Stage 3-1

 慶雲4年も暮を迎えようとしている頃、藤原京の官衙群で密かな人事異動が行われた。

 と言っても、辞令もなく所属もそのまま、人だけがいつもの職場から消えてしまうというもので、上司たちにも部下の異動先は詳しく知らされなかった。

 人事を司る式部卿から耳打ちされた異常な采配に、それぞれの上司はいきなり大事な戦力を長期間取られることに猛反発したが、天皇の特命事項だと説明されると、しぶしぶ承諾せざるを得なかった。

 なにせ、式部卿本人も詳細は知らされていないのだ。彼に文句を言っても仕方がない。

 この人事異動は、もちろん四神の秘宝収集のため遠征に参加する若者を対象とするものだ。

「葛城王、あなたを今回の任務の指揮者とします」

 正式に氷高から告げられた葛城王は、覚悟を決めて大役を承った。そして、随行者を好きに選んで良いと言われ、数日間、仲間となるに相応しい者を考えた。

 その結果が、この暮の人事異動である。

 誰が葛城王の人選に引っ掛かったのか、それを話す前に、少し季節を遡ってみよう。


 枯れ草が溜まってきたのをどうにかしようと秋依が思いついた対策は、焼き栗を作って食べようというものだった。

 この話を2度目の業務調整で会っていた浜奈に何気なくしたことから、浜奈が「私も、栗食べたーい」と、秋依の自宅に遊びに来ることになってしまった。

「待ってくださいよ、あなたが俺みたいな木っ端役人の家に来るなんて……」

「大丈夫だって! 歌垣の時の私は采女の娘っぽい姿だったでしょ? それに、敬語は止めてよ。もう友達なんだし。ね?」

 何の屈託もない、破壊的な笑顔が逆にツラい。

 とりあえず、浜奈の言う通り、仕事外の話をする時は敬語を使うことは止めたが、しばらく違和感は拭えなかった。

 秋依は栗宴会に広人も誘った。

「何で俺を誘うかなぁ。二人きりでいいじゃん。で、そのまま押し倒しちまえばいいだろ」

 相変わらずばっかだなぁと笑う広人は正しかった。だが、正しいがゆえに、秋依はそれが事実になってしまうことを怖れて、敢えて親友を交えることにしたのだ。

 相手が自分と同じ立場の女の子だったら、何の躊躇もなくさっさと二人になる機会を見つけて、口説いている。しかし、秋依の恋する娘は将来を嘱望される清らかな乙女であり、彼女は別の男に心を奪われている。

 彼女を奪うのはそんなに難しいことではない。別にモテるわけではないが、恋愛経験で言えば、箱入り娘の掌蔵くらのじょうよりも秋依の方が勝っている。

 それでも、秋依は常識人らしく理性を優先させた。高官の娘だからなどという小さな理由ではない。無理やり手に入れて、大輪の花を咲かせたような笑顔の彼女を傷つけてしまうのが嫌だった。そんなことになったら、秋依は自分を許すことができないだろう。

「ま、俺ももうあと5日で都でのお役目から解放されるしな。故郷に帰る前に、美人の高級女官と酒が飲めるっていうご褒美にあずかれるなんて光栄だぜ」

 そういうわけで、後宮の花形女官と下級の技術役人、そして衛士という甚だ異質な3人が、藤原京の一角の粗末な家に集まった。

 大量に仕入れてきた栗は、秋依が庭で焚火をして焼いた。試しに食べると、温かくほんのり甘い。これなら客人に出しても問題ない。

 広人は日干しした川魚や猪の肉や山菜を持ってきた。いつものように、調理を始めようとした時、「こんにちはー」という女性の声が外から聞こえた。浜奈だ。

「粟田娘、こいつが俺の親友の倉垣広人。君のお兄さんの部下だって」

「そうなの? 偶然ね。ねぇ、何をしてるの?」

 浜奈は持参したお菓子と酒を秋依に手渡し、広人の作業を興味深そうに見つめた。広人はじつに鮮やかに魚をさばき、串を刺し、火にくべている。かと思えば、肉を小刀で一口大に切って、雑穀と水が入った鍋に入れ、かき混ぜたりもしている。

「宴席にはうまい食い物が必要だからね! しゃべってるうちに出来上がるよ」

 浜奈は秋依と広人の間にちょこんと座った。

 下級役人の家など初めて足を踏み入れた。自宅にある物置小屋くらいの大きさしかない。使用人はいないし、置いてある物も驚くほど少ない。壺や掛け軸のような装飾品の類は一切見当たらなかった。

「ほいよ、熱いから気を付けて」

 差し出された器からは食欲をそそる香りとほっとするような湯気が立ち込めている。一口啜った浜奈は思わずにっこりと笑ってしまった。それほど美味しい雑炊なのだ。

 自分も雑炊や栗を堪能した後、秋依は思い切って歌垣で出会った風流な美青年の話題を振ってみた。

「歌垣の……あの男がどこの誰かわかった? あの顔と雰囲気だとすごい目立つよね」

「ううん。見たことのあるような気もするけど、わからない」

「もらった円扇から身元が判明するってことは?」

 浜奈はやはり頭を横に振った。

「兄さんに見せたんだけど、相当高価なもので、それを見ず知らずの娘に渡してしまうくらい金持ちってことくらいしか……」

 すると話を聞いてきた広人が、「俺もあいつ見たことあるような」と言ったのだが、あまり当てにはならなかった。

「衛士のお前が見知ってる範囲ってことは、武官なのかな。兵衛府とか。少なくとも俺んとこみたいな青白い顔したおっさんばかりの技術系じゃないよな」

 浜奈はくすりと笑った。これが第一線で働く掌蔵とは思えないほどの可愛らしさだ、と秋依は高鳴る鼓動を感じた。

 その後、浜奈は美青年に対する恋心を切々と語り、「次に会ったらどうしたらいいの?」「私、可愛く見えるかな?」などと、秋依と広人を質問攻めにしていたのだった。

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