Stage 3-10

「絶対、怪しいと思ったんだ。浜奈も小野先生も理由は言えないけど、しばらくいなくなるなんてさ。で、同じ理由じゃないかと推測して、あんたらの後をつけてみたら、先生が猪に襲われそうになってた」

 大したことのなさそうに言うが、一人で野宿しつつ峠を登ってきたのは尋常ではない。

「2人とも知り合いなの? その、彼……彼女と?」

 明々白々とした女性であれば、葛城王は手を取って話しかけただろうが、目の前の人物の姿は男の旅装で、かろうじて声で若い女性だと判別できた。

 老は千夏から視線を逸し、楓は世にも奇妙な生命体に出くわしてしまったかのように眉を顰めている。

「紹介するね。彼女は私の幼馴染の大伴郎女といって、大宰少監だざいのしょうさかんの長女」

「ヨロシクな! あ、千夏って呼んでいいから」

「……あ、あなた、噂に聞いたことある大伴家の男装の……ほんとにいたのね。信じられないわ!」

 楓は卒倒しそうな気分を抑えて言った。貴族の娘にあるまじき姿、言動! 友達になれない人種だ……。

「まぁ、細かいことは気にしない! 小野先生の腕っぷしは期待できないし、あんたも見たところ、ヒョロいし武官じゃないだろ? 護衛が心許ないから、特別にあたしが参加してやるよ!」

 ヒョロいと評されたのは秋依だ。皆が葛城王の方を向いて判断を促した。老と楓は、何が何でも追い返せと強烈な目力で訴えている。

「君は俺たちのやることがわかるかい?」

 もちろん千夏はただ追いかけてきただけで、葛城王たちの任務など知らない。

「んーと、あんたらは将来が約束されてるくらいの若手の官僚だよな。それがこっそり理由を告げることなく、加太越えをしようとしてる。峠の先の鈴鹿関を突破できるとしたら通行証を持ってなきゃいけない。ということは、公的な任務だ。しかも、鈴鹿関を通らなきゃいけないんだから、東国行きの重大な任務。それ以上はさすがにわかんないよ」

 にこにこと推理を披露する千夏に、葛城王は舌を巻いた。弓の腕もさることながら、この女は只者じゃない。

「葛城! 悪いことは言わないから、さっさと夏郎女を追い返してくれ」

「ていうか、老と千夏は知り合いなの? 小野先生って言われてたよね」

 秋依は好奇心に勝てず、思わず訊いてしまった。大伴郎女でもなく千夏でもなく、夏郎女という別名で呼んでいるということは何か事情があるに違いない。

 老が返答をせずにいるので、千夏が代わりに口を開いた。

「よくうちに来るよ。色んなこと教えてくれる。だから、先生。この前は『遊仙窟』を添削してもら――」

「誤解しないでくれ!」

 次第に仲間の好奇心に満ちた、あるいは不審を募らせる目が痛くなり、老は珍しく大声を出した。

「俺はただ衛門督えもんのかみから頼まれて、家庭教師をやってただけだ」

 黙秘するとあらぬ誤解が広がりそうなので、老は千夏に不都合なことはとりあえず省いて事実を語った。耐えられなかったのは、老を文官の鑑だと尊敬してくれている楓の視線が突き刺さったからだ。

「兄さん、千夏はどうする?」

 妹がすがる様な目で見上げてきたので、必登は腕組みをして唸った。たぶんというか十中八九、帰れと言っても千夏は追いかけてくるに違いない。自分たちの任務は極秘だが、誰も加えてはならないという禁止事項もなかった。任務遂行に役立つなら、誰かの協力を得ることも必要だからだ。

「……なぁ、葛城?」

「うん」

 必登が葛城王を見ると、葛城王は必登の出した結論を言わずともわかっているという風に頷いた。

「俺たち6人の人数に対してまともに武力が使えるのは、俺と葛城だけだ。正直言って、もう1人くらいは武器の使い手がほしい」

 その意味するところを解した老は、大いに顔をしかめて親友に食って掛かった。

「おい、待ってくれ。こいつがどんなにとんでもない危険な人物か、お前たちは知らないからそんな簡単に――」

「猪から君の命を救ってくれたのは、このお嬢さんだよ、老?」

「危険人物をよく知るお前がいるんだから、いいじゃないか。浜奈とも幼馴染だし」

 猪の件を持ち出されては、老も返す言葉がなくなる。そういえば、まだ助けられた礼を言ってなかった。

「助けてくれたことは感謝するよ、夏郎女。……一緒に来たければ、勝手にしてくれ。どうせ帰れと言って、素直に従う君じゃないことはわかってる」

 意外とあっさり白旗を揚げた老には、千夏以外の皆が驚いた。もう少しだけ抵抗するのではないかと思っていたからだ。楓も奇抜な大伴家の姫に後ずさってしまったのだが、確かに敬愛する右少史が、山の獣の餌食にならなかったのは千夏のお蔭なのだった。

「よしっ、じゃ、これから仲良くしよーな! あたしは弓も乗馬もできるけど、短剣が一番得意かな。で、あんたら一体何しようとしてたわけ?」

 千夏はその名の通り、真冬に似合わないほど明るい笑顔で尋ねたのだった。

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