異邦人、ダンジョンに潜る。Ⅵ 妄執のネオミア 【6部】

<第一章:冒険者の勘>


【不明】


 吹雪。

 一寸先は白亜の闇。

 見渡す限りの白と、聞こえるのは吹き付ける風の音。

 空気は死の冷たさで全身を侵していた。

 手足は棒切れのような感覚で、内臓だけが必死に体温を上げている。外は凍てつき、中はじっとり不快な湿り。

 へし折れた左足を引きずり、膝まである積雪を虫が這うような速度で進む。

 穴の空いた脇腹からは、血が湯気を上げて流れ続けている。口の中は鉄の味。必死に呼吸するが、三回に一度しかまともに酸素を吸えない。唇が震える。肺も凍り出した。白い闇と黒い闇が交互に広がる。

 睡魔が全身の痛みを和らげ、精神を乗っ取ろうとしてくる。楽になれ、ただ楽になるだけで良いと、甘く囁く。

 もしかしたら、同じ場所をグルグル回っているだけかもしれない。破滅的な発想だが、それでも揺るがず歩みを止めないのは、これが僕なりの戦いだからだ。

 死ぬなら前のめりで死にたい。

 男なら、そうやって死ぬべきだ。

 しかし、自然とはこんなに過酷で、人とはこんなにちっぽけなモノなのか。身につまされる体験だ。生きて戻れたなら、良い経験になるだろう。

 そうだ。

 この状況を生き延びる事が出来たのなら、良い経験になると思う。

 かなり絶望的だが。

「本当に、僕は――――――」


 いい加減、学ぶべきだった。



≪第一章:冒険者の勘≫


【145th day】


 僕らは中級冒険者になった。

 現在の踏破階層は三十七階層。目標の五十六階層は、見えて来た。

 経過は順調といえる。

 それなりに経験も積んだと思う。その証拠として、ある勘が働くように。

 それはタイミングが読める勘だ。冒険の邪魔が入って来るタイミングが読めるのだ。

 色々な人にいわれている事がある。

『冒険者とは、ダンジョンに潜るだけが全てではない』

 と。

 でも僕からすれば『取りあえず五十六階層まで降りさせてくれ。話はそれからだ。その後、幾らでも他の仕事をするから』という風に抗議した。

 でもまあ、僕らが特別扱いされるわけもなく。

 組合の依頼は無視する事も出来なく。

 様々な、ダンジョン以外の依頼と仕事をするハメに。

 実に無情である。

 特に中級冒険者になってからは、その締め付けはきつくなる。

 組合からの依頼が大量に来るのだ。一応、特典はある。王国内の土地の売買権利、各施設の無料利用、高額報酬の依頼、個人での一般依頼の発行権利、その他色々、エトセトラ。

 しかし、依頼を断ると別の依頼が、

 更にきつく多く襲ってくる。

『中級冒険者とは、最も多くの人間と関りが出て来る階級だ。新米には教師になり親になり、初級には“かくあるべき”と見せしめ。上級には“我らの姿を忘れるな”と見せつける。民には冒険者とは“こういうものだ”と己を晒す。ま、この国じゃ一番忙しい種類の冒険者だろうな』

 以上、組合長のありがたいお言葉。

 正論故に腹が立つ。

『ほら、前にお前を襲った冒険者いただろ? あいつらも中級冒険者“だった”。一番忙しいが、高額の依頼も受けやすく日銭は稼ぎやすい。施設の無料利用もあるから、生活の安定は得やすいのだ。故に、組合の依頼を放棄して放置する。もちろん、更に依頼は溜まり、処理するのに膨大な時間が必要になる。こうなると、本来の夢や目標などままならなくなる。

 現実から逃避する。

 でも、食うには困らないから、新米や初級のように必死に働く事がなくなり、腕が鈍り、精神も腐る。俗に不良な冒険者の大半は中級で堕ちた者だ。お前も気を付けろよ』

 それはない。

 そんな事をしたら、色んな人にぶっ飛ばされる。

 まず、担当のエヴェッタさんに、ランシール、レムリア王もそうだ。マキナにトーチ。シュナや、親父さんの期待も裏切られない。

 妻は、僕を全肯定してくれるが故に、格好悪い姿を見せたくない。妹にも同じ気持ちだ。

 単純な話。

 僕一人で今の地位に立っているわけではない。色々な人間のおかげ様。腐る暇なんてないのだ。

 いやでも………………正直、ダンジョンに潜りたい。

 僕はただ、静かにダンジョンに潜りたいだけなのに。

 ままならない世の中である。

 それで今回。

 僕の勘が働いたのは、妹のくしゃみが原因。それにつられて、パーティ内の少年剣士も、くしゃみ。

 右大陸は今現在冬の最中。

 奇しくも攻略中の階層は、絶氷の階層という。

 行っても帰っても寒いのだ。本来、寒さに弱いエルフと、温暖な気候の島民には辛いだろう。

 温かい物を食べさせて良く眠るようにいったのだが、

「う、ごべん。おに゛いじゃん」

 妹が風邪を引いた。

 これもう、ダンジョン所ではない。

 ここ最近、依頼を即行でこなしながら強行でダンジョンに潜っていた。冬越しの為の物件探しを後回しにして、雪原にキャンプで過ごしていた。

 そりゃ体調を崩すな、と自責の念に駆られていたら。

「コタツで寝で、暑かったから゛テント開けて。起きたら雪積もってた」

「………………」

 何ともいえない理由だった。

 エアとマリアとミスラニカ様用に、テントを合わせて大きくしたのだが、そこにコタツを置いたのが間違いだったようだ。

 いや、雪原でキャンプしてる僕も悪いのだが、止めておけといったのにコタツで寝た妹も。

 う、うーん。

 過失割合は5:5くらいか?

 ともあれ、もう雪原キャンプでは限界と思い物件探しに行こうとしたら――――――

「ありますよ。良いのが一つ」

 ランシールが、あっさり物件を用意してくれた。

 持つべき者は王の娘である。

 彼女はただ今、十代後半くらいの姿で、女性としての様々な部分が豊かに育っている。冬のせいか銀髪と尻尾がモフっとしていた。

「じゃ引っ越ししよう」

「いつですか?」

「今から」

「え?」

 思い立ったが吉日。

 行動はすぐ開始。

 商会で馬車を借りてキャンプ地に止める。物資の積み込みをマキナに任せて、僕とランシールは引っ越し先の下見に行こうと――――――その前に妻と妹の様子を見る。

「ラナ、エアはどうだ?」

「あ、あな、あなた。熱がまたッ」

 ガクガクしているラナから、渡された体温計を確認。

 36.5度とちょい高め。元々体温が低いエルフには辛いのだろうか。

「エア、どうだ?」

「鼻がづまる。呼吸しづらい」

 姉の心配と狼狽をよそに、妹はそこまで苦しそうではない。

 ラナは母親を熱病で亡くしている。エアは普通の風邪なのだが、それとタブって気が気でないのだろう。

「ラナ、エアがどうしても苦しいならこれ飲ませてくれ」

 解熱鎮静剤、ビタミン薬の風邪薬。

 色々とテスト済みなのでエルフの体にも問題ないはず。でも、本当にただの風邪なので水分補給して体を温かくした方が良い。

「後これを飲ませて」

 2Lのペットボトルに入れたスポーツドリンク。粉末を溶かしたタイプだ。

「分かりました。ほら、エア」

「がぶっ」

 キャップを外すといきなりエアの口に入れる。

 動揺しているのか看護が荒い。

「我慢して! 飲めば大丈夫らしいから!」

「おね、やめ、がばばば」

「ラナ! ちょ!」

 寝ているエアに、かなり無理矢理飲ませる。

 ジャブジャブとスポーツドリンクがこぼれエアが軽く溺れた。

「ああもう、見ていられん」

 そんなラナの頭をミスラニカ様が後ろから叩く。

「お主は隅で神にでも祈っておくのじゃ。妾が看病するから」

「は、はい」

 しゅんとしてラナがテントの隅に移動。両手を組んで祈りの言葉を紡ぐ。

 黒いドレスの少女がエアの体を拭きながら、上体を起こしてゆっくりとドリンクを飲ませる。あれ………………やたら看護慣れしている。

 何か意外だ。

「ミスラニカ様。ここはお願いします」

「うむ。ソーヤ、妾には一番良い場所を用意せよ」

「お任せを我が神」

 お安い御用である。

「ラナ、ほら来い」

「え、でも」

 ラナの祈りの手を取り止めさせる。

 そもそも神が看護してくれている。これ以上、誰に何を祈るというのだ。

「エアは大丈夫だ。別の事やって気を紛らわせた方が良い」

「………あなたがそういうなら」

 ややポンコツと化したラナも連れて物件に移動した。

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