異邦人、ダンジョンに潜る。外伝、老人の剣。 【15】


【15】


 朝方、宿の地下からダンジョンに忍び込んだ。

 避難に使用するためか、ダンジョンには明かりが設置され、整備され、モンスターの気配もない。ダンジョンというより、先の見えない長い地下通路に見える。

 老人は、剣の柄で壁を叩きながら歩く。

「爺、何してんだ?」

「横穴を探している。ダンジョンは侵入者を迷わせる作りだが、ここは直線で不自然だ。後から作り直したのだろう」

 ガン、ガン、ガン、という音がしばらく続き、コンと軽い音が響いた。

 老人は剣を引き抜く。

 少年には見えない剣撃を放ち、壁を綺麗に切り取った。

 壁の向こうは無明の闇だ。

 老人は少年にカンテラを渡し、先に行けとアゴを動かす。

「好きにやれ。後ろでケチをつけてやる」

「私は剣を学びたいのであって、ダンジョンの攻略に興味はないぞ?」

「知るか。やれ」

「やれやれ」

 カンテラの頼りない明かりが周囲を照らす。また直線の道だ。やはり、先は見えない。

 渋々、少年は闇に向かって進む。

 特に考えもなく足を動かし、

「おっ」

 何か動くものを見つけ、足を止めた。

「爺、あれはなんだ? 斬っていいか?」

 白い蛇に似たものが、壁に張り付いている。

 太さと長さは成人男性の腕ほど、よく見ればとても小さい手足がある。

「やめろ。こいつは益獣だ。死肉を食らって、ダンジョンの清掃をする。そして、寿命がくると床や壁に同化して補修を行う。臆病で人前には滅多に現れないが、捕食者のいない環境で生まれた個体なのだろう」

「つまり、モンスターはいないってことか?」

「“普通”のはいない。生態系を潰して、安全を確保したのだろう」

「生態系を潰す? そんなことできるのか?」

「やろうとした奴は多い」

 進め、と老人は小さく言う。

 少年は進む。警戒して歩いているのだが、老人から見れば隙だらけで荒が多い。

「っと、爺。分かれ道だ。どっちが正解だ?」

 通路は左右に分かれていた。

「当ててみろ」

「左だな。方角的に」

「右だ」

「なに? 城はこっちだ。私の方向感覚は間違ってないぞ」

「見ろ」

 老人は小石を拾い、来た道に向かって転がす。

 すると小石は“上に落ちて”天井を転がる。

「闇で見えにくいが、このダンジョンは捻じ曲がっている」

「重力が違うのか。全く気が付かなかったぞ」

「感覚が甘い証拠だ。暗中では目を頼るな」

「何を頼れと? 耳か?」

「勘だ」

「まーたそれか。続いて経験を積めと言うのだな?」

「そうだ」

「うぐぐ」

「さっさと進め」

「うぎぎ」

 少年が妙に悔しそうなので、老人は気分よく歩けた。

 少年は小石を投げつつ通路を進む。相変わらず飲み込みは早い。捻じれた分かれ道を迷いなく進み、老人の勘でも城に近付いているのは間違いなかった。

「ガキ、一つ聞き忘れていたことがある」

「なんだ?」

 迷いなく進み始めた少年に、老人はたずねた。

「人を斬ったことがあるな?」

「ある」

 これも勘だ。この程度は並みの剣士なら誰でもわかる。

「どんな奴を斬った?」

「酔っぱらった冒険者だ。買い物中の姉を襲ってきたので、急所を蹴り潰した。だが、激昂して剣を抜いたので斬り殺した。報復は怖いので、そいつの仲間も殺した。その仲間の縁者に、そこそこの冒険者がいたので先回りして殺そうとしたら、父上に捕まってボッコボコにされて城の牢に入れられた」

 豪気な話だ。

 老人は、少年が一瞬メルム本人に見えてしまった。あいつも似たようなことをしていた。

「私は間違っていない。家族を守るために戦うのは正義だ。父上は、私を褒めるべきだった」

 思い出して拗ねているようだ。

「お前は間違っちゃいない。『冒険者は、武装が正装』。なんて言葉があるが、あれには元になった言葉があってな。『剣を帯びたなら、常に正装の場と思え』だ。正装の場で、酒の勢いで女襲ってガキに殺されるような馬鹿は、冒険者としても、人としても下の下だ。そんな奴の仲間も大したもんじゃない」

「爺もそう思うか!」

 少年は嬉しそうである。

「だが、お前の親父の気持ちもわかる。何で頼らなかった?」

「それは、私一人で問題ないと思ったのだ。実際―――――」

「甘い判断だ。お前は人の繋がりを甘く見ている。報復を恐れるなら、頼れるもの全て頼ってから仲間の処理をするべきだった」

「むぅ」

 と、老人は冷たい気配を察知した。

「止まれ」

「お、行き止まりだぞ」

 カンテラは壁を照らす。

「また斬って進むのか?」

「待て」

 老人は壁に触れる。

 指先で壁の繋ぎ目を見つけた。更に、下の方に隠されたボタンを見つけ押す。

 壁がスライドすると、広い部屋が現れた。

「爺――――」

 老人は、目で少年を黙らせた。

 通路より明るい部屋だ。中心に、鎧を着た骸骨が鎮座している。骸骨の傍には、両刃の騎士剣が床に刺さっていた。

 普通の死体ではない。鎧は数々の爪痕でボロボロなものの、剣の劣化は異常に少ない。

(こいつは、動くな)

 老人は少年を押し退け、一歩前に出る。

 骸骨の瞳に緑色の明かりが灯る。

 老人がもう一歩進むと、骸骨は剣を手にした。

 更に一歩進むと、骸骨は剣を大上段に構える。

 空気が張り詰める。

 剣一本の威圧感ではない。巨人が大槌を振り上げているような威圧感だ。

 老人は一歩下がる。

 下がり、少年の位置まで戻ると、骸骨は静かに元の体勢に戻った。

「迎撃用の魔法仕掛けだな。古いものじゃない。つまりは、この先が城で間違いない」

「強いのか?」

「強いな。こういうのは、単純な仕掛けほど強い。飛び道具があれば………いや、そっちが本命の可能性もあるか。おい、ガキ。やってみろ」

「うむ、いいぞ」

 少年は刀を抜き、歩き出して、骸骨が構えると同時に動きを止めた。

 一瞬だけ、何かを感じ取って足を止めた。

 そして、刀を骸骨と同じように上段に構え。斬りかかろうとしたところで――――――老人に襟首を引っ張られて退かされた。

「ひょわっ!」

 骸骨の剣が、少年の鼻先をかすめた。

 老人が引かなければ、間違いなく両断されていた。

 物理的に倒すのは難しい敵だ。そうでなければ、城の防御には使わない。

「ガキ、基本の基本だ。斬れぬと一欠けらでも思ったら戦うな」

「いやいや、いやいや、今いけたと思うが? そりゃちょっとは斬られたかもしれないが」

「馬鹿が。その“ちょっと”は致命傷だ」

「一回斬られたかもだが、耐えて倒すぞ。私は」

 老人は、あることに気付いた。

 頭の痛い事実だ。

「俺も衰えたな。五年前ならすぐ気付いた」

「何なのだ?」

「お前は向こう見ずが過ぎる。親父にそっくりだな」

「いや、私は父上に似てないぞ」

 顔は全然似てない。

 だが精神性は、悪い意味で似ている。

「あの野郎、犬に狼の躾をさせるな。皮肉かよ」

「さっぱり、わからん」

「もう一度言う。斬れぬと一欠けらでも思ったのなら戦うな。逃げろ」

「でも、男には退けぬ時もあるが?」

「退けぬ時に、足りぬ力量を持つな」

「納得できん」

「納得などするな。これは命令だ。お前より強い俺が言っている。つまり、正しい言葉だ」

「うぐぐ」

 文句を言おうものなら、老人は叩きのめすつもりだった。少年もそれをわかっている。

 このガキは、父親に甘く育てられた。

 こと剣に関しては間違いなくそうだ。

 半殺しにしてでも、血に流れる習性は潰さねばならぬというのに。

 少年は、不愉快な感情を全面にだして声を荒げる。

「で! 私より強い爺は、アレをどう倒すのだ!」

 刀が骸骨を指す。

 結構な敵が、几帳面に待っている間抜けに見えた。

「もう一度斬りかかれ! 俺が刃を受け止めてやる!」

 老人も、侵入していることを一時忘れて声を張り上げてしまった。

 ガキと、その父親、両方に腹が立っていた。何よりも―――――――

「そうか! わかった! 私が死んだら爺のせいだからな!」

「さっさと行け!」

 やはり、メルム似かもしれない少年は進む。

 骸骨が動く。

 老人は動かない。

 少年は臆さない。

 刀と剣が振り上げられ、少年の背に緊張を感じた。

 白刃が交差する刹那、老人は動いた。

 老体とは思えない速度。爆発するような勢いだが、技の緻密さは針穴に糸を投げ込むかの如く。

 振り下ろされた骸骨の騎士剣を、老人の剣が捉える。

 膂力、剣の硬度・靭性、その他何もかも、老人は骸骨に負けていた。

 だが、劣っていることが負ける理由にはならない。

 優っていることが勝てる理由にもならない。

 命のやり取りとは、そんな不確かなものなのだ。そして、今は老人が勝った。

 老人は、剣の切っ先で、骸骨の剣を受けた。

 頑強な騎士剣の、ほんのわずかにあった刃こぼれを剣の切っ先がえぐる。亀裂が走り、鋼がこぼれ、騎士剣は半ばから突き砕かれた。

 狙ってやったのだ。偶然ではない。

「オオおッ!」

 吠えた少年が、骸骨を両断する。

 鎧をものともしない優れた斬撃だった。見え見えとはいえ、確かな技だ。当たりさえすれば、大抵のものは殺せる。

「よし! これは半分私の勝利だよな?」

「ああ、そうだ。半分喜べ」

 まあ、勝ちは勝ちである。

 少年は小躍りしていた。すぐ調子に乗るのは、こいつの悪い個性だ。歳を取れば直るのだろうか? 老人の若い頃も似たようなものだった。

「むっ」

 老人は咽た。

 大きく呼吸を乱して咽た。

「え、おい、爺!」

 気にするな。問題ない。と、言葉がでない。

 間抜けなことに、老人は両膝をついて血を吐いた。結構な量を吐いて、落ち着いた。

「気にするな」

 ようやく言えた。

「引き返そう。すぐ治療術師に見せよう」

「無駄だ。病じゃねぇ。寿命だ、寿命」

「私に退けとか教えておいて、自分は良いのか?」

「良い。それにこいつは、戦いじゃなくて自然の問題だ。赤子が泣くのと同じで、老人は死ぬのが自然なことだ」

「まさか、王子と刺し違えようとか考えているだろ? 獣人軍は抜けたのだろ? もう、そんな義理なんてないはずだ」

「そうだな」

 想像するような敵であってくれるなら、死に花を咲かせたい。老人は心の隅で、そう考えていた。

「駄目だろ。私の稽古はどうするのだ? 途中で投げ出すのか?」

「必要なことは教えた。守るか捨てるかはお前の問題だ。俺には関係ない」

「何という無責任な。一度面倒見たら最後までって、習わなかったのか?」

「知らんな」

 肺と心臓の痛みが落ち着き、老人は立ち上がる。

 膝が震えた。

 関節がバラバラになりそうだ。

 忘れていた古傷まで痛み出す。

 体が鉄クズになったかのよう。

 手の震えは、剣を力強く握りしめれば止まる。

 後、一回。

 後一回だけは、剣を振るえる。十分だ。

「進むぞ」

「爺、考え………………直すわけないか」

「そんな時間はない」

 骸骨を通り過ぎ、老人と少年は進む。

 上に続く階段は、すぐ見つかった。小さな扉を、少年が斬って開ける。

「うげ、爺。この匂いは」

 城の空気が地下に流れ込む。濃密で、滴る、血の匂いだった。

「ああ、どうやら先客がいるな」

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