Stage 3-6

「――朱雀の秘宝は紅卵である。鳳凰の卵と同様。卵を食せば不老不死の力が得られる」

 淡々とした老の声を聞きながら、浜奈はあることを想像して小さく吹き出してしまった。老が怪訝な顔をする。

「どうした? 何かおかしかったか?」

「あっ、ごめん。だって、秘宝が卵でしょ。温泉卵なのかなぁって考えたらなんか面白くて」

 全く悪気のない浜奈の言葉に、場の空気が一気に緩んだ。楓は呆れていたが、葛城王は受けて笑っている。

 実は、兄の必登も同じことを考えていたのだが、今回ばかりは口にしなくてよかったと、楓の溜息を聞いて思った。そして老は、朱雀の温泉卵はいくらで売れるだろうか、きっと莫大な金額になるだろうから売って遷都費用の足しにしてもいいんじゃないかと考えた。

「それはそうと、朱雀は水のきれいな場所にしか生息できないらしいから、温泉地と言っても限られてくるかもね」

 葛城王は笑いながら言った。

「ねぇ、たぶん、次の浦賀水道が一番の難関なんじゃないかしら? だって海よ? 青龍の翡翠の大珠。この大珠を使うと、気象を様々に変化させることができるみたいね。龍って首に珠を持ってるのよね。だとしたら、私たち龍の首から珠を奪わなきゃいけないってこと?」

「いや、龍と戦う必要はないかもしれないよ。浦賀水道の……まぁ、海の底かどこかに棲んでる青龍に会いに行って、そしたら秘宝をもらえるかも」

「宮簀媛の御墓の場合と違って、秘宝が何かは書いてあるけど、具体的な場所はわからないね」

 しばらく誰も何も言葉を発しなかった。

 必登の推測が当たっていたとしても、一体どうやって海底に棲む龍神に会いに行けばいいのだ。しかも、龍は雷雨を呼び、嵐を巻き起こす恐ろしい力を秘めている。文字通り逆鱗に触れてしまったら、秘宝を授けてくれるどころか、人の命など木っ端微塵だ。

 ぽりぽりぽり……。また、煮干しを囓る音が虚しく響いた。

「あーっ、最後の1匹まで食べやがったな」

 必登が恨めしそうに秋依を見た。餌を争う野良猫のようだと老は苦笑した。

「葛城王がまた持ってきてくれるよ。青龍のことは、まぁ、後で考えよう。太侍従に調べてもらってもいいと思うし」

「そうね。あの人、ちょっと変人だけど博識であることは確かだもの」

「最後の秘宝は、一気に北に飛んで陸奥国か。玄武の鼈甲の櫛は、自在に変化できる……。これもすごい力だな」

「場所は? 陸奥国なんてそれこそ広すぎるだろ」

 老と葛城王が『古譚』の写しの地図を確認する。一応、丸で囲まれた印は付いているが、そこは名取郡にある陸奥国府の場所であって、正確な玄武の居所ではなさそうだった。

「ふーん、玄武って森の中に棲んでるんだね。でも、国府はともかく、あの辺は蝦夷の集落があったりして自由に行動できないんじゃない?」

 浜奈が言うと、兄の必登はそれこそ武官の出番だと主張した。

「蝦夷の森に玄武がいたとしても、俺と葛城が護衛するんだから心配するな。必要があれば国府の兵を借りることだってできる」

「やっぱり野蛮ね、衛門大尉殿は」

 ふん、と楓は鼻を鳴らした。

「玄武がどこにいるのか知らないけど、全てが反抗的な蝦夷じゃないのよ。麁蝦夷あらえみしはずっと北部の奥にしかいないし、交渉して協力してもらう方法だって考えなきゃ」

「まぁ、そうだな。特に国府周辺には帰属した蝦夷たちが住むことを許されてるらしいし、森の中のことは蝦夷たちの方が詳しいだろうね。できるだけ蝦夷のことは調べておくよ。右少史も頼んだよ」

 葛城王の呼び掛けに老は、「わかった。任せろ」と頷いた。後宮ではほとんど外交は扱わないし、武官の必登では対蝦夷の軍事作戦しか思いつかないだろう。

 ここまで一緒に道のりを確認して、その後は持っていくべき道具や荷物について話し合った。役所や寺社があれば、寝泊まりや食事は困らないが、それ以外の場所では野宿をし、食事も自分たちで用意することになる。信頼できる従者を何人か連れて行くという案もあったにはあったが、それだけ行動に制約がかかってしまうので却下された。

 話し合いが終わった頃には、濃い鼠色の空から粉雪が舞い降りていた。


 明けて慶雲5年の正月。

 寒さが一時的に和らぎ、雲ひとつない晴天が新しい年の始めを告げた。

 先の天皇の喪中のため祝の宴などは一切開かれず、数日後には淡々と藤原京の日常生活が動き出した。

「もう、明日になってしまったのね」

 写本の『異伝東征古譚』を几案にそっと戻すと、阿閇は娘の氷高に微笑んだ。

 自分が見た夢から始まった壮大な物語の始まりが、すぐそこに迫っている。氷高が持ってきたこの文献を見た時、鳥肌が立った。奇跡だとすら思った。

 四神の秘宝を探し求める物語がこの藤原宮の書庫に眠っていたとは――。

 さすがに、県犬養三千代も驚き、しばらくの間、目をぱちぱちさせ、主君の顔を見つめていたくらいだ。

「これを、葛城王に」

 母から娘へ直接手渡されたそれは、藤原京随一の名刀匠が鍛えた剣である。鞘は新月の日の夜空のごとき黒、そして瑪瑙と虎目石が交互に埋め込まれている。宝剣の力を秘めつつ、実戦向けに作られた珍しいものだ。

「使いこなせれば良いのだけど……。不肖の息子は、弓を得意としてるのです、陛下」

 三千代が少し心配そうな顔をすると、氷高は頭を振って懸念を否定してみせた。

「いいえ、尚侍。葛城王は私を守るために、隠れて剣の鍛錬もしていますよ。それに、宝剣は使い手をちゃんと導いてくれるものです。ね、陛下?」

「ええ。仲間もいるのですもの」

 氷高は御前を退出すると、入り口に控えていた太安万侶に宝剣を預けた。

「取り扱い注意よ、太侍従。葛城王に下賜するものだから」

「は、はいっ。えーっと、内親王様、図書寮の準備は整っております。神祇官から神鏡と御幣も預かって設置しました」

「ありがとう。よく神祇官がこんなわけのわからない秘密の会合に神鏡を出してくれたわね。一番保守的だと思ったんだけど」

「あー、そ、そうですね。ははっ」

 安万侶は裏事情を知っていたため、氷高から視線を逸らして乾いた笑いを発した。

 遷都のために、陰陽寮がはりきって地相やら天文観測を行っている一方、神祇官はそれを横目で見つつ通常業務しか取り組んでいない。そこで、神祇官は対抗心を出したらしく、遷都関連の秘密の任務に必要という依頼に喜んで飛びついた、というのが裏事情である。

 それはさておき、氷高と安万侶が図書寮へ向かっていると、途中で控えていた葛城王が合流し、3人は目的地へ急いだ。

「ねぇ、葛城王。あなたの大切な物ってなぁに?」

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