Stage 4-2

「なんで倭建命が大事な剣を宮簀媛に預けて出掛けたか、あの本のお蔭でわかったな」

「ああ、草薙剣の力が地下に潜む神、つまり白虎を眠らせてしまうから。白虎が眠ってしまうと永遠に秘宝が手に入らない」

 見せてもらった文献には白虎とは書かれていなかったが、秘宝を守り地下に潜む神が白虎を指しているのは間違いない。

「てことは、俺の宝剣、熱田の宮に置いてきた方が良かったかな?」

 葛城王は昇り始めた朝日を眺めつつ、剣をくるくると回してみせた。

 熱田の宮を去った一行は、早朝、闇に紛れて宮簀媛の御墓に向かった。かつては周濠が複数巡らされていたらしいが、今では自然に埋まってしまって、巡回している墓守に出くわさなければ上まで登れる。

 御墓は後の時代に、断夫山古墳と呼ばれるようになる前方後円墳であり、長さは約50丈(約150メートル)の大きさだ。既に全体的に木で覆われているが、よく見ると円筒の埴輪の欠片が墓の斜面に落ちていたりする。

「大宮司には申し訳ないけど、俺たちの使命がここに眠ってるんだ。何としても侵入するぞ」

 必登は自分に言い聞かせるように断言した。まるで盗賊だな、と老は苦笑したが、なかなか快い緊張感を味わえて嫌ではない。それどころか、書物と木簡が自分の世界だと信じていた自分自身が、このにわか仕立ての遠征を楽しんでいることに驚いた。

 御墓は3段作りになっていて、葺石で覆われている。しかし、長年、風雨に晒されて多くの場所で崩れ落ちていた。

「気を付けて。俺の手に掴まっていいから」

 必登は後から一生懸命に登ってくる楓に手を差し伸べたが、楓がその手を取ることはなかった。男の助けを借りるのは恥だとでも言うように、涼しげな顔で楓は胸元の横笛を落とさないように時々押さえ、慎重に2段目に辿り着いた。

 方墳と円墳の間は谷のように少し窪んでいる。熱田の宮で見た地図の通り、谷間に立って円墳側を向くと内部への入口がすぐに見つかった。

「案外あっさり見つかるんだな。けど、どうやって開けるんだ? ていうか、何だこれ?」

 臆することなく入口に近付いた千夏が、その足元に見つけたのは整然と並べられた埴輪だった。埴輪は両手を胸の前で組んだ巫女が2体、琴を弾く男性と弓矢を背負う武人が1体ずつ、それから水鳥と鷹が3体ずつである。

「埴輪ね……。呪術がかかってるのかも。そういえば、大宮司が『見えない壁に阻まれて、石室の入口付近には近付けない』って言ってなかった? でも、意外と簡単に近付けたわよ、私たち」

「この埴輪の呪術が解除されてるのかもな、俺たちが持ってる何かの道具によって。例えば、葛城の宝剣とか」

「そう、なのかな……」

 葛城王は試しに剣の切っ先を御墓の入口に向けてみたが、特になにも感じないし変わったことは起きなかった。それぞれの持ち物を取り出して掲げたりしても、やはり深々と冷え込む真冬の早朝に何の変化も加わらなかった。

「あーもう、近付けるならありがたくこじ開けて中に入っちまおうぜ!」

「あっ、おい、千夏! 勝手なことするな!」

 老の制止の声も虚しく、千夏は手にした短剣を入口と壁の間に突き立てた。否、刃が隙間に突き刺さる瞬間、バチッと火花のようなものが散ったと同時に千夏の体が文字通り吹き飛んだ。

「うわっ!」

 咄嗟に必登が一歩踏み込んで、千夏の胴体を後ろから抱きとめた。キャッという甲高い声を上げないところがどこまでも千夏だと妙に感心するくらいの余裕が必登にはあった。

「大丈夫かい?」

「あー、びっくりした。ありがとな、必登。やっぱ武官は頼りになるぜ!」

 千夏は均衡を取りつつ振り返ると、歯を見せて笑った。楓の北風のような態度とは大違いだ。世の中うまく行かないよなと、秋依と葛城王は互いに目配せして苦笑した。

「今の一体何だったんだろう? もしかして、これが大宮司の言ってた見えない壁なんじゃない? ちょっと離れたところ、たぶん埴輪が並んだ場所から外側までは進めるけど、それより内側になると跳ね返されるのかもね」

 浜奈は埴輪を一つ一つ眺め、それから視線を入口へ移した。

「でも、千夏は特殊具を持ってないわ。だから、ダメだったのかもしれない」

 そこで最も強力と考えられる宝剣を持つ葛城王が、埴輪の整列を踏み越えようとした。しかし、千夏の時と同じく、赤い光の発生と共に葛城王は見えない壁に跳ね返されてしまった。

「一応全員試してみるか」

 順番に入口に踏み込んでみたものの、結果は同じだった。

「埴輪を破壊したらどうかな?」

「秋依……お前、意外と軽くムチャクチャなこと言うよな。これ、秘宝を守る、たぶん第一段階の結界だぞ。何が起きるかわからないし、そもそも触れることすらできない気がする」

「必登の言う通りだ。うっかり壊して呪われたりしたらそれこそシャレにならない。これ以上、呪われるのは勘弁してもらいたいよ」

 最後の言葉は小声だったが、老の心の中を大いに物語っており、それに気付かないのは老限定の呪いの元凶である千夏だけであった。

 埴輪をじっと見詰めていた秋依は、不意に脳裏に『異伝東征古譚』の一頁を思い出した。何か重大なことが書かれていたような気がする。

 そうか、順番が違うんだ――。

「悪い悪い。埴輪を壊すのは冗談だけどさ、倭建命がここの秘宝を手に入れたのって、一番最後だよね。東国に向かう場合、最初に入手できるはずなのにそうしてないってことは、倭建命も俺たちと同じようにこの入口に阻まれて侵入できなかったって考えるべきじゃないかな?」

 秋依の記憶が正しければ、進路はこの御墓から始まるが、白虎の秘宝は最後に書かれていた。しかし、その理由や見えない壁を取り除く方法までは書かれていなかった。と言うよりも、紙の一部が欠けていてわからないのだ。

 秋依が荷物の中から取り出した文献の写しを皆が覗き込んだ。

 ともかく、誰が近付いても無駄だということが判明した以上、この御墓に留まる理由はない。

「朝日が登ったら墓守に見つかってしまうわよ」

 楓の冷静な声で、皆がここを去るべきだと暗黙のうちに合意した。彼女の言う通り、東の空はゆっくりと光を詰めた箱が開くように、茜色の真っ直ぐな輝きが零れ始めていた。

 まだ、旅は最初の1頁を開いたばかりだ。

 最後尾の葛城王が御墓の斜面を下りきってしまうと、先程まで若者たちが歩き回っていた空間がゆらりと歪んだ。靄と言うには透明すぎる。整然と並べられた埴輪の頭上が際立って揺れている。

 そしてその空間は次第に人の形に作られていき、最後にはくっきりとした輪郭を持つ人が現れた。

「どう思う、あの若造たちを?」

 琴を演奏していた埴輪は、ニヤリと笑いながら2人の巫女たちに訊ねた。左の巫女と右の巫女はまるで双子であるかのように声を揃えて、感情のない返答をした。

「未熟。無力」

「相変わらず手厳しいな。でもね、倭建命よりもずっとずっとマシだと思うよ。彼らは一人きりじゃないから」

 琴の奏者は若者たちの姿が消えていった東の空の下を楽しげに見詰めた。本当は楽しんでいる時間などないのだが、あのでこぼこ感満載の若者たちを見ていると覚えず口元が緩んでしまった。

 はもう元には戻せない。

 彼らが四神の秘宝を無事に集め、再び封印の力を呼び出さない限り、倭建命が戦い続けた相手がここぞとばかり好き勝手に暴れ、藤原の都を苦しみに満ちた暗黒の地に変えてしまうだろう。

 埴輪たちには、なぜ封印が解かれることになってしまったのかはわからなかった。ただ、何かがきっかけで封印が解かれ、邪悪なるものが蠢き始めたことは事実だ。

「あの分だと、奴らも邪悪なるものの存在には気付いてないだろうな。四神の秘宝を集めるということだけが目的らしい」

 武人の埴輪は顰め面を崩さずに言い、この近くで最も禍々しい気を吐き出している方向へ目を向けた。そこは森林に囲まれ常に静寂を保つ、岬の上の熱田の宮があった。

「せめて我々がここを離れることができれば……」

 武人は弓を固く握りしめた。御墓を守ることを義務付けられ、長い年月を石室の入口の前にあり続けてきた埴輪たちは、人の形に変化することはできても持ち場を離れることは決して許されなかった。

「あの若造たちに、大宮司を救うだけの力があると思うか」

 右の巫女がたいして期待していないという口調で、誰とはなしに訊いた。

「きっと四神が力を与えてくれるさ。それに……あの乙女の瞳を見たかい? ものすごく久しぶりにぞくっときたよ」

 言い終わると、琴の奏者は深呼吸をした。完全に息を吐ききる前に、人の形がゆらめき、いつの間にか硬く冷たい埴輪に戻っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る