Stage 2-5

 数日後、氷高の元に大学頭から面会の申し出が届いた。例の件だ。

「ちょっと図書寮へ行くわ」

 護衛の葛城王かつらぎのおおきみに声を掛けると、案の定、むっとした顔になる。美男子なのでそれも様になってしまうところが憎いほどだ。

「もちろん私も一緒に行きます。あ、長屋王ながやのおおきみもどうだい?」

 急に話を振られた青年は、「何が?」と氷高と葛城の顔を見た。

 長屋王は葛城王のような華やかさには欠けるが、人を惹きつけるような鋭い目力と堂々とした風格が備わっていて、若さよりも老練な雰囲気を醸し出している。けれども、それは大人びているというように見えるのであって、生気がないわけではない。

 事実、長屋王は好奇心を露わにして、従妹である氷高の答えを待っていた。

「そうね、あなたにも来てほしいわ。私の教育係なのだし。四神の秘宝に関する文献がないかって、大学頭だいがくのかみに探してもらってたの」

「四神の秘宝ですか? 聞いたことがないな」

「俺だってないよ」

「しかし、なぜ突然そんな秘宝のことが知りたくなったんですか?」

「私じゃないの。陛下の夢に鳳凰が出てきて、遷都のために四神の秘宝を集めろって言ったんですって」

「それは面白そうな話だ」

 長屋王が乗り気になると、葛城王は微笑んだ。

 内親王と大学頭が2人で対面するのは許しがたいのだが、長屋王がいれば内親王も大学頭とだけ会話をするわけにはいかなくなる。しかも、長屋王は浄御原きよみはら天皇(天武天皇)の直系の孫で正四位上、対して大学頭は不比等の長男とは言え、皇族ではないし、従五位下と格下だ。

 そういうわけで、3人は連れ立って図書寮へ向かった。

「すみません、内親王様。例の文献を探し出すのに、意外と時間がかかってしまって……」

 武智麻呂は謝ったが、そもそもあるかどうかもわからない四神の秘宝に関する文献が見つけられただけでもすごいことだと、氷高は感心した。そして、四神の秘宝のことがわかるという期待に、いつになく心が躍っている。

「長屋王もお出ででしたか。どうぞ、皆さん、こちらへお座りください」

 大きな卓子の周りに人数分の椅子が置かれていて、皆はそこへ着席した。武智麻呂は一度そのまま別室に消え、すぐに戻ってきた。見慣れない男と一緒だ。

 その男は幼く見えるが30歳をとうに過ぎている。だが、人目をつくのはそのぼさぼさの頭だろう。決まりが悪そうに、武智麻呂の背後に立っている。

 武智麻呂に目配せをされ、その男は甲高い早口で氷高に述べた。

「……じ、侍従を努めております、太安万侶おおのやすまろと申します。内親王様におかれましてはっ――」

「そういう挨拶は抜きにしましょ」

 安万侶は内親王に助け船を出してもらい、ほっとした表情になった。

「彼は侍従ではありますが、特命で史書編纂の準備をしているのです。と言っても、正式な史書ではなく、各地の伝説や、稗田阿礼ひえだのあれという老舎人の記憶を元に書き起こしたもので……ともかく、各地の伝説などのことは安万侶が一番よく知っている。なにせ、一日中、図書寮の書庫にこもってますからね」

「そんな作業をしていたとは……非常に興味深いですね。今度、私にも色々教えてください」

 長屋王が真面目くさって安万侶に言うと、安万侶は「わ、わかりました。恐れ多いことで……」と慌て気味に答えた。

 この男は本当に従五位下の役人なのだろうかと思うほど、対人関係が苦手で挙動不審なのであった。

「で、どれがその文献なの? 早く見せてちょうだい」

「えーっと、これです。かなり古いシロモノになりますので、お気をつけて」

 埃は丁寧に払われてあったが、その冊子は苔のような色をして中の紙も相当ぼろぼろになっている。

 表紙には題字が記されていなかったが、表紙を開けると『異伝東征古譚』と書かれてあった。

 氷高は白く華奢な指で頁を摘んで捲っていった。背後から席を立った葛城王が、横からは長屋王と安万侶が覗き込んでいる。

「この本を見てるとなんだか不思議な気持ちになるわ」

 氷高は頁に描かれた地図や絵柄を眺めながら呟いた。本当にこの本から何かが放たれているような気配がするのだ。本を開いた時、影のようなものが氷高の肩を掠め、一瞬だけ息が詰まった感じもした。

「あの、私も何と言っていいかわかりませんが、奇妙な感じを受けました。気がざわつくというか……」

 長屋王もこの文献が放つ異様な雰囲気をすぐに察知したのだが、葛城王と武智麻呂は首を傾げている。

「私には黴臭い書物としか……」

「ああ、俺も古ぼけた冊子だなっていう印象くらいだ。太侍従はどうだい?」

「ええ、はい。特に古い文献の一つではありますが、変わった感じがするというわけでは……」

「そうか。じゃあ、太侍従からこの書物の内容を簡単に説明してもらいます」

 武智麻呂の言葉を受けて、安万侶は咳払いをしてから本題に移った。

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