<第三章:我ら、黒き旗に集う>【01】


【01】


 最後の夜、ヴァルシーナの肉を全員で片付けた。

 英気を養う、という事で陛下は早々に寝た。

 寝所はレグレが守っている。

 この大陸に来て、初めての独りの夜である。

 白い息を細く吐きながら、テント内で装備の確認をする。

 アガチオンにはバックパックが括り付けてあった。中には、見た事のない装備と見た事のあるアイテム。誰の入れ知恵か、恐らくは我が神とパーティの誰か。

 コートを脱いで、新しい外套を羽織る。

 フード付きで、外側は黒い素材、裏地が血のように赤い。デザインは着馴れたポンチョに似ている。これにはメモが添えられていた。機能の説明と、何を元にしたか。

 あまり気持ちの良い内容ではない。

 できれば弓が欲しかったが、果たして今の僕に扱えるのやら。ヴァルナーのようにアガチオンに全て任せるという手もあるが、敵に、この剣を知られている。対抗策を練られている可能性も高い。

 やはり、侵入してやるしかないか。

 最後に再生点の容器を首から下げて、

「止めておけ」

 テントを出ると、ザモングラスに止められる。

「大方、アガチオンでデュガン王を暗殺するつもりだろう。止めろ、アシュタリアの名が穢れる。陛下のこれまでの戦いが無駄になる」

「んじゃ、何か考えが?」

「ある。極まっとうなものが一つ」

「それは?」

 この人には、年の功がある。僕より良い考えを持っているだろう。

「俺が、デュガン王を暗殺する」

「それはそれは………」

 僕とどっこいだ。

 いいや、違うか。この人には僕にない立場がある。

「で、付き合うか?」

「あいます」

 老騎士と共に夜の街を歩く。

 滅んだ国の残骸には雪が降り積もり、それはまるで灰のように見えた。

「この国を滅ぼした、炎の獣」

「え?」

 言葉と同時に、何かを投げて寄越される。一度落としかけて、慌てて受け取った。

 焼けて曲がった、聖リリディアスの騎士のシンボル。

「あれは、俺の弟子だ」

「ああ」

 この人は、多くの騎士を育てて来た。

 獣になった者も少なくはないだろう。

「前からエリュシオンは、諸王の中でも特にアシュタリアを警戒していた。記録が残っている者では、唯一個人で忌血の獣を退けた血筋。竜の血が流れている、などと噂されているが。それが冗談ではない事は、ダインスレイフ王の父、祖父、曾祖父が実証している。

 留守を狙い獣を放つ、やるだろうな。簡単な事だ。獣とはそういう風に使われる。

 王が倒せないのなら国を。王が倒せないならその娘を。もしかしたら、ガシム家が潰された事も計略の一部かもしれん」

「でしょうね」

 おそらくは正解。

 アーヴィンの大叔父をはめたというエルフ。そんな者は、存在していない可能性も高い。

「俺は50年、狐の巣を守っていた。これに絶望せず何を絶望するか。離れて心底分かる。あの白亜の都市には、騎士が命を賭け守るべき忠義はない。中に住んでいるのは、糞貯めの中から金を掬う脂肪の塊共。かつて古い騎士がいっていた。『この世界は、常に皮肉に満ちている』とな。実に、真に迫った言葉だ。痛感させられる」

 偶然にも、知り合いに似た事をいっている男がいた。

「しかし、最後の最後に。この老人に神は微笑んでくれたようだ。老醜を晒さずに逝ける」

「果たしてそうですかね?」

 最後の最後まで、分からないものだと思うが。

「ふん。見届けるのが、こんな冴えない若造とは色気のない話だ。俺は、若い頃はモテモテだったのだぞ。今でも十分イケるが」

「へぇへぇ」

 ザモングラスの自慢話を聞きながら平原に出る。いや、雪原だ。靴に入り込むほどの積雪ではないが、どこまでも辺りを白く染めている。

 遠く、野営の明かりが見えた。それ以外は雪に照らされた月影と薄闇の世界。浅い海の中ような世界。

 しばらく歩き、おかしな事に気付く。

 ここは殺戮があった場所だ。死体で混んでいるはず。

 警戒して歩いているが、つま先に何も触れない。

 全く。なにも。

 デュガンが弔ったのかと思ったが、数が数だ。こんな綺麗さっぱり、すぐに片せるとは思えない。

「ソーヤ、この土地では。死体は一夜で消える。骨も残さずな。何故だと思う?」

「さあ」

 嫌な予感がする。

 一歩先が見えない暗闇の中は、まるでダンジョンの中。

 つまり敵がいる。

「今から見えるぞ」

 遠い闇の奥から金色の双眸が輝く。

 一つ見つけてから、無数に見つける。あっという間に迫り、囲まれていた。

 黒い毛並みの犬。いやこれは、

「狼だ。下手に動くな、俺がやる」

「いえ、僕が」

 剣を抜こうとする老騎士を制す。

 闇を見回す。

 獣は群れでいる。感覚に頼る。必ず、どこかにいる。ミスラニカの信徒なら理解できるはず。

 集団の奥の奥に、見つけた。

「お、おい」

 ザモングラスを置いて、独り前に進む。闇より黒い輪は自然と開いた。

 生暖かい呼吸が肌に触れる。

 見つけたのは、大きな狼だ。成人男性ほどの大きさがある。爛々と金色の双眸を輝かせている。

 僕は跪いて、狼の前足に口付けをした。

「僕らは、通りたいだけだ。貴方達の邪魔はしない。死者の弔いを続けてください」

「…イケ…聖魔ノ同胞。金ノ瞳……兄弟……ヨ。淵ノ峰ニテ汝ヲ待ツ。…イズレ………先ニ…」

 聞き取り辛い声だが、敵意はない。

 ザモングラスを手招きして進む。

 僕らが離れると、風が動き金の瞳が散り散りと消える。

「貴様、その目はどうした?」

「ああ、まあ。ファッションです」

 また金色に輝いているのか。そういや、夜目が急に利いている。

「ファ? なんだと?」

「どうでもいいじゃないですか」

「良くはない」

 食い付かれるので、渋々答える。

「僕が契約している神様の影響です。たぶん」

「その神の名とは?」

 いっていいのかな? ま、どうせ………いいか、最後だ。

「悪行のミスラニカ。聖リリディアスが悪とする神です」

 ここに来て、怒らないよな。

「暗火のミスラニカ」

 ザモングラスが立ち止まって、

「く、クハッ」

 ハハハハハハハハハハッ! と高笑いを上げた。

 や、やめい。

 見つかる見つかる。さっきの狼にも驚かれる! せっかく穏便に済ませたのに!

「エリュシオンに絶望した男の前に、ミスラニカの信徒が来るか。実に笑える。俺の人生は、最後の最後に笑えるものになったな」

「あんた、何を」

「全て分かった。確信が持てた。ソーヤ、我が弟子達が貴様に迷惑をかけたな。その詫びといってはなんだが、飛び切りに良い物をくれてやろう。何、貴様なら有効に使うだろうさ」

 彼の提案は、大方予想していた物だ。

 でも、痛感せざる得ない。

 本当に、この異世界は、皮肉に満ちている。

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