第4話「未知との遭遇をしてしまいました」
相沢と伊織くんの決闘から十日。相沢が学校に来なくなったこと以外に大きく変わったことはなく、伊織くんも普段通りに生活している。適応率のことはクラスの皆も知っているけど、当の本人が全く気にしていない様子だから、誰も変に気遣うこと無く今まで通り普通に接している。
私はというと、特にクラスから浮いているわけでもなく、かといって目立つような存在でも無いし、自分から積極的に話をするようなこともしない。私もいつも通り。
結果、未だに友だちが出来ていない。伊織くんと雄二以外に話を出来るクラスメイトが居ない。でも、誰とも話をしていない訳ではないのだ。落としたペンを拾ったときに「ありがとう」と言われた時も「どういたしまして」と小声で言ったし、授業でグループを作ったときにも相槌くらいなら出来た。もちろん私からは一切話を振ることは無くただ他の人の話を聞いていただけだけど。
こういうダメなことをポジティヴに捉え、言い訳を考えてしまっている時点で友だちが出来ないのは当たり前なんだけどね。
変わりたいと思ったけど、そう簡単には変われないのか。難しいなぁ。
「さっきからため息ばかりついているけど、幸せが逃げていくぞ?」
昼食を買いに購買部から戻ってきた雄二がパンを食べながら話しかけてくる。というか、口に物を入れたまま喋らないでよ、行儀が悪い。
「最近良く耳にするよな、あの事件」
「止めてよ、その話。あんまり好きじゃないから」
雄二が言っているのは、この第三区で一週間くらい前から起こっている、連続傷害事件のこと。連日ニュースにもなっていて、被害者が全員高校生で、襲われたあと意識不明のまま目を覚まさないという奇妙な事件。事件が事件だけに桐生高校でも全校集会が行われた。
「んだよ、つれないな。今じゃ生徒の間でも結構話題になっているのによ。お前はどう思う?総一郎」
「確かに、結衣の言うとおり聞いていて気分のいい話じゃないな」
「ぶふっ」
「うおっ!いきなりなんだ!」
「大丈夫か、結衣」
慌てる二人に平手を見せて大丈夫だと落ち着かせて、もう片方の手で口元を押さえる。いきなり名前で呼ばれた。前触れとかも無くいきなり。飲んでいたコーヒー牛乳が驚きのあまり鼻に入ってしまった。
雄二以外の男子から名前で呼ばれたことなんて初めてだし、嬉しい半分、恥ずかしい半分でそれから休み時間のあいだ、噂についてどうでも良い憶測や推理をしている雄二の話を呆れず聞いている総一郎くんの顔をまともに見ることが出来なかった。
時刻は夜の七時三十分。昼の喧騒が嘘のように静寂に包まれた学校。こんな時間になんで私が学校にいるのかと言うと、スマホを忘れてしまったから。休み時間のあとからずっと呆けていたのがそもそもの原因。思い返してみても未だに慣れないなぁ、伊織くんから下の名前で呼ばれるの。
ふと、妙な音が聞こえた、気がした。風の音や、犬の吠える声のようにも聞こえたけど、どことなく奇妙な音。お昼に話題に出ていた噂の話もあってか、いつも見ている校舎の風景も月明かりに照らされて不気味な雰囲気を出している。
「夜の学校って、やっぱり怖いな」
そもそも閉まっている校舎に入るのは普通にダメだけど、スマホが無いと、落ち着かないし、見たいテレビ番組もあるし。
「うん、大丈夫。私が狙われるなんて考えられないし、忘れ物取りに行くだけだもん。大丈夫よ」
無理矢理ポジティヴ思考に切り替えて校門をひとっ飛びして用務員入口から校舎内へと潜入する。
何か重要なことを忘れているかもしれないけど、このとき私はスマホを取ってアパートに帰ることしか考えていなかった。
色々なことがあったせいか、忘れていたのはあの夜の出来事。
私の考えが違っていたと思いこんだままになっていた、あの夜の出来事。
静まり帰った教室に月明りが届いていないせいで、机に何度かぶつかりながらも自分の机に到着し、目的のスマホを見つけ出した。
スマホも見つかったし、さっさとアパートに帰ろう。時刻を確認してみるとそろそろ八時になろうとしていた。やばいな、見たいTVには間に合いそうにない。
いつものように帰宅しようと、教室を後にして階段へと足を進める。来た時よりも目が慣れているから、不気味さは感じなかった。
階段へ向かって歩いている途中、視線の先に何かが見えた。それが何かは良く分からないけど、足を止めて、目を凝らし、何があるのかをよく確かめてみる。
それは、とても大きかった。天井に届きそうな巨体に、明らかに異質な太さの手足。人の形をしているけど、人には見えない。まるで……化け物のよう。
「……なに、あれ」
ようやくと言うか、今更ながらにその異質なモノに対して恐怖を感じ、身構えながら足を後ろへと一歩下げる。
ふと、足の動きに反応したかのようにそれの目が大きく見開かれた。青い色の不気味な瞳。こっちを見ているような気がして更に恐怖が湧きあがってくる。
今にも叫びそうなくらい怖い。けど、必死でこらえてもう二、三歩さらに後ろへと下がり距離を取ろうと試みた。
それはまた、こちらの動きに合わせて太い足を一歩前へと進める。前に出たことにより、月明かりの差し込む窓の横に位置付けたそれを見て。
「あ……」
思わず、声が漏れた。それを見た瞬間。あのときのことを思い出した。
忘れていた、間違いであって欲しいと思ったこと。あの夜の出来事。あまりにも現実離れしていた、自分の中で勝手に推測して、思い込んで、誰にも何も言わず、言えずにいた。勘違いしたままのあの夜の出来事。
「きゃああああああ!」
叫び出すと同時に走りだした。来た道を無我夢中で。後ろから響く重い足音で、私を狙って追いかけてきているのが分かった。
見えてしまった。頭から伸びる二本の角。
あれは、あの夜に見た、なまじ視力が良過ぎたせいで見えたあの化け物と同じ角。
こんなことになるなら、怖いもの見たさなんて止めておけば良かった。あのとき、さっさと家に帰っていればこんな怖い思いをしなくて済んだかもしれないのに。いや、夜の学校に入らなければ良かったんだ。
頭の中が混乱を極めていた。現実じゃない、夢であって欲しいと何度も心の中で叫び続けた。殺されるかもしれないという考えを必死で振り払った。
「あっ!」
不意に足がもつれ、勢いよく転倒してしまう。動きにくい制服に、履き慣れていない革靴。思考と行動がバラバラだったから当然といえば当然。
振り返った先。確実にこちらに向かって走ってくる化け物。意外にも距離は離れていて、急いで走り始めればまだ逃げ切れるかもと思った。
しかし、立ち上がろうにも、足が震えていた。それでようやく身体も恐怖に支配されていることに気付いた。
化け物が、目と鼻の先まで近づいてくる。
化け物が、大きな手を振り下ろしてくる。
私は、その絶望を否定するかのようにきつく目を閉じた。私自身が、今日この場所で死ぬという絶望を。
しかし、その絶望が現実になることは無かった。目を開いた先にある大きな背中と、黒の長髪。見覚えのある、布で覆われたままの長剣で化け物の手を受け止めていた。
「そ、総一郎くん?」
名前で呼ぶのが照れくさいとか言っている状況ではないが、反射的に言葉が漏れた。自分の窮地を救ってくれた、高校生になって初めて出来た友達の名前を。
「逃げろ」
「え?」
「さっさと逃げろ! 死にたいのか!」
総一郎くんから聞いたことのない大きな怒鳴り声は、私の恐怖心を強引に拭ってくれて、いつしか足の震えは止まっていた。
「う、うん!」
私は再び、その場から急いで離れるために来た道を全力で走っていく。
何故、総一郎くんが助けにきてくれたのか、人のこと言えないけどどうして夜の校舎にいるのか、疑問は尽きないけれど、今は言うとおりに逃げよう。
時は遡り、結衣が学校に侵入する少し前。総一郎は屋上から学園全体を見渡していた。
「本当にここに来るのか?」
「間違いない、ワシの嗅覚が覚えておるからの」
総一郎の近くから響くように聞こえる少女の声。しかし、姿はどこにもない。高い声に似つかわしくない口調でもあるが、総一郎はそれらを不思議に思うことはなかった。友人にも嘘をついている左腕の包帯。
声は左腕から聞こえてくる。
声の正体でもある少女に助けられた左腕から。
総一郎が生きていられるのは少女のおかげ。
「ただ……」
「ただ?」
「何かがおかしい。此度の鬼門の影響で出現した奴らは粗方殺したのは間違いない。しかし、今日の奴は気配が違う。用心せぇよ、総一郎」
「気配が違うってどういう風に?」
「なんじゃかのぅ、気持ち悪い感じがしてならん。喉に小骨が引っかかる感じじゃ」
少女の曖昧な表現を、総一郎はため息一つで答える。これもいつものこと。
「まぁ、対峙してみればその気持ち悪い正体も分かるだろ」
話を終え、再び周囲の探索に入る総一郎の目に、校庭を走る一つの影が映った。
「あれは……っ! おい、結界は?」
「……忘れておった、スマンな」
総一郎は目頭を押さえ、もう一度大きなため息をつく。
「お前なぁ、いい加減忘れるの勘弁してくれよ。これ以上は流石にマズいだろ」
「誰にだって失敗はあるものじゃ」
あっけらかんとした口調の少女。自分の失敗をまったく気にしていないみたいだが、総一郎はそう思ってはいられない。
人影の正体が結衣だったから。以前も目撃されているのを総一郎は知っている。これ以上は本当に見つかるわけにはいかなかったのだが……。前回目撃されてしまったのも、少女が結界を張り忘れてしまったためである。
言い合おうとした総一郎の口が止まる。
前かがみの身体を起こし、こちらにゆっくりと近づいてきている、人間離れした大きな身体に頭部から二本の角を生やした化物に向き直る。
「今日は何匹だ?」
「二匹じゃな」
「……帰ったら説教だな」
「なんじゃと!?」
「コイツの他にもう一匹いるなら結衣が出くわす可能性だってあるんだぞ!」
「なんじゃ? あの娘っ子ともうそんな仲なのか? 隅に置けんのう、総一郎よ」
少女の態度の急変ぶりに、言い争うのは無理だと判断し、口を閉じた総一郎。今は目の前の化物退治に専念するため、刀を握る左手に力を入れる。
「痛いのう、もっと優しく扱わんか。ワシはレディじゃぞ」
無視する総一郎。
「さっさと片づけて、あの娘っ子にも無事に帰ってもらうとしよう。うん、それが一番じゃな」
それを難しくしているのは誰だよと心の中で突っ込みを入れながら、総一郎は静かに刀を抜いた。
時は戻り、仄暗い校舎の廊下。総一郎は化け物との攻防を繰り広げていた。狭い廊下で見境なく暴れる化け物に対し、総一郎は攻めあぐねていた。
「間一髪だったのう、無事に助けられたみたいじゃな」
「うるせぇよ! もとはと言えばお前がちゃんと結界張っていればこんな苦労してないんだよ!」
総一郎は喋りながらも、化け物の攻撃の手が止む一瞬の隙を見逃さなかった。
一歩で化物の懐へと潜り込む。
流れるような動作から抜刀を縦に一閃。
化物の体は真っ二つに斬られ、大量の血飛沫をまき散らしながら左右に倒れ込んだ。
「ふむ、これにて一件落着じゃな、よくやったぞ総一郎」
「一件落着じゃねーよ、まったく」
少女は労いの言葉をかけるが、総一郎は反論しながら刀についた血をふき取り鞘に納める。
能天気で気分屋。自分の思ったままに声を発する少女。総一郎が出会ったときから思っている印象だった。一年前に助けられた時から。
化物の身体はやがて、灰化し原形を留めなくなるほどに崩れ落ちていった。血も跡かたもなく消え去り、さっきまで化物がここにいた証明は、総一郎の服についた返り血だけだった。
「さぁ、あの娘っ子を探すぞ」
屋上での化物退治の後。直後に聞こえた悲鳴をもとに全力で駆け付けた総一郎。結衣が襲われた現場が屋上の一つ下の階だったため、最悪の事態を防ぐことは出来たが、悪い状況に陥っていることには変わりない。
「そうだな、結衣を探さないと。うまく学校から抜け出せてればいいけど……」
起こった出来事を後悔していても仕方ない。結衣にはしっかりと事情を説明すると決めた。さすがにもう黙っているわけにはいかない状況になってしまっているのは事実だ。
「きゃあああああああああああ!」
再び聞こえた悲鳴。先ほどと同じ悲鳴。声の主は結衣だ。
「っ!」
「外じゃ! 総一郎!」
窓からグラウンドを見ると、結衣が化物に追われていた。必死に逃げているようだが、徐々に差が縮まっているのが三階からでも判断できる。
「最悪じゃのう」
「呑気に言っている場合か!」
総一郎は窓を蹴破り、一気にグラウンドまで飛び降りた。着地の反動をものともせずにそのまま全速力で走り出す。
「総一郎! あやつが小骨じゃ!」
「わけわかんねーよ!」
結衣が襲われるよりも早く、適応率0%で、普通の人間と変わらない筈の総一郎は圧倒的なスピードで化物に近づいていく。
総一郎はその速度のまま、化物を目掛けて飛び上がる。狙いは首筋。
抜刀による一撃は綺麗に決まり、化物の首は地面へと落ちていった。 それと同時に化物の動きは完全に止まった。
総一郎の視界の先、微かに見えた結衣の姿は最初に助けたときと同じ姿をしていた。
結衣はまた、こけていたのだ。
程なく、化物の身体は糸が切れたかのように膝をつき、そのまま地面へと倒れていく。
「なにが小骨だよ、いつもと変わらないじゃないか」
先程、少女が言っていた言葉の意味をある程度理解できた総一郎だが、倒してみれば何時もと変わらない化物退治だった。
「うむぅ、おかしいのう」
「えっと……あの……」
事態を飲み込めていない結衣には、総一郎が一人で喋っているようにしか見えていなかった。
少女の声は今、総一郎にしか聞こえていないのだから。
さて、どうやって話そうか。と総一郎が考えていたその時、ある異変が起こった。
死んだはずの化物の身体が泡立ちながら徐々に膨張していく。それは原形を留めないほどにまで続き、球体のように変化していった。
「っ!」
総一郎が異変に気づいた刹那、化物の膨張した身体は、けたたましい音とともに破裂し肉片を撒き散らしながら辺り一面を血で染めていった。
「何だったんだ……いったい……」
一転、静まり返ったその場にいる二人。
結衣の瞳には、全身に返り血を浴びた総一郎の姿が。
総一郎の瞳には、ただ自分を見つめてくる結衣の姿が。
返り血をいっさい浴びていない、結衣の姿が映っていた。
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