クライマックス:天を突く鬼の拳
沈む……
沈む……
ただひたすらに寒く、深いところに私は沈んでいく。
上に行きたいのに、指一つ動かせない……
そのくせ、鬱陶しいぐらいに雑音が聞こえてくる—————
果たされなかった願いの残滓とでもいうのだろうか。頭の奥に入れ代わり立ち代わり響いてくるのは数えきれないぐらいの人間の嘆き。思考回路が焼き切れそうになるのを、必死で抑えるので精一杯だ。
あぁ、これが走馬灯というやつなのだろう。今までの記憶がまるでスクリーンに映された映画のようにフレーム単位で脳内を駆け巡っていく。
嫌なこと————
辛かったこと—————
今まで振り返ってこなかった分が波のように押し寄せては引いていく……。その先に在るのは無……。いや、そうではない。それは後ろを向いているのだから当たり前のことだ。
私は……蓮花という人間は決して後ろを振り向かない。前を見てただひたすらに進み続けると数千年前に誓っている。
声が聞こえてきた—————
「いつまで寝てるんですか……私のヒーローさん……」
どこかで聞いたある声だが、今は其処に思考を割く余裕はない。
改めて言わせてもらうが、私はヒーローの自覚なんてない。確かに、自分が嫌に思えるぐらいにお人好しだが、後先考えず救ってしまうほどでもない。ましてや、見返りなしで動くほど、バカではない。
————それでも、いつの間にか足が動いていることがある。
今だってそうだ。動かせないはずの体をもう一度動かし始めている。思考回路が焼き切れることは厭わない。なぜなら、そこから先をしばらく考える必要がないのだから————
今やらなければならないことは、
できないはずの呼吸を整え、体の状態を最高に整えていく。これは黒いコールタール状の生物の体内だと認識できる。であれば、やることは至極単純。ただ一点を攻撃し続ければいい。
本来は目覚めないはずの体内で動き出す。想定していないものは弱点ともなりえる。奴は存分に後悔することだろう。私という存在を取り込んだことを—————
眼を開けるとそこは元の石畳の上であった。だが、以前よりも瘴気が濃くなっているように思える。周囲を見渡すと、内側から弾け飛んだ体を靄のようなもので修復しているエルフ。
地面に血まみれのまま倒れ、かすかに息をしているオリヴィエ。
何となくだが、状況を理解できた。
だからこそ、手首の調子を確認し、自らの拳と拳を合わせる。自らの体内のあらゆる細胞を活性化させ、体内の固有時間を限界以上に高めていく。倒すべきなのは、変わらない。今度は
「よぉ、化け物さん。さっきは油断でやられたけれど、今度はそう簡単に行くかしらね?」
「おのれ、おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれのれおのれ!! この出来損ないの人形がぁ!!」
「人形はあんたでしょ……空っぽで、何にもなくて、感情に似たクソみたいな残滓で会話してるあんたの方—————」
「ちがう。これはこれはこれはこれはこれはこれはこれこrけおrけおれれ」
もはや、言語を話さなくなっている目の前の怪物を前に、私は気を引き締める。
————油断はできない。
欠如により、機能が低下しているとはいえ、人智を遥かに超えている。一部の隙を見せることなどできない。
私が、拳を構え、体内の感情の揺れ動きを抑え込むと、目の前の怪物は何かを唱えだす。
「助けた。救った。結び付けた。愛を、夢を!! それなのに、訪れるのは報復という名の復讐劇。友を助け、幸せなも——————」
私は詠唱の途中で、地面を蹴りあげ、不用心に詠唱しているエルフの頬を殴りつける。彼女の体はおもちゃのように吹き飛び、数回地面を転がってようやく止まる。
不意打ち?
卑怯?
ちがうね。敵がいる前で、ゆっくりと呪詛を紡いでいるやつが悪い。そんな暇を与えるのは闘いの経験がない三流だけだ。やれるときにやることこそ、重要である。
「立てよ。まだ終わりじゃないだろ?」
体の奥底から湧き出てくる憤怒は未だに熱く燃え上がっている。手を抜くつもりは無いが、こいつには精々苦しんで死んでもらうことにする。
感情を研ぎ澄まし、思考を落ち着かせる。今度は相手が反撃してくる番だ。
「うがぁああああああああああああああああああああああ!!」
怒り来るように、エルフが直剣を構えて、こちらに接近する。まるで機械のように計算された、剣戟。竜の首を絶つような血から引き継いだ剣技は、エルフ自身の技術と重なり、回避不可能な魔剣の域にまで昇華される。
先ほど殴った後はついていない。ただ、何となくだが弱点は分かる。相手が過去の伝承を引っ張ってきている時点で、私の勝利は揺るがない。何故って?
だって、私はその光景をこの目でしっかりと見てきた古代種なのだから————
体を両断するような冴えわたる連撃。斜め、横、縦。すべてが私の体を切り裂く。
————それを私は避けなかった
避け切れるほどの攻撃ではない。だというのであれば、初めからそんなものは放棄してしまった方が早い。壊れた体は自身の時間を巻き戻すように修復する。傷は、初めから存在しなかったかのように無に還る。
さて、次はこっちの番である。
私は、攻撃がきかなかったことに驚愕しているエルフの頬を右こぶしで殴りつける。彼女の体はぐらりと揺らぎ、足が絡みついてふらつく。その間に、体内固有時間を加速して、彼女の後ろに回り込む。
彼女が憑依させている存在は、背中以外が有効打になりえない。だが、そこだけは致命的な弱点となるのだ。
ブーツが擦れる音とともに、自身の眼の閃光が糸を引いて遅れてやってくる。
もう一度、右こぶしを握りなおし、がら空きになった背中をストレートで殴りつける。当然のことながら激痛による絶叫が2人の空間にこだまする。前のめりで倒れる彼女をそのままでいさせるほど、私は甘くはない。
倒れるときに、彼女の長い髪を掴み取り、自分の元に引き寄せる。そして、背中にもう一度膝蹴りを入れる。最後に、体を捻り、回し蹴りを正確無比に背中の割れ目に叩き込む。
ただの攻撃ではない。自身の体内のエネルギーを集約させた蹴り。巻き起こるのは大地や木々を揺らす爆風。直線的な石畳のずっと先で、建物一部が崩落したような轟音。
当然のごとく、それを超至近距離で体に受けたエルフの上半身は跡形もなく吹き飛んでいる。残っているのは膝から下の一部のみ—————
私はその残骸を見下ろし、吐き捨てるように、腐ったものを嫌悪する感情をぶつける。
「立てよ。まだ終わりじゃないだろ」
刹那——————
ボコボコと奇怪な音を立て、エルフの体が再生する。黒い靄ではなく、肉体的な再生ということは、もはや、相手の回復リソースが尽きていることは明白であった。
あと一撃で、すべてが終わる。
エルフは自身の細胞を無理矢理増殖させ、元の形に戻る。もはや、先ほどまで手にしていた直剣は持っていない。
切り替えた。勝てないから。過去の異物では勝負にすらならないから。
だから、これはきっと、彼女自身の能力なのだろう。最後の最後で出てくるのが自分とは何とも皮肉なものだろう。
だが、誰が出てこようと結局のところやることは変わらない。自分に出来る全力など、決まっている。以前説明した通り、私の持てる能力は大きく分けて二つしかない。肉体強化と数秒の時間操作。ただ、その単純明快さは時に凶器となりえる。
なぜならば、下準備が一切いらず、突発的に発動できるのだから……
目の前で細胞増殖をし続け、人間の形を保たなくなってきたエルフを見ながら、静かに拳を構える。黒い塊は不定形に動き、肥大化する。中心に四肢を繋ぎ、こちらを様々な感情で凝視しているやつを見てもどうとも思わない。
先へ————
限界を超え、その先へ—————
頭の中で反芻する言葉を嫌悪しつつ、倒すべき敵を見据える。
拳にありったけのエネルギーを注ぎ込み、敵の動きを見る。
ウォルタットにこの武術を教えたときは、苦労したものだ。なぜなら彼は私とは違い、生まれついての体格という名の資質が存在しない。故に、“受ける”のではなく“弾く”ことを主体に教えた。つまりアレンジだ。
だが、源流である私はその必要がない。ダメージを受けても怯むことなく反撃を打ち込める体を持っているからだ。
故に、巨大な触手が私に向かって振り下ろされようと、動じることはない。避けることもない。弾くことすらない。
————真正面から
右こぶしに込めたエネルギーを爆発させるように、振り下ろされた幅数メートルはあろうかという巨大な黒い塊に向けてアッパーカットを打ち付ける。
足元の地面が反作用で大きく抉れ、石畳に亀裂が走り、地鳴りを引き起こす。そして、訪れるのは……
閃光—————
あらゆるものを薙ぎ払うような旋風が巻き起こり、天を貫くような波動が弾け飛ぶ。それは例外なく黒く不定形の塊全てを弾き飛ばす。
曇天と黒い靄に覆われていたロンドンの街は一瞬にして、静寂に満ちた満月の夜に生まれ変わる。そして、目の前に存在していた災厄の獣は形を保てなくなったのか、真っ白になり、ボロボロと欠片となり崩壊していく。
私の右手は水蒸気に似た煙と共に、ところどころ筋断裂による出血でヒビが入っている。だが、それは元々備え持つ夜叉の回復力で即座に癒えていく。
深呼吸をし、呼吸を整えると、完全に決着がついたことが落ち着いて確認できる。だが、まだやるべきことが残っている。なぜなら、その爆風の中で両腕と下半身を失いながらも生存している化け物がいるのだから……
崩れ落ちたそれらの断片は白く、出血しているようには見えない。エルフはかすれたような息をしながら、仰向けに倒れていた。
終わらせる—————
もう一度、思考を加速させ、集中をし、彼女に歩み寄る。
覆いかぶさるように、彼女に馬乗りになって気づいたが、まだ意識はあるようだ。
「くひひ……終わり終わりおわr?」
「お前の負けだ。エルフ……」
「負け! 違うねぇ! 私の勝ちだぁぁぁぁああああああ!!」
—————瞬間
頭が唐突に揺れる。
私は失念していた。彼女が何らかの魔術で、相手を操れることを……
私の体は後ろに弾け飛び、自身の体の制御が奪われていく—————
「お前の体をもらいますよぉぉ!!くひひ!!」
壊れた思考回路が私の頭の中に入り込んでくる。自身の受けた苦しみにより生み出された執念。相手を絶対に貶めるという加虐の絆の成れの果て—————
私はそれを予測できなかった。彼女は最後の最後で、全てを失ってようやく人間として学んだ。オリヴィエが行ったその作戦をもう一度自分のものとして使うことで……。
状況は一瞬のうちに逆転する。
—————否
逆転などしていない。なぜなら、そんなことは起こらなかったのだから……。
敵には同情するしかない。だって、この私で無ければ、今の不意打ちは成功していたのだから……
————時間操作
戻したのはほんの数秒だが、それが起こる前に戻ってこれた。だからこそ、彼女が言葉を発すると同時に、飛ばされてきた小さな小さな蟲を捉えることができた。私は、それを素手で掴み取り、握りつぶす。
「残念。惜しかったね、災厄の獣さん」
そういって、私は心臓に狙いをつけ、拳を引く。その瞬間、エルフは酷く怯え、動揺したような声を出す。
「やめろ、それだけは……。その方法だけは! その殺し方だけは—————」
おそらくは過去に何かあったのだろうが、私の知ったことではない。やるべきことは変わらず、とどめを刺すだけだ。だが、拳を振り下ろそうとした瞬間に、今度は、最初に彼女を見たような笑顔に戻る。瞳も真っ黒に染まったものから白い眼球と淡い桃色の瞳に戻っていた。そして、彼女は最後に、こう紡いだ。
「どうしたんですか、マスター。そんなに怖い顔をして—————」
言葉は最後まで聞き届けることはなかった。振り下ろされた拳は正確にエルフの心臓を撃ち抜き、破裂させる。
それと同時に、エルフの体は全て真っ白に染まっていき、崩壊し、そして風に攫われるように消えていく。
そして私は実感した。全てが終わったのだ、と……
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