ミドルフェイズ7:半世紀ぶりのスカート

 あれから2日ほど時間は流れた。ロンドンに帰宅し、オリヴィエに定期報告をし、いろいろ調べてみたところ、ある程度の裏は取れた。どうやら、ジェラルドの言っていることは正しかったようだ。まず、「オリヴィエ」という少女は確かに正式なシスターではなかった。彼女はロンドンで生活していたクリスチャンで、以前から教会に通い、また教会の仕事をそれなりに手伝っていたようだ。孤児ということも大きく、育ての親が神父であったという。ただ、ウェントミニスター寺院を含む複数の教会で退魔師が失踪し、現在MI6が行方を捜索している時期と、彼女が寺院の実権を握りだした時期が一致しているため、一概に彼女が裏切り者で無いと決めつけるまでには至らなかった。

 次にエルフという女性についてだ。細かい情報は出てこなかったが、最近この街に引っ越してきたらしい。私と同じように大陸浪人と言ったところだろう。現在は街はずれの喫茶店で働きながら生活しているようである。


 以上がロンドンに帰ってから私が手に入れた情報である。そして、今日はウィッカについての情報と引き換えにやらなければならないことになった、エルフが働いている喫茶店の手伝いである。

 朝早く起きて、職場につくなり、あの女……。あぁ、思い出しただけでもイライラする。どうして、着いてから急用で休んだ人がいるのを伝えるんだ……。なーにが、「ごめんあさいー。友人に頼んで増やしてもらえませんか?」だ。契約違反も甚だしい。

 これが、うちの下宿先の親父さんと仲がいい店主じゃなかったら断ってたところだぞ……。よりにもよって、一度飲みで顔を合わせた人の店だなんて思わなかった。いや、わかってて初めから店を言わなかったのかもしれないが……

 何れにしても、断るに断れなくなり、仕方なく下宿先に連絡。要件を伝えて応援を頼む羽目になった。幸いなことに今日は祝日でベッキーがこっちに来れるようだ。そのついでにウォルタットも引っ張ってこれる。これで何とか人数は事足りる。

 だが、逆を言えば祝日であるが故に客は多い。酒類は取り扱ってないが紅茶に飢えたブリティシュたちはそちらがメインで来る。戦時下ではあるが、ここの紅茶は安くておいしいと評判なのだ。私も一度飲んだことがあるが、確かにその情報は正しかったと言っておこう。


 喫茶店の店主にペコペコと頭を何度も下げられながら、軽く挨拶をし、更衣室に入る。その後ろには休日を潰されたことに不貞腐れているベッキー。目の前には確信犯エルフ。満面の笑みで迎えられると少しやりづらい。

 このところ……というか、朝早くにエルフと待ち合わせをしてからどうにも調子が悪い。彼女を見ていると、仲よくしようとは思うのだがどこか拒絶してしまう。私にはその理由がわからなかった。だが、そんなことを気にしていても仕方がないため、私はため息を吐きながら慣れない手つきで喫茶店の制服を着ていく。いつものノースリーブTシャツを脱ぎ、傷一つない滑らかな肌を空気にさらす。

 ——————て、なんか視線が……

 「なに、なにかついてる?」

 感心するようにこちらを眺めているベッキーと、うっとりとしたようにこちらを見ているエルフ……そんなに眺められると逆にどうすればいいかわからなくなる。ベッキーは自身の体を何度もさわり、その違いを確かめているようだ。

 「いえ……世の中は不公平だなって……。あれだけゴリラみたいな行動をするんで、背中とかお腹とか、筋肉モリモリマッチョメンのゴリラかと思ってたのですが……なんですか、その箱入り娘みたいな白い肌……」

 「あー、まぁ……飲み食いしても特に変わんないし……それに、喧嘩の時は筋肉で振り回してるわけじゃないからね。—————って、それよりも誰がゴリラじゃい!」

 「事実でしょ。えっと東洋の方のことわざに確か……立てばゴリラ座ればゴリラ歩く姿は百合の花ってやつが……」

 「どんだけゴリラ押しなのよ! 一回、その頭蓋骨を握りつぶしてやろうか?」

 

私がそうやって半笑いしながらベッキーの頭を掴んで持ち上げる。おおよそ女子とは思えない悲鳴を上げながらベッキーはもがいているが、そのそもこちらの男子と遜色ない体格の良さと比べて、中等教育課程のおこちゃまの腕の振り回しなどたかが知れている。

だが、そんな拘束も唐突な攻撃によって中断せざる負えなくなる。

 「——————って、エルフ! あなた何処触ってんのよ!」

 「どこって、大きな大きな桃源郷です!」


 瞳を輝かせ、鼻を自慢げに鳴らしながらこちらの胸を揉みしだいている輩に、死なない程度に手加減した回し蹴りをかます。依頼主であろうと関係ない。2回転半ロールしながら物置棚に激突したエルフだが、魔女だけあって特に怪我はしていないようである。それどころか、手の感触を確かめているのか、両手を眺めて何度も開閉していた。とりあえず、お前は何故全裸なんだ。せめて下着をつけろ……。いや、着替え中だからいいのだろうか。

 あぁ、こいつの肌はちょっと人間であることを疑うような、不健康そうな白い肌だ。己のメラニンを排除して最適化でもしているのかと疑いたくなる。

 そんなことをしていると、なぜかエルフが地獄を見たように暗い顔をした。

 「この大きさ……。両手に……収まらなかった……」

 「どうやら、蹴り足りないようね」


 私が手の関節の骨を軽く鳴らしながらエルフに近づくと、後ろから殺意に似た嫉妬の念が背中を突き刺す。

 「どうやら、やらなければならないことが来たみたいね……」

 「ベッキー……あっても邪魔なだけだよ?」

 「それでも、譲れないものがあるのよ!!」

 「というか、ベッキーは成長期なんだから関係ないでしょ。ちょっとは将来に希望を持ちなさいよ」

 「あ、そっか……これからあたしは成長して……お前なんか超える魅力的な……」


 刹那—————


 不幸とは連鎖的に起こるものと言われているが、本当にその通りだと思う。何故、どうしてメイソンとウォルタットがこの更衣室の前で呆然と立ち尽くしているのだろうか。

 いや、冷静に頭を巻き戻そう。

 そうだ、たしか……ベッキーが叫び声をあげて、私が大きな物音を立てて……それを裏付けるように男どもは妙に焦った様子で飛び込んできて……

 そういえば、あとからなんか届けるって言ってたっけ……。ということは、こいつらは何か事件だと思いここに駆けつけた、ということか。何とも哀れな……


 後に聞こえてくるのはベッキーの断末魔。

 私は別にみられて恥ずかしい体をしていないので、頭が冷静になり、面白そうなので傍観を決め込む。

 エルフも妖艶な笑みを浮かべて傍観を決め込んでいる。

 あぁ、何とも可哀そうなメイソンだ。次々と投げつけられる日用品を回避しきれず、頭にクリーンヒット。ウォルタットは平然と避けている……。

 むぅ、これは流石に不公平だな。かわいそうなのでベッキーの下着でも丸めて投げてやるか。

 そう思って軽く腕をスイングする。当然のように下着は加速し、もはや柔らかい布とは思えない衝撃力を持ってウォルタットを弾き飛ばす。まぁ、無知であることもあって、彼は無表情だった。そのあたりもあとで教育しないと将来大変そうだ。そう思いながらベッキーにマウント取られてぽかぽかと殴られている彼に敬礼をし、私は知らんぷりして着替えを始めた。





 準備段階で大事件が起きたものの、その後は順調に店が繁盛していく。それと同時に、こちらはせわしなく働く羽目になっている。半世紀ぶりにスカートを履いた気がするが、やはりどこか落ち着かない。

 なんかこう……鼻の下を伸ばしているやつの顔面を殴り飛ばしたくなる欲求に狩られつつ、一通りの作業をそつなくこなす。こういう営業は苦手ではないが得意でもない。大きなミスこそしないが、細かい作業が要求されると、ちょっとしたミスが生まれてしまう。

 他の人物たちはどうかというと……ベッキーは元からの職業なので何ら問題はなく、笑顔も完璧にこなす。エルフは、ここの店員なので普段通りに動いているだけのように見える。あとは……額が真っ赤になっているメイソンは奥の方で皿洗いしているのでよく見えない。

 最後にウォルタットは……ベッキーの嫌がらせで女性用の給仕服になっているが、まったく狼狽えていない。というか、着せたときも「着ればいいんですね」と恥ずかしがる様子すら見せなかった。鈍感なのか無知なのか甚だ疑問だが、遠目で見て普通に女子に見えるのはきっと気のせいであろう。元より、体の線が細く、間違えられても仕方ないと思っていたがまさかここまでとは……

 「へーい、そこのお姉さん。紅茶もう一杯!」

 「はーい! 今行きますよ!」

 そういって、奥のカウンターに戻り、即座に紅茶を取って持ってくる」

 そして、私なりに丁寧にテーブルの上に紅茶置き、一礼して立ち去る。そんなとき、その客がわざとらしく声を荒らげ始めた。

 「あれれー、ミルクが足りないなー、どういうことなのかなぁ?」


 お前が頼んだのストレートティーだろ、と内心思いながら、営業スマイルで対応。問題はなるべき避けるのが望ましい。

 「申し訳ありません。今、ミルクティーにお取替えいたしますので」

 「いいよー。こいつにミルク入れるから! ほーら、お姉さんのミルク頂戴よ!」


 無遠慮に私の体に触れようとする不埒な輩がいるようだが、それを見たそいつの友人らしき男は、誰に喧嘩を売ったのか理解しているらしく、顔が青ざめていた。これでも、ロンドンという街では、縄張りこそ持っていないがアホどもに手が出されない程度には危険視されていると思っていたが、まだこんな奴がいようとは……

 まぁ、ここは店に迷惑をかけずに済ませよう。そう思いつつ、伸ばしてきた男の手首をつかみ上げ、そのまま握力で締め上げる。男の悲鳴に似た叫び声が聞こえたが、知ったことではない。

 「あらら、申し訳ございません。当店ではそのようなサービスはないものでして」

 「いつつ……テメェ、この俺を誰だと思ってやがる! 俺はヴィス————」


 相手の名前……というよりは組織名を聞く前に男の体は錐揉み回転しながら石畳の上に転がっていく。倒れたのは椅子だけであり、テーブルの上の紅茶が一滴もこぼれていない。どうやら、きちんと制御できたようである。

 「あ? ごめん、なんて言ったか聞こえなかったんですけど、お帰りいただけますか、お客様!」

 一撃で昏倒してしまった男の相棒らしき人物が大慌てで代金だけ多めに払い、彼を担いで出て行ってしまう。その最中、街を歩いている誰かと、ぶつかり転倒。

 よく見ると、それは修道服の女性であった。白色のカチューシャで透き通るような蒼色の長い髪を止めた女性。私が心当たりのある中で一人しかいない。そう、あのオリヴィエという女性だ。

 マフィアらしき男は立ち上がり、「気をつけろ」と言い放って、私から逃亡しようとしている。というか、大の男と正面衝突してよろめきもしない彼女のフィジカルは以上ではなかろうか、と思いつつ。もう少し様子を見守る。

 いや、その前に私の脚は動き出していた。


 なぜなら、オリヴィエが手の中にレイピアを錬成し、離れようとする男の背中を無慈悲に貫こうとしていたのだから……。いや、思えば彼女は出会うときいつもどこかしらに血の跡がついていた。

 ロンドンに戻ってきたとき、夜の駅で話していたときに彼女は返り血で服が汚れていた。彼女は「魔女との戦闘があった」と話していたので、私もそれを信じて特に気にはしていなかったが、今の状況を見るとそれすら疑問に思えてしまう。

 なぜなら、彼女が今、手にかけようとしているのは明らかに一般人だ。普通の市民とまではいかないが、少なくとも魔女宗の連中ではない。初対面であったときはそんなに短気な性格に見えなかったが、彼女はそういう性格なのだろうか。

 いや、答えは否だ。そんなはずはない。だからこそ私は、突き刺そうとした彼女の腕を掴み強引に静止させた。そして、こう尋ねたのだ。


 「何をしている」


 返答は……少しだけ遅れて、やってきた。教会で話していた時とは違い、機械のように無機質な声質で……

 「彼らは魔女宗だ。ならば殺さなければ—————」

 「違う。彼らはただの人間だ」

 「お前こそ、何を言って——————ッ!!」


 言葉の途中で彼女が頭を押さえて苦しみだした。だが、それはほんの数秒だけ。彼女は己の中の何かを燃やし、強引に意識を繋ぎなおす。そして、現在の状況を理解できずに困惑し始めた。

 「—————って、何を……」


 逃げ切ったであろう男たちの背中。そして、自分の手に握られたレイピア。それが何を意味するのか理解できないほど、彼女は愚かではない。だからこそ……むしろその先を直感的に理解してしまったからこそ、狼狽した。

 こんな時、人間がとる行動はおおよそ3つ。


 動けなくなるか、逆ギレするか、逃げるか


 彼女は3つ目の「逃げる」を選択した。私の手を強引に振り払い、俯きながら道を歩く人とぶつかることを厭わずに走り出す。私も即座に反応し、店に大声で謝ると同時に、時間を貰う旨を伝える。

 「ごめん、ちょっと行ってくる!」


 戸惑うベッキーの声が聞こえてくる。それと同時に、エルフが焦らずに私に声をかける。

 「待ってください」

 「ごめん、後にして!」


 そういって私は彼女を無視して走り出す。それを見てエルフは少し困惑したようだったが、今は気にしていられない。ともかく、オリヴィエを見失わないようにしなければ……

 そう思い、私は日が沈みゆくロンドンの街を背中に伝う嫌な汗と共に駆けるのであった。

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