異邦人、ダンジョンに潜る。外伝、老人の剣。 【12】


【12】


「うーむ、わからんぞ」

 少年は、木の上で考え込んでいた。

「いいから降りて来い」

「降りても同じことの繰り返しではないか、なので降りないで考えている」

 木の下には、薪を持った老人がいた。その薪で少年をかっ飛ばして木の枝に引っかけたのだ。

「木が痛む。さっさと降りろ」

「教えてくれたら降りてやる」

「何をだ?」

 こういうやり取りが何回目か、老人は忘れてしまった。

 うんざりする回数なのは確かだ。

「なんで私の攻撃が当たらないのだ? 爺は関節を庇いながら動いているはずなのに、私より速いのは納得いかない。意味がわからない」

「勘だ」

「ええっ、そんな一言で」

「事実だ」

「コツとかあるのではないか?」

「ない」

 ようは、流石の少年も負け続けて凹んだようである。

 若い者に道の長さを説いても納得はいかないだろう。老人は少しだけ、ほんの少しだけ助言をする。

「俺とお前では経験の差がある。お前が必死こいて繰り出した技は、俺が、もしくは俺が戦った連中のやったことの一つだ。剣は所詮、点と線の掛け合いに過ぎない。極地が重なることも多い。故に、読もうと思えば読める。特にお前のようなガキの剣術は、直線的で至極読みやすい。だから五手六手先を、いいや構えた時点で先を読める」

 と言っても、その直線的な基本剣術を教えたのは老人である。

「では何か? 変わった剣を使えば良いのか?」

「奇剣の類か。ああいう大道芸には明確な弱点がある。歴史の浅さだ。初手を防がれると、後は何もない。簡単に倒せる」

「刀も奇剣の類か?」

「さあどうだか。あれはあれで、歴史は深いだろう。俺も一時持ってみたが、完全に引き出す前に手放してしまった」

「つまり、爺の剣とは基本的な直線なのだな」

「そうだ」

 そういう読みは鋭い。

 そこだけは褒めてやる。

「で、何でそれを私は読めない? 目の良さは自信があるぞ」

「目を使うから反応が鈍る。剣は目で振るうものではない」

「理解できそうと思ったら、一瞬で理解できなくなった」

「だから言っただろ。経験と勘だ。剣を振るえ、何度も何度も、気の遠くなる年月剣を振るい続けろ。そうすれば、血と肉が勝手に剣を振るう。血と肉が勝手に剣を読む。それを“勘”と呼ぶのだ」

「………………」

 少年は、露骨に嫌そうな顔をする。

 よくある反応だ。

 そして、言っていないこともある。“殺し合いの数を増やせ”である。これは、確実に強くなる方法の一つだ。正し、勝ち続けなければならない。一回の負けで全て終わる。

 当たり前だが、死肉は剣を振るわない。

「今日は終わりだ。気が済むまで、そこで考えていろ」

 老人は、少年を置いて移動した。

 家に足を向け少し歩き、踵を返して再び森に入る。

 この森は人の手が入った森である。百年前の火災の後、近くの村の人間が植林をして長く手をかけ再生してきた。野生動物が戻ったのも、ここ最近のことだそうな。しかし、生態系が戻れば後は時間が解決してくれる。

 だが、まだ若い森だ。

 そこから人が糧を得るには、もう少し時間がかかるだろう。

「おい、出て来い」

 潜む気配を察した時点で、村人では出ないと気が付いていた。いや、風習がどうのというより、素人にしては足音が静かで綺麗すぎる。

「いやはや」

 木の陰から出てきたのは、長い襟の立った黒いロングコートの男。頭には目深に被った丸帽子。真っ新な白いシャツには金の刺繍まである。ズボンにも皺ひとつない。

 いかにも、どこぞの貴族のような風体。

 鋭い目と、肌色を化粧で隠していなければ、もっと普通の貴族にも見えただろう。

「流石、【冒険者の父】。老いても鈍ってはいないようで」

「名乗れ」

 老人は薪を捨て、腰の剣に手を置いた。

「ちょっ、いや待って待ってッ」

 男は驚いて飛び退く、老人の殺気に気付いて剣の間合いから抜け出ていた。

 同業だ。

 傭兵にしては身なりが良すぎる。兵隊や騎士にしては砕けている。となれば、

「貴様、エリュシオンの密偵だな」

「ハハッ、お見事。ご名答でございます。いや自分は、一応宰相の身分を頂いておりますが」

「で?」

 老人の殺気は濃くなる。

(十三はいるな)

 囲まれている。

 囲まれるまで気付かなかった。全て密偵だろうか? もしくは、暗殺者か。

「お構えないでいただきたい。【冒険者の父】よ。我が王子から、あなたの召喚状を預かって――――――」

 男が取り出しスクロールは、音もなく両断された。

 老人が剣を抜いた様も、収めた様も、誰も見えなかった。男は石のように固まる。喉元に刃を当てられた者の自然な反応。“剣の間合い”という浅はかな考えは、老人の前では無駄だ。

「敵の大将から招待状か。面白い冗談だ」

「あなたはもう、獣人軍と無関係のはずだ」

「無関係なら尚のこと俺に用はないはずだ」

 静かに囲む理由もない。

「我が王子は、人と会うことを至上の娯楽としている。人間が好きなお方なのだ。特に傑物には目がない」

「なら、てめぇが来い」

「それも考えておいでだが、溜まった公務のため王都から離れられない」

「王都にいるのか。あの王子が」

 獣人軍に所在を掴ませなかった王子が、今、王都に。

「そうだ。この情報だけでも、こちらの誠実が受け取れるはずだ。あなたが、本当に獣人軍と関りがなければ、だが」

「………………」

 老人は世捨て人だ。今更、あの軍に興味はない。あの王にも興味はない。捨てた王と、捨てた軍だ。関りなど何もない。

 ただ、あの王子に興味がないかと言われれば――――――いや、ないはずだ。

 王になど、最早何の興味もない。王になるような者など、どいつもこいつもクソの掃きだめから産まれてきたようなクズ共ばかりだ。

 少なくとも、老人と関わるような王は全てその程度のクソだ。

「近くの村に馬車を止めてある。六日後、王都エリュシオンに来てもらいたい。良ければ、“お連れの方”もご一緒に」

 風が吹いて男は溶けるように消えた。同時に周囲の気配も消える。

 逃げ方は一流だ。しかも脅しまで残して。

「ちっ」

 舌打ちして老人は軽く咳をした。軽く咳をしたつもりだったが、自分でも驚くほど呼吸が詰まり咽る。

 時間をかけて、呼吸は落ち着く。

 口元を押さえた手に、ぬるりとしたものがまとわりつく。久々に見た自分の血だった。

「時間は、老人の味方はしないか」

 皮肉である。

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