異邦人、ダンジョンに潜る。
麻美ヒナギ
異邦人、ダンジョンに潜る。Ⅰ
<序章>
寝転がって空を見ていた。
乱れた呼吸が整い、熱した体から汗が引くまでの時間。
透き抜ける青い大気に少しばかりの細い雲。それに薄く浮かぶ月が、三つ。ため息と共に視界を降ろすと地平まで続く平原が広がる。
その端、そこには角笛を地面に突き刺したような、超巨大な物体があった。
名を、々<おどりじ>の尖塔。
広く伝わった伝承によると、これは世界を造った巨人の角、だという。長命の語り部にいわせれば、空から落ちてきた異邦の塔。淵<ふち>の神官辺りがいうには、神々の見捨てた尖塔。
それらが先人の世迷い言なのか、真実なのか、僕にはわからない。わかるのは、これがこの世界の人々に利益と厄災をもたらし、人の営みの一つに取り込まれている事だ。
時に英雄を産み、時に英雄を殺し、財宝は国を産み、秘宝は国を滅ぼし、魔を孕み、魔を造り、それを払う剣一つが風の物語を生み出す。
期間は一年、僕はこのダンジョンに潜らなければならない。
目標到達階層は、五十六階層。それが困難な事か、たやすい事か、それすらもわからないまま。
さあ、ダンジョンに潜る。
前に、
まずここで生きる準備をしなければ。
≪序章≫
1946年七月。異世界の存在が確認される。
某国が先遣隊を送ったのは、公式では1949年。
1951年十月。大国主導で一個大隊が異世界に送られる。
当時、メディアの発展もありその様は毎日のように報道された。美しいエルフや屈強なドワーフ、多種多様な獣人に、人知の及ばない魔法。世界大戦の傷と、冷めやらぬ次の戦争への不安を逸らすには、格好の明るい話題だった。
異世界の体験談は書籍になった。ドラマになった。映画になった。富豪向けのツアーも組まれた。
まさに新天地。
人々の夢と羨望がそこにある。
しかし夢は覚めるものである。
1955年二月。一冊の書籍が出版される。異世界に派遣された隊員の暴露本だった。人類が異世界で何をしたか如実に記されていた。
簡潔にいうと、破壊、放火、強姦、虐殺である。
これに対して大隊指揮官の見解はというと、破壊は拠点を作成する為であり、放火は衛生面を考慮しての事、強姦の事実はなく双方の同意のもとで、周辺種族に襲われた為、応戦したがそれは虐殺ではない、との事。
白々しくて誰も信用しなかった。
もちろん、この暴露本もドラマになり映画になった。ツアーに参加した富豪が、異世界の獣人をハンティングで撃ったと証言をした。
同時に異世界に行く為の莫大なコストも問題視された。
縦横二メートルほどの光の扉、異世界に行く為のポータル。これを人一人が、行き帰りで五秒間開くとする。そのエネルギーコストは、異世界から帰ってくる人間が同じサイズの金塊を抱えても足りないものであった。
有用な資源は幾つか確認されたが、運用コストを超える物はなかった。俗に魔法と呼ばれる技術も、この世界に持ち込めば戯言で終わる。
1956年一月。異世界に送られた大隊が全滅する。
今際の指揮官の言葉が残されている。
「あちらの世界には神がいた」
原因は今も不明のままである。
1956年二月。異世界に対し不可侵条約が結ばれる。これに対して、異世界の代表者の名は公表されていない。
1957年六月。水溶脳の開発、世界初の人工知能が完成する。同時に人類の目は宇宙に向けられる。
そうして、人は悪行から目を背ける為に異世界というものを忘れた。
現代に生きる僕が、異世界というものを知ったのはゲームのおかげだ。
どんな悪環境にいてもゲームだけは僕が裏切らない限り、裏切らない。大して教養のない僕にはゲームほど娯楽性に富んだものはない。そこまでお金のかからない趣味だし、何より他人に迷惑をかけないのが素晴らしい。
それはさておき、その企業に出会ったのは三月の終わり。
僕は久々に日本に帰ってこれ、妹の問題で憂鬱になっていた。簡潔にいうと、金、金である。金が必要になりました。その日暮らしで何とかしてきた僕には、到底無理な金額であった。
そんな僕に援助を申し出たのが、この企業。
ヘッドハンティングされるような稀有な才能は持ち合わせていないし、まともな企業なら僕のような人間とは関わらない。いや、まともではない依頼なら? ともあれロクでもない。でもお金が欲しいので面接を受ける事に。
妹にほだされ親父の遺品からスーツを借りて、大きなビルの立派なロビーの、美人な受付嬢に案内を受けて、着いた先の部屋は、地下の狭く薄暗く倉庫のような部屋だった。
面接官は五、六十代の男。髪が薄くて眼鏡で表情が読み取り辛い。妹に手伝ってもらい苦労して創作した履歴書に目もくれない。
「どうぞ、おかけを。時間がないので単刀直入に質問させてください」
「あ、はい」
僕がパイプ椅子に座るやいなや話が始まる。
「生命の危険が及ぶような仕事に抵抗はありますか?」
「ないです」
「交友関係は広いですか?」
「いいえ」
「倫理に反する行いや、暴力的行動に抵抗はありますか?」
「必要ならば、ないです」
「特定の宗教や宗派に熱心な思い入れはありますか?」
「いいえ」
「神は信じますか?」
「はい」
お米に三人いるからな。
「殺人の経験はありますか?」
「え? いいえ」
人は、殺した事ない。
「あなたにとって生きるという事はどういう事か簡潔にお答えください」
「他の生き物を殺す事です」
「大事な家族はいますか?」
「妹が一人」
「秘密は守れますか?」
「それでお金が貰えるなら」
「なるほど………」
一拍の沈黙。
「あなた、異世界に行ってみませんか?」
「え、お金貰えるなら」
ついで報酬額を聞いて、驚き、妹の口座に前金が振り込まれているのを確認。そして頷いた。
以下、別室に移されての説明。
異世界には三つの大陸がある。
あちらの呼び名は知らないが、三つ均等に並んでいるので左、中、右大陸と呼称している。昔に人類が軍隊を送ったのが左大陸。僕らが送られるのが右大陸、目的は“々の尖塔”と呼ばれるダンジョンの五十六層。そこにいる何かしらのモンスターの素材。それを一年以内に入手する。
専門的な説明はわからないが、この素材を触媒にする事で恒久的な常温核融合を行えるとの事。そもそも何でこいつらがそんな事知っているんだ? という疑問は、お使いに行く僕には関係ないのだろう。
六人のプロフェッショナルと三機の人工知能で行く予定だったが、一人が急な事故で亡くなってしまった。その欠員埋めが、僕だ。
秘密性から予備の人員を用意できなかったらしい。それにしてもと疑問が浮かぶが、仕事は仕事だ。今気にする事ではない。
それより知りもしない人間達と一年近くを過ごすのか、不安だ。同じ日本人だし外国人よりはマシだと思いたいけど。
「あの、質問を」
と、僕。
「ええ、どうぞ」
と面接官。
「出発は何日後で?」
「二時間後です」
「マジか!?」
「マジですが」
そんな悪びれもなく言われても。ぽつぽつ浮かんでいた思考が全部消えた。まず一つの優先事項を行う。
「ちょ、ちょっと妹に電話を! 失礼します!」
「良いですが、盗聴しますよ」
「どうぞ!?」
意味のない事だが、部屋から出て廊下で妹に連絡。スマホのコール二回で妹が出た。
『あたしよ』
「もしもし、雪風ちゃん」
『キモい呼び方するな』
「すまん雪風ちゃん。悪かった雪風ちゃん。お兄ちゃん採用された」
『気色悪い死ね。採用おめでとう。急な話だったけど、まともな会社なんでしょうね?』
「ん? ああ、まあ、それで二時間後から仕事入って一年くらい連絡取れなくなるけど、心配しないでくれ」
『あんたそれ絶対ブラックよ!』
「支払いは良いらしいし」
『社会保障とかキギョーネンキンとか、他それぞれ大丈夫なの!』
がちゃ、と部屋が開いて面接官が顔を出す。
「破格の保障を用意していますよ。仮にあなたが帰ってこれなくても妹さんには口止めと礼金は弾みます。それはもう破格ですよ」
「破格の保障が用意されているそうだ。安心しろ」
『聞こえたわよ! めちゃくちゃ怪しい! そいつちょっと電話に出して!』
「いや、モンスターシスターとか面倒なので結構」
面接官は部屋に戻った。
「大丈夫だ。ちょっと危険かも知れないけど必ず帰る、安心してくれ」
『あんたに大丈夫って言われるたびに不安になる』
「んー金が良いんだよ」
『報酬をちらつかせるのって詐欺の常とう手段』
「凄いな雪風ちゃん、物知り」
『あんたがアホなだけだ!』
妹のいう事はごもっともだ。
「ただ、詐欺にしては手が込み過ぎているし連中に僕を騙す得はない」
『何度も言っているけど、あたしの足の事なら気にしないで。義足だって慣れれば前より速く走れるってお医者さんも言っているし』
「そうだな」
それでも一応の兄として何かしら妹にしてやりたい。自分事で妹に申し訳ないが、何もしなかった後悔より、何かした後悔をしたい。だから、怪しくてもチャンスがあれば飛びつくしかない。僕はそんな愚かな人間なのだ。
「すまん、絶対帰るから安心してくれ」
『ッ、このバカ! どうせあたしの言葉なんて聞きはしないんだから! 死ね! 生きて苦しんで帰って来いバカッ! バーカ!』
切れた。
部屋の戸が開く。
「終わりましたか?」
「終わりました」
「時間が押しているので、あちらの世界のレクチャーと装備の準備をしましょう」
以下、野戦服に着替えセラミックプレート入りのチョッキを着こむ。軽量で各種モジュールに予備弾薬を大量に携帯できる。ブーツも軽いが金属で補強されていた。
用意された銃はAK47を現代の技術で、限りなく1953年代に製造されたかの様に偽装した物。拳銃も同じように造られたガバメント。
AKの弾倉を抜き、コッキングレバーを引いて薬室にゴミがないか確認、トリガーを引く。悪くはないと思う。銃なんて必要な時に弾が出れば十全だが。弾倉を戻してガバメントも同様の確認。問題なし。私物のカランビットを腕に、古びた和式の山刀を腰に、現地人から装備を隠す為にアラミド繊維のポンチョを羽織って装備完了。
「まあ、様にはなっていますね」
「それはどうも」
アマチュアだけどね。
それから足早に、時間ギリギリまで異世界の知識をレクチャーされた。種族、信仰、勢力、経済形態、文明文化、予測される気候に風土病。ダンジョンの大まかな歴史、構造、敵。周辺環境。記憶能力に難がある僕は、七割くらい脳に到達しなかった。
そして最後に付け加えて一つ。
これらの情報は、全て半世紀前のモノであり今がどうなっているかは不明、未知である。
そして更に別室に移動、明るく広い空間だった。
中心に仰々しい装置がある。台座状で供物を捧げる祭壇のようにも見える。その周りを作業着の人間達が忙しく走り回っていた。怒号に似た叫びと返事が飛び交う。
僕の前には、プロフェッショナルな五人が待ち受けていた。
女一人に男四人。適当に立っているだけでも隙がない。目つきは穏やかで落ち着いているが、奥に何かが光っている気がした。その道の高みに着くと得る、得体の知れない気配。
五人全員がそれを持っている。
僕、いるか?
と気圧された。
「社長、それが最後の一人で?」
隊長らしい顔に傷のある男がいう。
「時間が無かったので皆さんのような質は保証できませんが。六十点くらいの人材です」
「マイナスじゃないならマシさ」
面接官は社長だった。
「って、社長なんですか」
ただの冴えないおっさんだと思っていた。
「いや、社運がかかっていますからね。人に任せられないでしょう。何、成功すれば京で、失敗したらこの場とこの上で働いている人間とその家族に、傘下企業と下請けが路頭に迷うだけですよ。気楽に行きましょう」
怖い事をさらりと。
「よく僕みたいなの選びましたね」
「莫大な金出しているので一人分も無駄にしたくなくてね。私の経験則で、良い商談ほどすんなり飛び込んでくるというものがある。決め手は、名前ですがね」
「そんないい加減な」
大丈夫か、これ。
「気にするな小僧。この社長はいつもこんな感じだが、それが間違っているならこんなデカい物を作れはしない。そんな人間に選ばれたんだ、背を伸ばして気合いを入れろ」
ぽつりと社長が呟く。
「本当は惰性ですけどね」
「あんた、この野郎」
しっかり聞こえた。社長でも一発殴ってやろうか。
「小僧。俺らの自己紹介はあっちに着いてからだ」
作業着の老人が大きく手を振って、注目しろとジェスチャー。
「ポータルを展開する! まず六秒開き資源コンテナを投入! 次にマキナ・ユニット! あんたら生の人間はその次だ! 無機物を放り込んでからポータルは十二秒閉じ、その後七秒間ひらく。その間に全員飛び込め! 次はないからな! すっ転んで出遅れるなよ間抜け!」
設置されたレールの上に、クレーンで吊るされたコンテナが並べられる。武装に食料、医薬品、その他諸々が入った生命線を繋ぐ大事な資源。その後ろに、円柱状の人工知能ユニットが三機。更に後ろに人間が並ぶ。僕は最後尾だ。
「展開!」
光が爆ぜて収束する。中心点にある台座にポータルが生まれる。
「押せ押せー!」
作業着の社員たちがコンテナを押してレールの上を滑らせる。 コンテナは何の抵抗もなくポータルに吸い込まれ消えた。こんな映画のシーンを見た気がする。
問題なく人工知能も吸い込まれる。
作業員の手早い動きでポータルが閉じるまで一秒ほど余裕があった。
もっと機械的な装置を使えば速いのでは? とも思うが。肝心な所で人の手を使うのは日本人らしい。
次は僕らだ。
経験ないが、スカイダイビングする時はこんな気分になるのだろう。心臓の鼓動が早くなるのを感じる。緊張で体が硬くなった。何となく腿を拳で叩く。
「そういえばあなた、社長が名前で決めたって言っていたけど」
僕の前にいる女性が、少し緊張した感じで声をかけてきた。
「自分、宗谷って言います」
「あら、幸運を呼びそうね」
僕自身、ろくでもない人生を歩んでいるんだが。
「展開! 走れッ走れ!」
老人の怒声で僕らは駆け出す。
再び光が爆ぜ収束する。ポータルが生まれた。
ここまで来たら迷うも引くもない。先頭がポータルに飛び込む、二人、三人とそこに消えて行く。僕も後に続く。
そこで、
何故か危機的状況のように時間が粘ついた。
景色がゆっくりと流れる。
四人目が光に消え、女性の短い髪が揺れるのが見えた。彼女も光に消える。汗が噴き出た。猛烈に悪い予感がする。これまでに何度か体験したが、どれも重症を負う前兆だった。
まずい。
これ絶対にまずい。
一番まずいのは、もう足の勢いを殺しても光が目の前にある事だ。咄嗟に目を閉じ両腕で顔をかばった。
瞼越しにも目が眩む光の奔流、そして闇。薄目を開けるがそこには何もない。
感覚的にとてつもなく広い空間にいるのだと悟った。
一瞬の浮遊感。そこから落とされた。風に体が包まれる。ただ、暗闇のせいで本当に落下しているかはわからない。本当は天井に向かって吸い上げられているのかもしれない。玉がすくみ上がる速度。耳を包む風鳴りの中で自分の短い悲鳴を聞いた。
死ぬ。
絶対に死ぬ。
トマトか、いやもうペンキだろ。すまん雪風。お兄ちゃんは本当くだらない死に方をする。
本能的なモノか僕は赤子のような態勢をとった。
それにしても、
いや、
ゴーゴーと風がうるさい。口が乾燥してきた。そこまで寒くないのが救いだ。
「いい加減にしろよ」
落下は長かった。割と慣れてしまった。死の直前でも人間は暇があればダラけられる。腕時計のライトを点けて周囲を照らしてみた。
何もない。無明の闇だ。
だが奥に蠢くものが見えた気がした。
クジラ?
それを連想させる大きな何か。ゆっくりに見えたのはスケールの差と闇のせい。それは触手だった。光に反射して青白さを浮かび上がらせる。触手は花が咲くように開き、その大元を露わにした。
辛うじて人に似ていた。
僕が認識できたのはそれだけだ。
喉が潰れるほど悲鳴を上げた。死よりも恐ろしいものが其処にあった。圧倒的な大きさが自分に迫るのがわかる。
具体的な名前もないまま「神様」と祈る。
で、
眩い光が目を射した。
暖かな日差しを肌に感じる。徐々になれた目が青い空をとらえた。背に大地の感触。
夢? にしてもひどい悪夢だ。夢の続きにしても、薄い月らしき三つが見えた。速い脈を数えながらショック状態から体を整える。深呼吸、空気が澄んでいる。
痛みもなく、怪我もない事を確認して立ち上がった。
風に撫でられた草原が波打っている。
遠くに小川と森が見えた。その反対側には、目的のダンジョンがある。現代人には到底造りようのない建造物。
間違いない。異世界だ。
午前中に日本に居て、急かされるようにして今ここに居る。感慨を深く感じ、ねぇよ。もうちょっとくらい間があれば、異世界の地を踏んだ事に思いを馳せただろう。
さてと、現実逃避終了。
僕の周りには資源用のコンテナと人工知能のユニットが乱雑に落ちていた。
遮蔽物もなく視界は良好。地平まで見渡せる。見渡した以上の物は何もない。ふわっとした風が平原を撫で草が波打つ。
逃れようのない事実を噛みしめ、飲み込む。
どうやら僕は、一人のようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます