<第五章:魔笛> 【01】


【01】


 魔法使いは、老いた声で語り出す。


「かつてこの地には、一人の王がいた。忘れられた王、【無貌の王】である。彼は、エリュシオンに対抗する為、いや………古き呪いと戦う為、ある力を研究していた。そして生まれたのが、ダンジョンから生じる無限の力を利用して、生物を強化する術。

 ホーンズの先駆けである。

 これは成功した。ダンジョンの近くにいる限り、傷は立ち所に再生し、肉体限界を超えた力を無限に引き出せた。まさしく不死の軍勢である。

 しかし、問題があったのだ。

 人としての知性、理性が再生の度に失せた。まるで、違う生き物に入れ替わって行くように。原因はすぐ分かった。再生と同時に発生する角。生物の頭蓋が変質して生える角だ。この角が受容体になり『何かの意思』を受信するようになる。

 これにより、人格は書き換えられ、人間性は失せ、獣のような凶暴性と、人間の悪辣さのみを残した別の生き物に変わる。

 皮肉な話である。

 獣を恐れた王が作り出したのは、別の獣だ。

 ガルヴィングは、角をあらかじめ作り、この欠点をクリアしようとした。

 これにも問題があった。

 まず、再生には使用者の内にある生命力と、微量の魔力を使う為、無限には程遠い再生力であった。肉体の限界を超える力も、わずかな時間しか出せない。

 だが、奇妙な事に、この再生は別のダンジョンでも作動した。故に、【探索者】と呼ばれるダンジョンを潜る者達には、必須の魔法となったのだ。

 そなた達が再生点と呼ぶ、法魔の誕生である。

 後の世に、角は巧妙に偽装され、そなたが持つ容器へと形を変えた。

 そして、ドゥインを筆頭としたヴィンドオブニクルの冒険が行われる。

 獣を、呪いを浄化する為の旅路。

 だが、その本質は隠され、人の目に触れたのは輝かしいだけの冒険譚。共に生み出された奇跡も、再生点の真実も、全ては栄光の眩さに隠れた。

 時は流れ【探索者】は【冒険者】と名を変える。

 冒険者の時代。

 数多の神が、無数の奇跡を生み出した時代。

 呪いという影を隠す為の、無為な時代だった。

 ベリアーレと名を変えた国でも、無貌の王の研究は続いていた。

 ホーンズの改良と強化、進化と制御。代を重ね、命を重ね、英知を踏みにじり、正気を超越し、狂気を凝縮し、ついには獣を滅ぼすホーンズを作り出す。

 名を天魔。

 天魔【アバドン】。

 個の生命として不完全であるが故に、他を侵食し、支配し、統べる事に特化した狂乱の臓物。

 忌血の呪いすら変性する怪物だ。

 しかし、時の王ラーズは、これを封印した。

 とても賢い選択だった。

 獣を滅び尽くすモノ。それは同時に世界をも滅ぼす。愚かな研究であったが、最後に待っていたのは賢い選択だったな。

 そして賢王に待っていたのは、滅亡だ。

 ベリアーレは獣に滅ぼされた。

 滅びの最中、民は口々にいったそうだ。


『我々は獣に滅ぼされるのではない。自らの愚かさで滅びるのだ』


 そう、自らが選んだ王の愚かさ故。

 戦う術を持っていたが、使わなかった王への恨み言である。

 賢い手段など、日々を生きるだけの民には分からぬ事。孤独な王の英断は、愚かと汚された。

 これがベリアーレの終わり。

 この階層の先駆けだ。

 我とワーグレアスは、賢王ラーズの命により、ダンジョンの奥底に【アバドン】を封印した。

 これには、誤算があった。

 数千年稼働していなかったダンジョンのポータルが、ある日、唐突に起動したのだ。

 それにより冒険者の探索は、到達不可能といわれた階層まで及ぶ。我々は慌てて【アバドン】を更に底の階層に隠した。

 三十階層から三十四階層にかけて、白骨階層があっただろう? 

 あれは、【アバドン】の外殻と食い残しだ。

 つまり、【アバドン】の浸食する力は、ダンジョンの階層まで及んでいた。

 ポータルの起動も、【アバドン】がダンジョンの“何か”を食った影響であろう。

 この階層の都市風景は、ワーグレアスの機転の一つ。【アバドン】をダンジョン外にいるのだと勘違いさせる事で、ダンジョンへの浸食を停滞させる。

 都市上部に這い出て、侵攻しようとする習性を利用し、そこを我のホーンズで撃退する。

 これは、レムリア以降の優秀な冒険者を素体とした。【アバドン】に浸食されないホーンズであり。【魔笛】を利用する事で従順で、強力な軍となる。

 そなたが、戦い倒した者共がそれだ。休眠状態で、本当の性能ではないがな。

 ………………そう。

 ただの時間稼ぎに過ぎない。【アバドン】を滅ぼす根本的な手段を見つけるまでのな。

 かつてレムリアも、【アバドン】を脅威とみなし討伐しようと試みた。

 我も力を貸したが、結果はヴァルシーナに重症を負わすだけの徒労だった。

 後に彼女は、新たなホーンズとして【魔笛】を繰り、今も尚【アバドン】と戦い続けている。

 希望を待つだけの、終わりの見えない地獄のような戦いだ」


「なるほど」


 僕は、長い話を聞き終え。一言返す。

「老人の不始末を、若者に押し付けているだけだ」

 老害の不始末だ。

 それも世界が滅びるくらいの。

「そなたの国でも似たような事があるではないか、年金問題とか?」

「異世界の住人に心配されるような事ではない」

 それはそうだが、今は全く関係ない。

 バタバタと足音が聞こえる。

 シュナを背負ったラナとベル、ナナッシーとアーケインがやって来た。

「さて、続ける前に。英雄見習いよ。そなたは組合が管理したポータルで、この階層に訪れてはおらんな。それに愚行も過ぎる。故に、この話を聞くに値せぬ。疾くと去るがよい」

 老人が杖で床を叩くと、ナナッシーとアーケインは光に包まれ消えた。

 たぶん、どこかに転移したのだろう。

「あなた、この方は?」

「すまんラナ。後でまとめて話す」

 ラナの質問はごもっともだが、こいつにはまず聞かないといけない事がある。

「で、“やはり”とは?」

 繰り返しの質問だ。

「そなたから様々な力を感じた。一つは忌々しい呪いの匂い。エルフの魅了。竜狩りの武。懐かしい吸血鬼の不死。悪夢の断片。見知らぬ異邦の英知。狂戦士の獣性。我が宿敵である第一の英雄と同じ気配。そして、故も分からぬ深淵の香り。【アバドン】を滅ぼし、エリュシオンを滅ぼし、世を一変させるに相応しい力の数々」

 買いかぶりも甚だしい。

 ほとんど、ミスラニカ様が無力化した力じゃないか。

「それだ。それなのだ! 呪いを浄化して己が力とする! そなたが、ホーンズ化しても半ば理性を保っていた理由だ! 新たに【魔笛】を吹く者として相応しい! ………………が、無駄だったな」

「そだな」

 この老人は、ヴァルシーナさんに後ろからザクリとされていた。いかに大魔術師を名乗ろうにも、彼女には敵わない理由があるのだろう。

 まあ、無傷だったけどね。

「ヴァルシーナには、エリュシオンの英雄の血が流れている。我ら魔法使いの天敵の血だ。獣人であるが故、忌血が現れる事はないが、我の魔法を以ても御しきれない。そんな血を以てしても、理性を保てるのはわずかな時間である………どうだ? 己の希少性に気付いたか?」

「そうか。断る」

 こいつの提案には、全てノーで答えると決めた。

「おい、ソーヤ。会話が飛び飛びで、よくわからん」

 いつの間に起きていた親父さんに文句をいわれる。

「後で話しますから」

「とりあえず、レムリアを後でぶん殴るのは間違いないな?」

「間違いないです」

 僕は少しだけ見直したけど。親父さんからしたら、あのハゲ頭をカチ割る理由が増えただろう。年寄り同士、好きなように争え。知ったこっちゃない。

「後は」

 僕が、最初に投げかけた質問だ。

「あんた本物か?」

 もう一度、抜刀からの斬撃を放つ。途中、刃を返し峰で老人の帽子を跳ね飛ばした。

「ほう………気付いたか」

 やはり。

 老人の額には、角があった。

「その通り、我はガルヴィングではない。本物は、我のように甘い人間ではないぞ」

 老人は、どこからかトップハットを取り出し、頭に置いて角を隠す。それ僕の帽子だ。

 一瞬、影が走り。ローブ姿も、白いヒゲも消える。

 皺の寄った老齢な顔つきは、一つ目の仮面へと形を変えた。黒い外套に古めかしいスーツ姿。魔法使いの杖は、何故か僕に投げ寄こされた。

「我の真体に気付いたのは、そなたで18人目だ」

 結構いるじゃねぇか。

「で、何者だ?」

「何者でもない。それ故に【無貌の王】と呼ばれている」

 諸悪の根源だよ。

「失礼な。我は、獣が支配する世を憂い。ホーンズを作り出したのだぞ?」

「余計な事しただけだろ」

「新人の教育に失敗した事は認めよう。我も『やれ』とはいったが、あそこまで『やる』と思っていなかった。だからこそ責任を感じて、こう階層の番人をしているのではないか」

「やっぱり、ろくでもない奴だ」

「あなた!」

 ラナに呼び止められた。

「こちらの方、本当に【無貌の王】なら。三大魔法使いの師に当たるお方です。言葉に気を付けてください。機嫌を損ねたら何をされるか」

 ちょっと前に、ヤバい実験の材料にされかけた。

「ほう、よくできた妻であるな。ますます」

「ラナに手を出したら、この階層を滅茶苦茶にして、アバドンだか、壁ドンだか、知らないが解き放って、貴様の愚行を世界に知らしめてやるぞ?」

「………………許せ。忘れよう」

 本当に忘れたのだな? 信用しないぞ。

「さて、冒険者よ」

 無貌の王は片手を上げる。

「禁忌に触れ、禁断を知ったな? しかし序の口であるぞ。

 忘れるな。【アバドン】を滅ぼす英知を求めよ。

 忘れるな。この禁忌すら先触れでしかない事を。

 忘れるな。滅亡は、ダンジョンだけにあるのではない。世界の至る所にあるのだ。ゆめゆめ忘れるなかれ。

 世界とは、何かの犠牲により守られているのだと。一つの選択が、一つの過ちが、簡単に滅亡に繋がるのだと。

 そして進むが良い。

 これより下には、更なる禁忌がそなた達を待っている。我はいつまでも待っている。冒険者よ。我はここで、吉報を待っている。世界救命の一欠けらを、いつまでも」

 王が指を鳴らす。

 ラナ、シュナ、ベルが光に消える。

 もう一度鳴らすと親父さんが。

「お兄ちゃんと一緒がいい」

 現れた妹は、後ろから抱き着いて来た。

「で、老人。話は終わりか?」

「サシで話したかったのだが、仕方あるまい。気を付けておけ。“本物”のガルヴィングは、そなたの呪いを嗅ぎ付けているぞ。それだけではない。第一の英雄も動いているだろう。対決の時は近い。我が英知を求めたくば、またこの階層に訪れるが良い」

「断る」

 こいつには絶対頼らない。

「いや、来るな。必ず来る。待っているぞ」

 無貌の王は、拾い上げたトンガリ帽子を僕の頭に載せた。

「その帽子は本物だ。そなたの神が隠した記憶を、瞑想の中で知るが良い」

 指が鳴り。

 重力が失せる。

 軽い浮遊した感覚の後、両足で着地した。

 周囲には仲間の気配。背中には妹、腕の中にはエヴェッタさん。

 誰一人欠けてはいない。

 降り立った階層は、亡霊都市と全く違う空気だった。

 静かな風が吹いている。

 仲間達はカンテラをつけるが、到底見通せない広大な闇があった。

 空には、無数の星が見えた。

 妹はポータルを見つける為に周囲の探索へ。

 近くには、僕らの装備品が山になって落ちていた。他の仲間はそれを漁って状態を確認する。

「おめでとうございます」

 エヴェッタさんの声。

「あなたのおかげです」

 弱々しく伸ばされた手を力強く握った。

「あの魔法使いは、色々な物を押し付けたでしょう。でも、気にしないでください。人の一生は、誰かの負債を支払う為にあるのではない。生きたいように生きて、成したいことを成す。それが冒険者らしい生き様です」

「はい」

 その通りだ。

 僕も、老人の言葉に素直に従うつもりはない。

「世界など、滅ぶ時には滅びます。滅びない時には滅びません。一つの冒険者がそんな事に気を使うなど、馬鹿な話ですよ。自由に、そう自由に生きるのが冒険者。わたしのように、囚われて生きないで………………」

「分かりました。そう心がけます」

「良かった」

 安心したようにエヴェッタさんは目をつぶる。

 眠ったように静かに。


 本当に、眠っているようだった。

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