Stage 2-4

「朱雀も青龍も大空を飛べるんだわ。子供の頃、絵を見て、背中に乗りたいって思ったもの。今でもそう思うわ!」

「ま、陛下は相変わらずお転婆なお気持ちですのね。でも、私もどこか遠くへ旅に出たいって思うことがあります。東国ってどんなところかしら、とか……」

「仕事と私を放り出して?」

 阿閇は意地悪く言ってみた。思えば、この忠臣は少女の頃からほとんどの時間を阿閇の側で過ごしていたような気がする。

「もちろん、陛下を置いて行くなんてあり得ません。置いて行くとしたら、そうね、夫たちでしょうね」

 ここで二人はまた大きな声で笑った。近くで控えている采女たちも、くすりと忍び笑いを漏らしている。

 そして、阿閇にある考えが思い浮かんだ。

 遷都することはほぼ決定事項だ。おそらく年が明けたら、正式に発表をすることになるだろう。その前に、なすべきことが見つかった。いや、自らが行うものではないが、遷都を意味のある事業にするために、託すべきことなのだ。

 阿閇は声を小さくして三千代に胸の内を話した――。


 翌日、終業時間を見計らって、氷高内親王はある男の元へ向かっていた。密かな逢引きなどではない。母である天皇からの話を受けて、相談をしに行くのだ。

 葡萄色と松葉色を重ねた落ち着いた色合いの衣は秋に相応しく、小柄で聡明そうな顔立ちの氷高を美しく飾っていた。

大学頭だいがくのかみはいますか?」

 図書寮ずしょりょうという書物を管理する役所の入口に立つと、中から返答がある前に、背後から深みのある聞き慣れた声が聞こえてきた。

「私に御用ですか、内親王様?」

 驚いて振り返ると、簪がしゃらりと鳴った。

 数歩離れた位置に立っていた青年は氷高と同年齢の27歳で、柔和な微笑みを浮かべている。名を藤原武智麻呂と言った。

「忙しいかしら? そうでなければ、ちょっと相談したいことがあるの」

「わかりました。大学寮へ戻る用はありませんから時間はたくさんあります。寒いでしょうから早く中へ」

 執務室の中には図書寮の幹部職員が数名残っているだけだった。今日は残業はなかったらしい。

 幹部職員たちは内親王の姿を見ると、丁寧に挨拶をした後、そそくさと執務室から出ていってしまった。勉強熱心な氷高はよく図書寮へやって来て、これまた職業柄よく図書寮に出入りしている武智麻呂に本を借りたり、学問について質問したりすることがあるので、職員は気を遣って席を外すのだった。

「早速だけど、四神の秘宝に関する文献って知ってるかしら?」

「しじん……白虎とか朱雀とかあの四神のことですよね。ちょっとすぐには思い浮かばないのですが……。一体どこからそんな話が出てきたんです?」

「相談したいことっていうのがそれなのよ。お母様、いえ、陛下が不思議な夢をご覧になったそうなの。大きな鳥、たぶん鳳凰だっておっしゃってたけど、それが陛下に『散らばった四神の秘宝を集めよ。新しい都造りを成功させ、発展させるためには秘宝が必要だ』って命じたんですって。でも、四神の秘宝なんてさっぱり!」

 武智麻呂はしばし考え込んだ。新しい都造りは、最近よく朝政で議題になっているらしい遷都のことに違いない。鳳凰は瑞祥だ。それが秘宝を求めているとしたら、何とかして集めなければならない。

 しかし、四神の秘宝とは何だろう。手近にある神聖な生き物のことが書かれた本をぱらぱらとめくってみると、鳳凰の頁にそれらしいことが書いてあった。

「鳳凰は卵を産むのですが、それが不老不死の薬になるそうです。鳳凰は四神としては朱雀ですから、朱雀の卵が秘宝ということになるかもしれませんね」

「だとしても、鳳凰はどこに住んでるの? 日本どころか、この俗世じゃないと思うんだけど……」

 氷高は形の良い眉を寄せて、武智麻呂を見返した。

「まさか、遷都のために仙界へ行けってこと?」

 確かに、鳳凰は仙界のどこかに住んでいるらしいのだから、秘宝を得ようとすれば、そこに行かなければならない。

 2人が沈黙していると、図書寮の入口から誰かが入ってきた音が聞こえた。

「やっぱり、こちらにいたんですね、内親王様! こんな人気のないようなところなら猶更、勝手に出歩かないで、必ず私を伴ってください」

 よく通るがちょっぴり棘の入った声に、長身の影。氷高は溜息をついた。内舎人うどねりとして守ってくれるのは感謝しているけれど、図書寮にやってくる時の不機嫌さはどうにかならないものか。

葛城王かつらぎのおおきみ、すぐに戻るんだし、そんなに心配しないで」

 氷高は葛城王を優しく諭して、武智麻呂に苦笑を見せた。

 葛城王としてはそういうところもまた気に食わない。内親王は大学頭と親しいが、こいつはどこか胡散臭い気がする、と葛城王は思っていた。藤原一族が嫌いなわけじゃない。ただ、武智麻呂が穏やかな仮面の下に掴みどころのない何かを隠し持っているような気がしてならないのだ。

「では、内親王様。少し時間をください。書庫を漁ってみます」

 葛城王の敵対心の籠った視線をものともせず、武智麻呂は葛城王にも微笑みながら氷高を送り出した。

 皇族の、しかも文武両道の華やかな美男子が、自分のような学問しか取り柄のない地味な人物につっかかってくることが未だに解せないのだが、まぁ、ある種の嫉妬はありがたく頂戴しておこうと、武智麻呂は思っていた。

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