれない」
「あてもないのに、よくわたしを見つけたわね」
なんともマイペースな話し運びだった。
「いや、あてはあったよ」
女占い師、綾幻は陽介に顔を向けた。
「きみ、そうやって人ごみが眺められる場所が好きって言っていたろ。あのコーヒーショップを中心に、人通りに面した窓のある、ファミレスやファーストフード店を探してた」
綾幻は窓の外に視線を戻すと、つぶやいた。
「わたしが力になれる人を探しているの。好きなわけじゃないわ」
「ああ、そう……」
「何日、わたしを探したの?」
「通勤のついでだったから、実質三日目かな」
わずかではあるが、綾幻の口元がほころんだように見えた。
「あなた、わたしと縁があるわ」
「え?」
「わたしがこの街に戻ったのは先日よ。四か月ぶりにね。またひと月もしないうちに出てゆくでしょう」
なるほど、普段は全国を飛び回っているのだろう。綾幻が先刻「久しぶりに海を眺めながら」と言ったのは、単にルートの問題ではなさそうだ。
「出張、いや旅行かな?」
綾幻はそれには答えず、言った。
「その後、どう?」
「え?」
「わたしが必要だから、わたしに会いにきたんでしょう。左手を出して」
「左手?」
陽介はわけもわからぬまま言いなりに左手を差し出した。
綾幻は陽介の左手を取ると、自らの指をからめてきた。
「え、あ、なに?」
陽介はどぎまぎしたが、それは恋人同士がするような指のからめ方ではなかった。
綾幻は陽介の左手の薬指、第一間接のやや下辺りを自らの人差し指と中指にはさみ、その中指で陽介の薬指を巻き込んだ。
さらに、右手はその中指を人差し指にからめ、ちょうど欧米人が指でやる十字架のサインと同じ形を作り、その上で親指の先を薬指の第一関節と第二関節の間に当てた。
若く美しい女性に突然手を取られ、身体的には興奮状態であるのだが、綾幻のひんやりとした手は不思議と陽介の心に安心感をもたらした。
しばらく綾幻は沈黙し、そして言った。
「最近車の運転が怖くない? そう声をかけたのね」
約一年前、綾幻から最初にかけられた第一声は、確かにそれだったような記憶がある。
その日は所用があって帰宅途中に藤沢駅で下車し、用件を済ませたあと件のコーヒーショップに立ち寄ったのだった。
一息ついて帰路に着こうとショップを出たとき、ゆっくりと後を追うように出てきた綾幻が、後ろから声をかけてきたのだ。
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