Stage 5-2
「それにしても、驚いたわね。まさか、伝説の天女が現れるなんて。でも、どうして突然……?」
「おそらく、楓さんの横笛が天女を呼んだのではないでしょうか? その横笛には特殊な力が備わってるように感じます」
宝天の言う通り、千夏と広人以外の各人の持つ大切な物には、氷高内親王がかけた神聖な術が施されている。
「けど、天女が何を言おうとしてたかわからずじまいだったな。あいつ、音もなく現れやがって! もっと早く気付いてれば、あたしの矢で倒せたのに」
千夏は地団駄を踏んで悔しがった。千夏の弓矢は女性が扱えるような小型の仕様で、大弓に比べると威力は落ちるが、素早く連射できるのが強みなのだ。だが、妖魔は何の前触れもなく浜辺に姿を現した。まるで、空間から切り取られたように登場し、目にも留まらぬ早業で天女の胴体を血に染まったような手で切り裂いたのだった。
羽衣を受け取った浜奈は、風で飛ばされないよう厳重に首元に巻きつけた。肌触りはすべすべしていて何とも心地よい。体が軽くなった気がする。
「もしかして、この羽衣を身に付けてると天に昇っていけるのかなぁ」
「まさか! 天女がくれたからって同じ羽衣とは限らないじゃない」
楓は懐疑的だったが、浜奈は期待を込めて意識して軽く飛んでみたが、自然の法則に従って再び同じ地面につま先が着地しただけだった。
「ほらね?」
「うーん。でも、天女はこの羽衣が私を助けてくれるって言ってたよ。私が強い意思を持った時、何かが起きるんだと思うけど……」
やはり飛ぶことができるようになるのだろうか。しかし、天女は消えてしまい、二度と続きの言葉を聞くことができないのだから、あれこれ考えても仕方がなかった。
「ああ、あの天女、めっちゃ綺麗だったな。一度でいいからあんな女を側に侍らせてみたいよ」
軽率な、しかし素直な願望を口にしたのは広人だった。天女の登場に動揺してしまったが、ちゃっかり頭の先からつま先まで眺めることを忘れなかったのは、我ながら上出来だと思っていた。肌の色は透き通るように白く、ほどよくふっくらした頬は桜色に染まり、漆黒の瞳は大きく、たおやかな体つきは繊細な薄絹に覆われて色気を放っていた。
「確かに、文字通りこの世のものとは思えない美しさだったな。どこか儚げで……」
「だろ? 抱いたら身も心も溶けちまうんじゃないか」
「天女だからな。どういう結果になっても後悔はしないんじゃないか?」
老が珍しくこういう話題に反応し、賛同の意を唱えると、後ろで聞いていた千夏が明らかに不機嫌そうに「ふーん」と呟いた。
「先生もああいう女が好みなんだな。色気があって儚げで」
「そりゃ、普通の男なら魅力を感じるだろ」
老はそう返事をしたが、本気で愛する対象になるかどうかはまた別問題だという考えまでは口にしなかった。それほど深刻な会話をしているつもりはなかったからだ。
千夏は面白くなさそうに、もう一度「ふーん」と呟くと、大股で進んで老の後ろから必登と葛城王の横に並んで歩き出した。
「ねぇねぇ、秋依もみんなと同じ意見?」
ひょこっと上半身を傾けて、浜奈が秋依の顔を覗き込んだので、秋依は狼狽した。
「えっ、あ、ああ、俺? まぁ、あの天女は綺麗だったよね! 俺はどっちかって言うと、儚げな女性よりも元気で明るい方が好みだけど……」
秋依の本心としては、たとえあの天女であっても浜奈と比べたら何の意味もなく、異性として記憶に残ったりはしない。いつも傾国の美女級の楓と並んでいるから目立たないが、浜奈だって相当な美人で、後宮の女官の中でも上位に入るだろう。もっとも、秋依が浜奈にぞっこんなのは、見た目だけの理由ではないのだが。
「そっかぁ。ほんと人それぞれだよね。私も明るい男の人が好きだな」
浜奈は笑顔を見せたが、その視線は相変わらず葛城王に注がれている。事実、葛城王は明朗な男なのだから、彼女の言葉に嘘はなかった。
さて、一行は東へ進んだ。海岸ぎりぎりに通っている官道がしばらく続き、特に由比の断崖沿いはちょっとでも波が高くなれば道がなくなってしまうようで、肝が冷えた。
三保から3刻ほどで田子の浦へ出た。富士川を渡るのは明日の朝だ。日が沈みかける前に辿り着けてよかった。富士の山はもっともっと大きく見え、荘厳な姿を惜しげもなく晒している。
「問題は寝泊まりする場所がないってことだね」
そう、この辺りは漁村で、官衙があるわけではない。粗末な掘っ立て小屋や竪穴住居がぽつぽつと存在するだけ。
「我々は大所帯だからなぁ。訊くまでもなく、どこにも泊めてもらう余地はないだろうな」
「ついに野宿か! あたしと広人に任せろ。そうそう、ここに来る途中に良さそうな洞窟があったぞ」
「マジか。じゃあ、別に問題ないな。よーし、海鮮汁でも作るか。秋依、お前は魚を釣ってきてくれ。野郎どもは竈作りな。まずは、荷物を洞窟に運んで、それから適当な石と薪集めだ」
張り切りだした広人はテキパキと指示をしていく。こうなれば、野宿初心者たちは素直に従うほかない。洞窟は奥まで適度な幅で続いており、途中で三叉路に分かれていた。中央はすぐに水たまりになっていたので使えないが、両脇の道は布を敷けば十分に横になることができる。そう古くない焚き火の跡があるということは、ここが寝泊まりに使われていた証拠だ。
男たちが竈の用意をしている間、千夏は浜奈と楓と一緒に寝床を整えた。奥まった道なので、外の潮風に晒される心配はない。
「小さい焚き火を作ろう。このままじゃ、ちょっと寒いからな。風も奥から外に向かって流れてるし、煙がこもることもないはず」
「千夏ってほんとにこういうこと慣れてるんだね~。すごいよ」
浜奈が幼馴染の力量に感心すると、楓はその技術が今は必要であることは認めつつも、やはり受け入れがたいと思った。
寝床の用意が終わると、浜奈たちは外に出て食事の準備を手伝うことにした。秋依は短時間で魚や貝や海藻を採ってきていた。
「塩気が十分に付いてるから、今回は切った材料を鍋に入れるだけ。これなら浜奈でも心配ない!」
と広人は自信を持って浜奈に調理を指示し任せたが、火力の調整がうまく出来ておらず、吹きこぼれて焦げた臭いが発生しているではないか。
傍にいた千夏が慌てて火を遮断して、適当な処置を施したため悲惨な結果にはならなかったものの、やはり浜奈と調理の相性はよろしくないようだ。しかも、干し飯がうまく煮戻されておらず、まだ固い。
「ま、まぁ、2回目だし! こういう失敗は誰にでもあるよ!」
秋依は必死に浜奈を慰めているが、浜奈は今にも泣きそうに眉を寄せていた。
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