Stage 3-5

 秘宝集めの件について、天皇から諸事全てを任された氷高内親王は、たった今成立したばかりの遠征団を見回した。

「では、私から一つ命じます。これから、あなたたちは官位も職も性別も年齢も関係なく、等しくこの任務に従事する者として振る舞ってください」

「等しくとは……?」

「言葉通りよ。のっぴきならぬ事情があれば指揮者の葛城王に従ってもらいますが、そうでなければ、楽浪工が葛城王に遠慮して言いたいことを控える必要はありません」

 氷高は更に野心的な命令を下した。それは、互いに名前で呼び、敬語を使わないというものだった。

「しかし、女人の名を明かすのは……」

 老は慌てて言ったが、楓に遮られてしまった。

「面白いわ。今ここで、内親王様が私たち全員の名を告げれば問題ないじゃない。任務のためなんだから」

 親友の言葉に、浜奈も頷いた。事実、職務では各人の名前などとっくにバレバレではないか。

「まぁ、確かに俺たちお互いの名前、知ってるよなぁ」

 必登もそう言って賛同を示したが、秋依だけが彼らの名前を知らなかった。

 それに気付いた浜奈は、秋依の袖をくいっと引っ張り、耳元に口を寄せた。

「は、ま、な。浜奈よ、私の名前は」

 麗らかな春のそよ風に包まれたような心地がして、秋依は一瞬、魂が仙界にでも飛んで行ってしまったのではないかと思った。得意げに微笑む粟田掌蔵は、この時、高級女官ではなく粟田浜奈として秋依の世界に登場したのである。

 その間に、必登が一枚の紙を秋依の目の前に置いた。

「これ、全員の位階と官職、それに姓名が書いてあるから。君には必要だろう?」

「あ、はい。ありがとうご――」

 言いかけた秋依を、必登が笑って遮った。浜奈の兄らしく、その笑顔も大らかな陽の光を感じさせる。

「敬語使用は禁止ってことで、よろしくな、秋依!」

 受け取った名簿をざっと眺めていると、再び氷高内親王が口を開いた。この女性は、この場では最年長だからということもあるかもしれないが、小柄だが威風堂々として、人を惹きつけずにはいられない力を持っている。しかも、時々見せる愛嬌が、なんとも魅力的なのだ。

「出立は年が明けてから10日後で良いですか? 先の天皇が崩御されて、朝賀の儀も行われないし、それほど支障はないはず。皆が長期間、秘密の任務のために都を不在にするということは、内々にご家族に伝えてあります。ただし、任務の内容は明かしていません」

 氷高は一呼吸置いて、続けた。

「出立の前日、またここに集まってください。それぞれ、自分が大切にしている物を一つ、携えて……」

「大事だと思うなら、何でもいいのでしょうか? 例えば、武器でも?」

「もちろん。でも、それをこれからの道中の伴にしてほしいので、持ち運べないものは除きます」

 氷高はその指示の理由を明らかにしなかったが、一同は了解して、この日は散会となった。


 ぽりぽりと乾いた音が静寂の室内に響く。

 課業を終えた秋依は、図書寮の書庫の片隅に座って、きれいに写された『異伝東征古譚』を開き、目の前に置かれた平たい器に手を伸ばした。

「この煮干し、美味いな」

 秋依と同じ感想を、同じく写本を眺めていた必登が漏らした。ほどよい塩気と甘みが噛むほどに口に広がる。2袋空けて器にてんこ盛りだったのに、あと10匹も残っていない。

「若狭国から取り寄せてるから、美味くて当然さ。あ、酒を持ってくればよかったな。そっちの乾燥させた蓬莱柿は備前国のもので――」

「ちょっと、あんたたちね、書庫で遠足してんじゃないわよ。ていうか、書庫に飲食物持ち込むなんて、どーいう了見してんのかしら。今度、書庫で飲食する者は罰するって通達出してもらうことにするわ。ああっ、秋依、そのベタベタした手で原本触らないで!!」

 葛城王の嬉々とした説明を遮り、貴重な書物や紙や楽器を管理する典書の楓は、毛を逆立てた猫のごとく怒った。

「いーじゃん、ちょっとくらい。もう夕餉の時間なんだし」

 ぽつりと愚痴った秋依を、楓が氷室の氷よりも冷たい視線で睨んだ。

「右少史も何か言ってよ。……って、あなたまで」

 呼び掛けられた老の口には芋の甘露煮が詰まっていた。意外と甘いもの好きらしい。

「飲食物の持ち込みは今日はもうしょうがないよ、楓。私もお腹空いてるし。甘いもの食べた方が頭すっきりするじゃない? みんな、ひと通り最後まで『古譚』は読み終わった?」

 楓の怒りを逸そうと、浜奈はとりあえず本題を振ってみた。課業後に書庫に集まったのは、出発前の準備として『古譚』を読み込み、東国への道順や必要なものを確認するためである。

 必登は写本に目を移した。最初の頁には、四神と秘宝の関係が記載されている。

 かつて四神は東国の邪神悪鬼を鎮めるため、それぞれの秘宝に力を込め身を隠した。その後、倭建命が東国遠征にやって来る。

「朱雀、青龍、玄武、そして白虎は倭建命の誠実で勇敢な心に共鳴し、困難を乗り越えた後にその秘宝を差し出した――。じゃあ、こいつらはとりあえず敵ってわけじゃないんだな」

 四神と戦う可能性を想像していた必登は、胸を撫で下ろした。いくら武勇の誉高い必登や葛城王でも、勝てる相手とそうでない相手がある。倭建命は無謀にも山の神に戦いを挑んで、返り討ちに遭い、そのまま病に冒されて死んでしまったではないか。

「秘宝が隠されてる場所、つまり、四神が眠ってる場所は地図があるけど、ざっくりとした位置しかわからないんだよね。尾張国の宮簀媛みやずひめの御墓の地下ってのはすごくわかりやすいけど」

「それ、どこにあるの?」

 秋依が訊くと浜奈は微笑んで答えてくれた。秋依は決して頭は悪くはないが、貴族の子女が受けてきた教育や教養を身に付けておらず、彼らの間では常識的なことがわからなかったりする。

 しかし、ここの仲間は誰一人としてそれを馬鹿にしたりはしなかった。武官は野蛮だと見下す楓でさえも、秋依に対しては親切に教えてくれる。もともと秋依は技官であり、文官にはよくわからない高度な技術を身に付けているので、一目置かれているのかもしれない。

「尾張国の熱田の宮って知ってる? そこに草薙剣が安置されててね、倭建命の縁の場所なんだ。宮簀媛の御墓があるのもその付近。宮簀媛は尾張の豪族の娘で、倭建命の妻だから」

「そっか。確かにわかりやすい場所だね。でも、秘宝が何かは頁が欠けててわからないのかぁ」

「次の場所は伊豆国の……熱海の温泉!? 温泉の中に秘宝があるってことか?」

 老は首を傾げた。さっきの宮簀媛の御墓に比べると随分、呑気な感じがする。熱海の温泉地に隠れているのは朱雀だ。

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