マスターシーン1:その聖女、流星の如く

 ロンドンの街は霧に覆われていた。それは、月の光さえも吸い込んでしまうような黒く、ひたすら黒い、禍々しい霧。

 蒸気機関によって生み出された白色の霧ではない。そこにあるのは、高濃度の何かを含んだ殺人兵器。もし、これで外を出歩こうものなら、普通の人間は死んでしまうだろう。ただし、彼女らのような超人はその枠に当てはまらない。


 石畳を蹴り上げる音が聞こえる。


 オリヴィエは走っていた。

 自分のしたことに対して罪の意識を拭えたわけでも振り切れたわけでもない。ただ、それより前にやらなければならないことがあるからだ。


 シスター・オリヴィエはこの街が大好きである


 治安は最悪。衛生環境もよくない。経済状況も芳しくはない。

 それでも、この街に住む住人の笑顔が大好きだった。この街のすべての景色が大好きだった。

 だからこそ、今、この状態を何とかするために走っているのだ。倒すべき敵は理解しているし、その場所も、この禍々しい気配の中心に向かえば問題ない。もちろん、彼女はたった一人で何とかできるほど強くはない。そのため、外部に連絡を取り、助けを求めようとした。だが、黒い霧のせいか、外部との通信は途絶えていた。


 彼女は即座に作戦を切り替える。チームを組めないのなら一人でやるしかない。頼れる存在はいるが、彼女はさきほどから連絡が取れない。

 嫌な汗を拭い去りながら彼女が霧の発生源にたどり着くと、そこには、少女が一人立っていた。


 日焼けの後が全く見られない雪のように真っ白な肌。透き通るような桃色の長髪。深紅に染まった瞳と黒く塗りつぶされた眼球。どこかで見たことがある……。いや、オリヴィエは彼女を一度目撃している。そして、接触している。

 だから、理解できた。


 彼女こそがすべての元凶なんだと


 なにか、沸き立つようなどす黒い感情が全身を駆け抜ける。それと同時に体の全ての感情が一瞬だけ暴れそうになる。どうにかそれを抑えつつ、オリヴィエは警戒しつつ彼女に歩み寄っていく。


 「あなた……一体何者?」


 その生物は、街に反響するように……脳内に直接呼びかけるようにエコーのかかった女性の声でしゃべりだす。

 「あら、あなたは確か……人殺しのシスターさん」


 その言葉を聞いた瞬間。オリヴィエの中の何かが切れた。肩が震え、拳が震え、瞳に炎が宿る。

 それは憎悪——————


 「お前が……お前が私を!」


 こうして、咆哮している間にも、あの日の仲間たちの亡骸はオリヴィエの脳裏を駆け巡る。もはや、どの記憶が正しくて、どの感情が間違っているのかなんてわからない。それでも、彼女にはたった一つの事実だけは理解できる。


 こいつだけは許せない


 こいつだけは生きていてはならない


 真っ黒に染まった感情は言葉を忘れさせ、彼女の体を勝手に動かし始める。

 右手に自らの刺突武器を錬成し、同時に地面を蹴りあげる。石畳は抉れ、それと同時に彼女の体は超常的に加速する。

 コンマ何秒もせずに彼女とエルフの距離はなくなる。オリヴィエは体を捻り、レイピアによる突きを繰り出す。それは、もはや人間の域を超えた魔剣の域。

 6発の突きは同時に繰り出される。そう、“ほぼ”同時ではなく、“完全に”同時に、だ。彼女の生きてきた地獄のような環境と、血のにじむような訓練により生み出された必殺の一撃。

 理性を失っているとはいえ、訓練によって染みついた体の動きは変わらない。彼女のレイピアは完全に獣の心臓を貫く……


 刹那—————


 たった一回の金属音が響いた。

 否—————

 一回に聞こえるだけで、実際は同時に複数の音が鳴り、一つに聞こえるだけである。気が付くと、彼女のレイピアは空中で止まっていた。それとぶつかっているのは、黒い靄が形を成している禍々しい鎌……。

 エルフは、ゼロ距離になるまで何もしなかったのにも関わらず、いつの間にか武器を抜き取り、そして6発全てを予測によって叩き落していた。

 それだけではない。いつの間にかレイピアが砕け散り、展開していた魔術全てが相手に喰われて消滅していた。そして、それを自覚すると同時に、オリヴィエの胸の中心から吹き出すように鮮血が弾け飛ぶ。

 傷は深く、オリヴィエは膝からゆっくりと崩れ落ちていく。

 夥しい量の血液が、石畳に広がっていき、その上に沈むようにオリヴィエは動かない人形となる。


 いや、これで終わるほど彼女は甘くはない。


 超常的な力を手にした時点で、その人間の再生力は常識を逸する。拳を強く握りこみ、歯を食いしばり、血に濡れた服や体を厭わずに立ち上がる。その瞬間、彼女の中の何かがミシリと音を立てて砕けた気がした。だが、それは同時に彼女のもう一度立ち上がる力を与える。

 確かに、彼女が殺したのかもしれない。そのせいで、絆はヒビが入り、もう使いものにならなくなっている。でも……だからこそ、その原因を作り出した彼女をどうしても許すことはできなかった。

 オリヴィエは朧げな視界ながらも、意識を保持する。未だに沸き立つ憎悪の感情を抑えている暇などない。むしろ、先ほどよりも強くなったように思える憎悪など、無数に存在する衝動のほんの一部とでも言わんばかりに、目の前の化け物の気配が変化したからだ。

 先ほどの攻撃の途中で変化しかけていたものが完全となる。

 黒い靄だった鎌は、オリヴィエの血液で真っ赤に染まり、そしてその形を表す。命を刈り取るような死神の鎌に刃は一つ。そして、踊り子のようにそれを振り回す彼女は、まるでこの狂った舞台の主役のようであった。

 

 オリヴィエが理解するよりも早く、彼女の体は切り裂かれていた。鎌を一振りすると同時に、その空間とオリヴィエの体は両断され、同時にそこからはい出てきたのたうち回るような血の獣に体中の至る処が食い破られていく。

 痛みなど理解する前に絶命する。

 痛みなど脳に到達する前に消え失せる。

 痛みなどこの憎悪の炎がすべて消し飛ばす。


 体のあらゆる場所が獣に喰われたように欠如し、体の上と下が分断された状態でなお、オリヴィエは体を再び動かした。足りなくなった部分は彼女の影が補うように修復し、両断された体は、切断面を影でつなぎ、物を修復するように治していく。

 まだ、彼女は壊れてなどいない。

 自らの業をその身で受けると決めた覚悟は彼女の体を壊したままでいることを許さない。ひび割れ、砕け、そしてもう一度立ち上がらせる力に変化させる。


 己の血液を沸騰させるように、感情の波を起こしていく。体のあちこちが限界を超える動きで悲鳴を上げているが、紛い物の血流操作でそれを強引に補っていく。先ほどの自らの攻撃と同時に行っていたものがようやく終わった。思考を整理し、もう一度倒すべき敵を見据えるとどうやらオリヴィエの前の怪物もまた、同様のことを行っているように見えた。ただ、こちらは自らの能力のように自在に行っている。

 深呼吸をし、感情の波を抑え込むと、相手の動きが少し観察できるようになってきた。あの技術や技の変化……どこかの文献で見たことをオリヴィエはあった。


 憑依経験————


 過去や未来の人物の技術をそのまま盗み取るものである。ただ、エルフのものは酷く劣化していた。引っ張ってこれるのは彼女が目にした人物のものと、元からインプットされていたものだけである。

 それをオリヴィエは理解してはいないが、万能とは程遠いことを観察眼で見抜いていた。だからといって現状が変わるわけではない。エルフは引っ張ってきた技に自分の技術を加えてアレンジしている。それに対処するためには、経験的予測よりも突発的反射に頼らざるをえない。

 オリヴィエは至近距離を保ったまま、僅かに身を引き、態勢を整える。そして、自らの拳に力を籠め、再びレイピアを生成する。

 心の紋に刻み付け、目の前の敵を倒すべき対象として再認識する。


 「私は罪を犯した。それは決して許されざる悪行—————。

   私は愚かにも、それを自らの力で拭い去れなかった—————」


 「—————それでも」そうオリヴィエは続ける。自らの手に握るレイピアに力を込めるように、自らの湧き出る感情の波を具現化させるように—————


 「私は人の役に立ちたいと思った—————」


 自らの記憶は、他人の思惑で操作され、最悪の事態を引き起こした。自らの地位も、思い出も、すべて紛い物で、自分の立っている足場など無いに等しい。

 結局のところ、心は空っぽで、人形のように動いている。

 だけれども、オリヴィエは人間であるから……。この街が大好きだから……

 そんなもののために死力を尽くせる。


 「だからこそ、改めて名乗らせてもらう—————」


 なにも持っていないはずのオリヴィエは堂々と、挑みかかるように、目の前の元凶にこう宣言した。


 「私は英国国教会所属、魔を断罪する神の代理人にして正義の執行者! シスター・オリヴィエ————ッ!!」


 剣圧は風圧へ、風圧は神圧へ。彼女の纏う全ての空気が変化する。私利私欲の憎悪の大罪は、公平な正義の鉄槌と矛盾し、混ざり合い、そして形を成す。

 オリヴィエの持つレイピアが淡く白色に輝き、そして彼女の後ろには純白の鎧をまとい、幅広の大きな大剣を握る騎士が現れる。

 彼女は宣言に答えたその傍らに立った騎士は静かに、彼女と同じ倒すべき敵を見据える。魂はなく、彼女の意思の強さに比例して動く人形。

 これこそが、彼女の切り札であり、彼女が持つ特殊な能力の一つ。いつの間にか呼び出せるようになっていたソレは彼女と一心同体。文字通りに、心も体も、だ。

 彼女の宣言を聞き届けた災厄の獣は、軽い拍手と同時に嘲笑してみせる。

 「よくできました。ですが、あなた一人でかてるのですかね」

 「勝てるわよ。あの人は言った、『これが私にできる懺悔だ』と……。それを為さないまま、死ねるほど、私は甘くないですから」

 「あぁ……蓮花さんのことですか……。でも残念、貴女を励ましてくれた彼女はもう、私が食べちゃいました」


 まるで、無邪気な子供の用に、エルフは自らの変わらないお腹をさすり、笑って見せる。だが、それに対し、オリヴィエは怒らなかった。むしろ、それすら貶すように笑って見せる。

 「そうですか。ですが、私のやるべきことは最初から変わりません」

 「あら、怒らないんですね。残念です」

 「そうやって、余裕を見せている暇があるなら、もう少し周囲を気にすることですよ」


 彼女の言葉を聞き、エルフは周囲を警戒する。だが、オリヴィエ以外の気配や、めぼしいものは何もなかった。それと同時に、エルフはようやく気付く。

 自分がほんのわずかにオリヴィエから意識をそらしたことを……

 この一瞬をオリヴィエは見逃さない。自らの思考を高速回転させ、煌めく突きを繰り出す。それと同時に、白騎士も動き出し、彼女とバディを組むように連撃を繰り出していく。

 対応が遅れたエルフは、当然ながら防戦を強いられる。

 オリヴィエは前に進み続ける。反省を生かし、さきほどのような単純な突きを繰り出すことはない。急所を狙うのではなく、急所より少しずれた位置を乱数軌道で狙う。

 それは剣戟を予測するエルフにとって致命的に不利な状況を作り出す。先ほどは事前の動きの予測で叩き落せたが、今度は強引な軌道変更によりデータにない予測が生まれ、予測軌道計算がエラーをはじき出す。連鎖的に積み重なったエラーは思考を遅らせ、やがて、回避できなくなるまで落ち込んでいく。

 その刹那の一瞬を見逃さず、オリヴィエは最後にその心臓を穿つ神速の突きを繰り出す。同時に、体を両断するような白騎士の横薙ぎの大剣がエルフに襲い掛かる。

 迎撃できる状態でなくなったエルフにとって、反撃など出来るはずもなかった。いままで同時に繰り出しても、こちらはそれを考慮してこちらに攻撃を仕掛けて来れたため、反撃をおこなえたのだ。だからこそ、最後の同時攻撃は、彼女の死を意味した。完全に体勢が崩れているため、何もできない。

 故に、煌めくレイピアと大剣は、エルフの敗北を告げる————


 そう思われた—————


 彼女は体を無理矢理に霧に変え、数歩後ろに交代する。霧となったものを貫くことはできず、虚無を攻撃するように、二つの光は消失する。だが、再び具現化したエルフの体力はごっそりと削れ、無傷ではあるが疲労が蓄積していた。

 軽く空を切り、再び構えなおしたオリヴィエの姿を見て、エルフは久方ぶりの“恐怖”実感したことだろう。

 それをみて、全身傷だらけで立っていることが不思議なぐらいのオリヴィエは不敵な笑みを浮かべ、頬についた血を拭って見せる。

 「怖いですか? 万能の力を手にしたのに、たった一人にここまでされるのが————」

 「何を——————」

 「教えてあげますよ。貴女が私に勝てない理由————。いくら貴女が本人以上にその能力を使いこなそうと、経験が足りていないんですよ」

 「経験? バカなことを——————。圧倒的な力の前にはそんなものは無意味なはず……」

 「いいえ、違いますよ。それを為せるのはカタログスペックのみで比べられる機械にんぎょうだけです。あなたが人間という土俵に降りている時点で、既にその理論は当てはまりません」


 「故に」と、オリヴィエは強く提言する。本当はオリヴィエも彼女が正しいことは分かっている。いくら経験を積んでいようと、圧倒的な才能や能力の前には無意味。だから自らの敗北も理解している。それでも彼女は強くたって居られている。それが、人形で、紛い物の心をもったエルフには理解できていなかった。

 そう—————人間の愚かさを……


 「貴女は必ず滅び去る。この剣に誓ってそれだけは言っておきましょう」


 高らかに宣言した彼女のレイピアの輝きが増す。同時に彼女の意思によって形作られた白騎士もまた、淡く輝く。それは神の威光のように神々しく、見る者を恐怖させていく。見据えるのは数歩先の予測。それはあらゆる防御と回避をかいくぐる最強の矛となる。

 エルフは冷や汗を拭いつつ、血の鎌を消し去り、一冊の魔導書手に取る。それは、開くと同時に鞭のようにしなる、漆黒の触手を生み出していく。

 変化させた。切り替えた。戦略を、攻撃方法を、反撃方法を—————


 動き出したのはエルフが先だった。赤子のごとく、にじみ出る恐怖を抑えきれず、魔導書により生み出された触手を振るう。空間の裂け目から伸び、予測不可能に放たれるその鞭は空気を切り裂く音と共に周囲のあらゆるもの破壊していく。

 だが、それは先ほどの命を刈り取る鎌よりも遥かに劣る速度と威力であった。そんなものは、オリヴィエには通用するわけはない。彼女の後ろの白騎士ともども、すべて例外なく叩き通していく。いや、それだけではとどまらず、同時に前進し、無限に行われる猛攻をかいくぐり、再び刃が交差する距離まで肉薄する。


 オリヴィエは容赦なく、相手を絶命させるように喉元にレイピアを突き刺す。今度は確実に仕留められるように、同時に前方に剣圧を飛ばす。だが、何故かエルフはよけなかった。

 首だけ彼女は吹き飛び、剣圧で円状にエルフの体は穿たれ、黒い靄のように崩壊し始める。

 「くひ—————。くひひひひひひははははははははははははははははははははははははは!!」


 エルフは頭部だけで笑っていた。

 まるで、自らの痛みを待ちわびていたかのように————


 瞬間—————


 残された体の方が爆弾のように砕け散り、一つ一つが絶命の槍となりえる死のとげを噴出する。爆風と共に周囲の建物や街灯ごと全てを薙ぎ払う。遠くにいた人物でさえ絶命しうるそれを至近距離で受けてまともに立っているものなどいるはずもない。


 「かかったわね。あぁ、すっきりするわぁ、目の前で無様に死んでいく人間を見るのは!!」


 恐怖を押し殺すように、靄で再生させた体で再び立ち上がりつつ、土煙に覆われた地獄を見る。だが、その瞬間に風が巻き起こり、切り裂かれた土煙から誰かが姿を現す。

 それは、軽く体の調子を整えているオリヴィエと、その後ろでさも当然のように無傷でいる白騎士だった。

 憎悪の風によって巻き起こされたそれを、オリヴィエは怪我をせず切り抜けていたのだ。おそらく、二度とはできないが、やり方は至極単純であった。一度、オリヴィエという人間を殺し、それを魂から再構築することで、前から負っていた傷ごと再生させる蘇生術。死んだ直後にしかできないリロード。

 体の構造を細部まで理解しなければいけないため、現在の精神疲労から考えて、しばらくの間、出来ないような技だ。しかしながら、初撃を切り抜けたという事実は残っている。

 「危ないですね。今のは、流石にダメかと思いましたよ……」

 「——————っ!!」


 煙をかき分けるように走り出し、レイピアを持つ手に力を込める。それは煌めく流星のように加速し、絶命の剣戟となる。精神力の限界は近い。体力の限界も近い。だというのであれば、これに全てを乗せるだけである。

 彼女の加速は物理法則を超え、エルフの予測計算速度を上回る。

 時間がスローモーションのように流れていく————

 歯を食いしばり、己の武器を突き出すオリヴィエ。それはエルフが生み出した鏡に映し出され、虚構と現実が入れ替わり始める。鏡から彼女と同速度のレイピアが出現し、オリヴィエの心臓を穿たんと迫る。

 だが、これを彼女の後ろの白騎士が素手で握りつぶして止める。

 オリヴィエは止まらない。石畳にしっかりと足を踏み出し、全身全霊の突きを生み出す。もはや、ここまでくればエルフはよけることは叶わない。


 オリヴィエが完全に勝利した——————


 そう、思われた。だが、その考えは甘かった。彼女のレイピアは確かにエルフの胸を貫き、致命的な一撃を与えていた。しかしながら、エルフは倒れていなかった。


 足りなかった—————


 オリヴィエは度重なる体への負担で、その流星の威力が減衰していたのだ。かつて、とある少女が輪廻の獣を仕留めきれなかったように、他に割いた結果、足りなくなってしまったのだ。

 胸を貫いたレイピアは心臓を穿つだけで停止し、それ以上はなかった。彼女の不死性を全て削り切るまでには至らなかった。

 彼女の精神力が底をついたことにより、白騎士とレイピアは光に融けていけていく。それに引き換え、エルフは穿たれて大きな穴が開いた体を修復し始める。黒い靄が即座に体を繋ぎ留め、そして元の形に戻る。


 彼女の停止を確認し、彼女は再び切り替える。今度は今までのような、願い半ばで折れた戦士ではなく、歴史に名を残した英雄に……

 黒い靄は幅広で、黄金の柄に蒼い宝玉が埋め込まれた直剣に変化する。そして、静止しているオリヴィエの胸をためらいなく貫いた。


 抵抗する間も、余力もなく、オリヴィエの胸から鮮血が飛ぶ。串刺のごとく、胸の中心を貫かれたオリヴィエの敗北は決した。元より、勝利する可能性などありはしなかったが————


 「愚かな人—————。ここに来なければ死ぬこともなかっただろうに……」


 刹那—————


 彼女が持つ竜殺しの剣を誰かが強く握った。それは、口から血を出しながら、こちらを闘気の籠った強い瞳で見つめているオリヴィエだった。オリヴィエの最後のもがき—————


 否——————


 この最後の攻撃こそ、彼女が狙っていた唯一の勝機だった。彼女は一度、自分のレイピアが消し飛ばされたのを目撃している。だからこそ、経験により少しの間、それを再現することができる。この超至近距離で、完全なる不意打ちである今ならば、初見の技ですら命中する可能性が高いのだ。

 オリヴィエは己の拳を握りこみ、剣がさらに肉を切り裂くことを厭わず、前へ踏み出し、左拳を突き出す。


 「いつまで寝てるつもりですか……私のヒーローさん……」


 彼女は確かに余力の全てを振り絞った。しかしながら、それはとっさに構えたエルフの右手により防がれてしまう。

 だが、触れた—————


 触れてしまった。彼女の左手に—————

 かつて、自身の鎌に付与した全てを喰い破る獣の……その散滅の牙に—————


 たしかに、オリヴィエという存在は、災厄の獣に勝てない。でも、それは彼女一人ではという上での話だ。

 彼女は救われた——————。


 それは単なる気休めだったのかもしれない。それでも、前を向く勇気はもらえた。道を示してもらえた。

 無責任でもなく、偽善者でもない、そんな口の悪いヒーローに……

 だからこそ……蓮花という少女の言葉があったからこそ、ここに立てている彼女が、蓮花という存在を信じないわけにはいかない。


 であれば、オリヴィエは彼女が生きている可能性を模索しないはずがないのだ。彼女の生存を否定するわけにはいかないのだ。


 絶対に——————



 はじめは、「……まさか」なんて思ったこともあった。

 「……できるわけがない」なんて思ったこともあった。



——————でも



 それは計算的かつ計画的に行動に移せる確証を得たことで、それは消し飛んだ。

 なぜなら……


 ———蓮花彼女の展開した人避け結界ワーディングがまだ生きているから



 だというのであれば、彼女は未だに生存している。それはエルフという存在の中であることは化け物の口から割れた、あとはそれをどう引きずり出すか—————


 コピーによる瞬間的模倣ならばできる。

 瀕死の状態から、強引に体を動かせる思考の予備も存在する。

 相手はご丁寧に、その魔術を見せてくれた。


 これだけの好条件がそろっているのならば、あとは自らの死力を尽くし、災厄の獣の思考を削ぎ落としていき、この一撃だけを悟らせないように振舞うだけ—————

 これこそが、オリヴィエという存在が暴走を鎮静化させたときに、瞬時に頭を駆け巡った作戦である。

 それは有効的に相手の術を打ち破った。


 オリヴィエの使った魔術は相手が持つありとあらゆるものを喰い破るものであった。執念により形作られた一部のものは消し飛ばせなかったが、それでも彼女を飲み込んだものには届いたであろう。

 剣が振るわれ、オリヴィエの体が石畳の上を無様に転がると同時にその変化は訪れる。



 —————激痛



 まるで、寄生虫に体の中を喰い破られるように、エルフの体のありとあらゆる感覚器官が、警笛を鳴らし始める。エルフは、もがき苦しむように、暴れ始め、地面に倒れ伏したオリヴィエを憎たらしく凝視する。


 「貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様——————っ!! 私の体に何をしたぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」



 飛び出しかねないほど、黒い眼球を動かし、エルフは本物の獣のように咆哮する。もはや崩壊は止まらない。敗者となり地面をうつぶせに転がっているオリヴィエは、傷だらけの体を動かし、「ざまぁみろ」と嘲笑してみせた。

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