第5話「この世界には裏側がありました」

 その日の夜、総一郎は今夜の出来事を話すために自分の住むアパートへと結衣を案内していた。お互い無言のまま、二人の靴の音だけが夜の街に響いている。

「着いたぞ、ここだ」

 総一郎が足を止めた先には、現代に似つかわしくない木造建てのボロアパート。築何十年と経っているのが外観から容易に想像できた。

「ただいま」

「お、おじゃまします……」

 二人が玄関をくぐると、奥から忙しない足音が聞こえてくる。

「おかえり~、今日は随分遅かったじゃない……ってまた派手に汚しちゃったね」

 出迎えてくれた制服姿の女の子はそう言うと、総一郎の服に手をかける。

「脱がす気か?」

「ご名答」

「バカ」

「いたっ!」

 脳天にチョップをくらった女の子は頭を摩りながら総一郎の後ろにいる結衣の存在に気付く。

「お兄。その人だれ?」

「友達の結衣だ」

 下の名前で呼んでいることに気付いた女の子は口を尖らせ、眉間にしわを寄せた。ジロジロと品定めでもするかのように結衣を見ている。

「結衣、こいつは俺の妹の千秋ちあき

「初めまして、榛名結衣です」

「結衣さん、初めまして。お兄と同棲している伊織千秋です。よろしく」

 同棲という言葉にアクセントを持たせ、笑顔を向ける千秋。

「とりあえず、俺は風呂入ってくるから。千秋、結衣を部屋に案内しておいて」

「はーい」

 千秋の後ろをついていき、結衣が案内された部屋は簡単に言ってしまえば質素そのものだった。六畳一間に簡単な生活家電。真ん中に卓袱台と座布団が二組。 それ以外特に目立つ物は何も無かった。ふすまが半分開いて見える隣の部屋にも畳まれた布団が置いてあるだけ。

「いまお茶淹れるから、座って待っていてね」

「う、うん」

 出された来客用と思われる座布団に腰を落とす結衣。一人残された他人の部屋で落ち着きなく周りをキョロキョロと見てしまう。

 目に止まったのはタンスの上の写真立てに飾ってある一枚の写真。目が良過ぎる結衣には座っていてもどんな写真か分かった。

 中学生くらいの男の子四人と女の子一人。肩を並べて笑い合っている写真の中心にいる総一郎は髪こそ今よりも短く、幼さの残る顔立ちをしていた。

「どうぞ」

 故郷の村の友達かなと、結衣は写真を眺めながら考えていると千秋がお茶を差し出してきた。

「ありがとう」

 お茶をすすり、しばしの沈黙。結衣は相変わらず落ち着かない様子で周りを見ている。千秋はそんな結衣をじっと見つめていた。

「結衣さんは……」

 沈黙を破ったのは千秋の一言だった。

「お兄とはどういった関係で?」

「え、えっと……お友達だよ」

「それだけですか?」

「うん、そうだけど……」

「お兄が下の名前で読んでいましたけど?」

「あれは、総一郎くんが急に」

 言葉を遮るように、卓袱台から大きく身を乗り出し結衣に詰め寄ろうとする千秋。反射的に身を引いた結衣は、少しだけ威圧的な千秋の表情にただ怖気づくだけだった。

「本当に、お兄とはただの友達ですか?」

 千秋はゆっくりと、それでいて力強い口調で再度確認を取る。結衣が、総一郎と親しく呼んでいたから。それに対して結衣はニ、三回首を縦に振る事しかできなかった。

「それなら良かった。これからもよろしくね、結衣さん」

 先程までの表情から一転して満面の笑顔で手を伸ばす千秋。

 うん、と小さな言葉を発し、差し出された千秋の手を握り返し握手する二人。

「あがったぞ、千秋」

 握手の束の間。玄関に続く扉が開き、風呂上がりの総一郎が姿を現す。パンツ一丁の姿で

「ちょっとお兄! 年頃の女の子の前でみっともないでしょ!」

「あ、忘れてた。ゴメンな結衣」

 結衣は突然の出来事に、後ろを向くことで何とか総一郎の裸体を見ないようにしていた。

「いいよ! 気にしてないから! それより早く……」

「ほら! シャツとズボン! さっさと着てよね!」

 総一郎が用意してくれた服を着ている間も結衣はずっと後ろを向いたままだった。雄二の身体でさえ小学校のときに見ているか見ていないか覚えていないのに、友達になったばかりの総一郎の身体など、直視できるわけがなかった。引き締まった身体に適度な筋肉。左腕には火傷の跡を隠すための、肩まで続く包帯が痛々しく見えた。

 着替えが終わり、結衣の対面上に座った総一郎は神妙な顔付きをして言葉を発した。

「まずは、怖い思いをさせてしまって済まなかった」

 深々と頭を下げる総一郎。まるで今夜の出来事が全て総一郎のせいだと言っているような言葉に結衣はうん、とだけ答えた。怖い思いをしたのは事実だが、絶体絶命のピンチから二度も救ってくれたのは他ならぬ総一郎だったから、感謝こそしても怒る気持ちにはなれなかった。

「ううん、それよりも……助けてくれてありがとう。えっと……」

 結衣は後に続く言葉を探しているが、あまりにも現実からかけ離れた出来事だったためか、次の言葉が上手く見つからない。

「結衣を襲った化け物なんだが……」

 結衣が言い淀んでいることを察した総一郎は、今夜の出来事について自ら話を始めることにした。

「あれは『鬼』と呼ばれる、この国に遥か昔から存在している一族だ」

「鬼?」

 聞き慣れない単語を結衣は繰り返す。鬼と呼ばれて想像したのは、昔話などに出てくる虎柄のパンツを履いた赤色の鬼や青色の鬼の姿。

「奴らはこの世界を支配するために『鬼門きもん』と呼ばれる特殊な入口を使って鬼の住んでいる『隔世かくりよ』という場所から、この『現世げんせ』へと侵入してきて人間を襲っている」

 あまりにも当たり前のように、現実離れした言葉を続ける総一郎。何を言っているのか、結衣には一つも理解できなかった。

「そんな……」

「信じられないのも、無理はないかもしれないけど、嘘だと否定することは出来ないだろ?」

「……」

 結衣は言葉を詰まらせた。総一郎の、その言葉の意味が分かるから。いまの話だけを聞いていたら、間違いなく信じることは出来なかった。けれども、今夜の出来事は嘘でもなければ幻でもない。あんな出来事をそんな風に捉えてしまうほど馬鹿ではない。

「否定したければ、今夜の出来事自体を否定しなければいけなくなる」

 結衣が思っていたことを代弁するかのように総一郎は言った。あのとき、鬼と出会った恐怖や身体が思うように動かなかった焦燥感、死んでしまうという絶望は今も記憶に残っている。それら全てを嘘だと否定することは結衣には出来なかった。

「そう……だよね……」

 結衣は心を落ち着かせるように目を閉じ、深呼吸を繰り返す。頭の中に今も鮮明に残っている映像と総一郎の言葉が現実だということを必死に受け止めるかのように。

「納得出来たみたいだな」

 総一郎を見据える結衣の瞳には、その答えが映し出されていた。

「つまり、その鬼って化物が鬼門を通って、人間を襲っているってことだよね?」

 結衣は今教えてもらったことを簡単に要約してみた。

「そういうこと」

「それって昔からずっと?」

「俺たちが生まれる前からずっとだ。ただ、鬼がこの第三区を中心に各区に出現し始めたのはだいたい一年くらい前から」

「え?」

「しかも、それまでは各地区でまったく出現していなかったのに、ここ最近になって奴らの行動は活発になってきている」

「それって……」

「理由は分からないが、被害は続いている。覚えてないか? 学校で雄二と喋っていただろ?」

 その言葉で結衣の脳裏を嫌な話題が思い浮かぶ。

「学生ばかりが狙われている事件」

「そういうこと」

 罰が悪そうに言ってお茶を一口。それ以上は何も言わなかったが、その先の結末は結衣にも分かる。あの事件の真相を意外な形で知ることになって、ただ驚くばかりだった。

「だからー、私を頼ってくれてもいいじゃん!」

 今まで静観していた千秋が突然、口を開いた。

「お前はまだ駄目だ。子供なんだし」

「ちょ……ちょっと、待って。千秋ちゃんも知っているの?」

「当たり前でしょー。私とお兄はお兄ちゃんを追って、ここに来たんだもん」

「???」

 千秋の言葉足らずの説明に頭を悩ませる結衣。

「ややこしくなるから喋るな」

「でも……」

 総一郎の発言に、それでも言葉を続けようとした千秋だが、自分を見つめる瞳の意味を悟り、口を閉じた。今は言うべき事ではない、と。

「この国の人間は鬼に襲われても死ぬことはないみたいだが、これ以上被害を増やすわけにもいかない」

 その言葉を聞いた結衣は、単純にこう思った。化身制度のおかげなのかな、と。それと同時に様々なことに恐怖を感じた。鬼という常識外れの化物に襲われても死なない人間を造った化身制度と、もしかしたら自分が被害者になっていたという最悪の結末に対して。

「そう心配しなくても大丈夫だ。今のところ鬼門は夜にしか出現していないから、外出しないようにしておけば鬼に遭遇することは無い」

「うん……」

 あんな思いは二度と御免だ、今後は絶対に忘れ物をしないで帰ろうと誓った結衣。ふと、あることが気になった。

「あの、総一郎くん。一つ質問していい?」

「ああ」

「その鬼が出現する鬼門って何なの?よく分からないんだけど……」

 当然のように総一郎は言っていたが、そもそも鬼が出てくる鬼門というものがどういうものなのか結衣には見当もつかなかった。

「さっきも言ったけど、鬼が現世に侵入してくるための門だ。ただし、門と言われて想像つくものとは全く違う。独自の模様をしている魔方陣に近いイメージかな」

 総一郎は言いながら、紙とペンを用意し、簡単に鬼門の絵を描いていく。大きな円のなかに小さな円が幾重にも重なり、外側には様々な模様が描かれた絵は結衣にはひどく不気味に映った。

「この鬼門を使って、鬼があっち側から門を開いてこっちにやってくるってことなんだね」

 今まで聞いた話を自分なりに簡単にまとめる結衣。しかし、総一郎はそれを否定する。

「いや、ちょっと違うな。人間の住む現世と鬼の住む隔世の関係はあくまで表裏一体で成り立っている。現世が表の絶対的な基本関係なんだ。だから、鬼門も表からじゃないと開かない」

「え?」

 途切れた言葉の意図する先を結衣は理解した。

「それって、誰かが意図的に鬼門を開けているってこと?」

 にわかに信じがたい事実。口に出して言ってみると、なおのことだった。誰が何のために、そんなことをしているのか。

「その誰かを殺すために、俺はこの第三区に転校してきたんだ」

 結衣は言葉を失った。その、殺意のこもった言葉は紛れもなく本心だと直感で気付いたから。それについて問いただそうとしたが、それは出来なかった。口を開けて、話しかけようとした瞬間、何も無かった総一郎の横に少女が一人、現れたからだ。

「おい、総一郎よ。この娘っ子にそこまで話す必要あるかのう?」

「勝手に出てくるなよ。びっくりするだろ」

「え? え? え!? 誰?」

 少女が現れたと同時に、総一郎の左腕が消失したことにも結衣は驚き、ただただ目を丸くするだけだった。しかし、結衣よりも驚いていたのは総一郎と千秋、そして突然現れた少女だった。

「お主、ワシが見えておるのか?」

「結衣! こいつが見えるのか?」

「結衣ちゃん! アカちゃんが見えるの?」

 三人がいっせいに喋りだす。言葉はバラバラだが、内容は一緒。千秋がアカと呼ぶ少女が結衣に見えていることが、三人には信じられなかった。





 総一郎くんに送ってもらって自分のアパートに到着する。送ってくれた理由は当然、鬼門が出現するかもしれないから。

 帰り道の最中に言われたことはひとつだけ。今夜の事は他言無用、それだけ。今夜の事は現実離れしているから誰かに言ったところで信じてもらえないかもだけど、あの一連の事件が関わっているなら話題に出来るような内容じゃない。雄二には尚更。

 ふぅ、と一息ついたところで緊張感が抜けてしまって、そのままベッドに倒れ込む。なんとなく今夜の出来事については理解できたけど、色々とありすぎで疲れちゃった。

「その誰かを殺すために、俺は第三区に転校してきたんだ」

 脳裏に思い浮かんだ言葉。私にはそれが誰の仕業か見当もつかないし、どうしてそんなことしているのかも理解できない。

 見当違いかもしれないけれど、もしかしたら、総一郎くんは鬼門を開けている人のことを知っているのかもしれない。根拠はないけど、強いて言うなら女のカンというやつだ。

 あと、あの女の子。いきなり現れてびっくりしたけど、それ以上に三人がびっくりしていたっけ。そのことを考えようとしたところで、疲れがピークに達したみたいで、私は深い眠りについてしまった。




 所変わって総一郎のアパート。結衣を送る際に姿を消した少女は再び姿を現し、千秋の淹れたお茶を飲んでいる。

 少女の名前はアカ。総一郎の左腕に宿り、形を為している鬼の少女。

「どういうことだ?」

「なんのことじゃ?」

 総一郎の言っている意味がよく分からず問いかけるアカ。

「なんで結衣にお前の姿が見えるんだよ」

「おそらくじゃが、鬼と遭遇して免疫がついたとかどうとか……」

 バツが悪そうに言葉を止めるアカ。本人にとっても現状よく分かっていないようなセリフだった。

「それもだけどさ、なんでお兄があんなに血まみれになって帰ってきたのに結衣ちゃんだけ綺麗だったのかな? 一緒に鬼に遭遇したんでしょ?」

 千秋には結衣が帰宅してから今夜の出来事について説明していた。その質問は総一郎も感じていた疑問の一つだった。

「うむぅ……それについてもさっぱりじゃ」

「なんだよ、天下の赤鬼あかおに様にも分からないのかよ」

 冗談半分、からかい半分気味に総一郎は言う。赤鬼とは、アカの正式名称。しかし、アカ本人がその名で呼ばれることを激しく毛嫌いしているため、総一郎も千秋も赤鬼とは言わずに「アカ」と呼んでいる。

「わ、ワシにだって分からんことだってあるわい! そんな意地悪言うな!」

 少女が頬を膨らませながら腕を振り、必死な姿は可愛い以外のなにものでもなかった。

「怒っているアカちゃんも可愛いー」

 緊張感のない千秋の言葉で目に涙を浮かべ始めるアカ。何千年生きていようと今は少女の姿。それ相応の精神状態になっている。

「もう知らん! ワシは寝る!」

 やけくそ気味な捨て台詞を吐き、アカは総一郎の左腕へと戻っていった。その後は何度呼びかけても全く反応しなくなってしまった。

「あーあ、拗ねちゃった」

「お前のせいだろ、まったく」

 アカの機嫌をなおすのは当然、総一郎の役割。一度拗ねてしまうと、なかなか機嫌をなおしてくれないため、面倒なことになってしまった、と総一郎はからかったのを少しだけ後悔した。

「ねぇ、お兄」

 拗ねさせた確信犯の千秋が少し間を置いて、珍しく小さな声で呟く。

「ん?」

「お兄ちゃん、無事だよね? ちゃんと生きているよね」

 先ほど止められた話の続きを今にも消え入りそうな声で問いかけた。総一郎と千秋は二人の兄である伊織十夜いおりとおやの後を追ってこの第三区に赴いた。一年前から突然、連絡が途絶えてしまった兄の行方を探すために。

「兄貴がそんな簡単に死ぬはずないだろ。心配するな」

 総一郎は千秋を慰めるように言う。自分よりも強く、村の誰よりも優しかった十夜の姿を思い出しながら。




~あとがき~

 第五話です。色々と考えて、書き直しているうちに遅くなりました。前回出ていた化物、鬼についてですけど、今作の明確な敵役として登場させていく予定です。昔話とかでも必ず鬼が出ているなーって思ったのがきっかけですね。桃太郎しかり一寸法師しかり。ただどうやってその鬼の説明を文章に組み込んでいくのかが非常に難しい……。説明ばかり続くのは見ていて疲れると思いますし。

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