榊原真希那

 ×月××日 

 佐鳥雪華と佐鳥唯について、これまでの観察記録。これは私的なものであり、公開するつもりはない。だがこの記録は、彼女らの特異な存在をここに記述することで第三者がそれをみなかったとしても、私が観測した事実は確かなものになる。それが今、私にできる彼女たちへの唯一の慰めだ。だが堅苦しいカルテのような様式を彼女たちに用いることは適当でないようにも思う。私は彼女たちはもっと自由な記述で表したい。

 佐鳥雪華について書く前に、佐鳥唯についてある程度記すことが全体の流れが分かりやすくなると思われる。

 佐鳥唯、佐鳥雪華と初めて出会ったのは、佐鳥雪華が児童養護施設の紹介を経て研究所に診察を求めてきた日、私が診察室に同席させてもらった時が最初だ。雪華に付き添うように、佐鳥唯は医師に向かって少し後ろに座っていた。二人は瓜二つで、何より真っ白な髪と肌、真っ赤な瞳が印象的だった。明らかな色素欠乏症だったが、二人に漂う空気はそれだけではない、何か異様なものを感じた。

 佐鳥雪華の診察は染矢というベテラン医師が担当した。私は染矢医師により様子を伺うことが許可される。二人との交流を持つことを許可され、遊戯療法用のプレイルームで一緒に遊んだこともある。

 あるとき佐鳥雪華がいないときに、佐鳥唯は自身のことを宇宙人であると言った。雪華もまた同族で、何代も前に宇宙人が地球人と交配し、その子孫が自分たちなのだという。幾年も前に起きた地震で倒壊した生家には、その証拠がたくさん残されていると(その地震で両親ともに亡くなったという)。

 ここからは児童養護施設の職員の証言だが、その頃は彼女たちはとても幼かったがゆえに両親との記憶はほとんどないらしい。双子の姉の佐鳥雪華が現実から逃避しようとした半面、唯はその倒壊した家屋に残された自分たちのルーツを探し求めたらしい。しかし探そうと思ったころには児童期も終わりに近づいていたころで、地震から数年が経過していた。既に生家のほとんどが市役所によって片づけられ、何もかもが処分されてしまっていた。その後、研究所にくるまでの間過ごしていた児童養護施設では、唯は突然不安に駆られ、時折泣き出すこともあったらしい。しかし自らのルーツを求め、そして何もかもが処分されていることを知り、数日か、数週間か経った頃、ふと泣くのをやめ、施設の職員に言ったという。『自分は一人なのだ、だけど一人ではない』と。

 そのトートロージーを職員は理解できなかったが、その話を職員から聞いた後、私は唯に尋ねてみた。すると『自分は宇宙人、つまりこの地球上を探索する一つの端末でしかないという意味で、この世界に独りぼっちなのだ。だけど端末ということはそれは一つの大きな集合体の一部という意味でもあり、その意味で一人ではない』と。唯のその言葉を狂言、妄想として何らかの精神疾患を想像する人もいるかもしれない。はたまた佐鳥唯自身の孤独を表現するのに宇宙人という表象がもっとも適切で、それと自己を同化してしまった、などと考える人もいるかもしれない。しかしそれらは(私的なメモだから書けるし今だからわかるが)あまりにも乱暴なことであり、私にとってはそれは不必要なことであると考える。私は今は彼女たちは本当に宇宙人だと思っている。後述するが彼女によってもたらされた示唆は数多くのものがある。

 呪術師の家系であるということはあの地震以前の彼女たちの生活スタイルや生家の様子(山奥の平原にお寺のような建物があり、そこに仏像と彼女たちの家があった)、それらのことの信者たちからの聞き取りにより明らかだ――それでも引き取り手がなかったのはその呪術師の文化の中で彼女たちは恐れられたから、ということらしく、それも災厄を起こすものとして禍々しく拒絶されたらしい(私の経験上、拒まれながら信仰されるという様式は少なくない)。その結果引き取り手がなく児童養護施設にいたのだが、私は彼女たちにとても興味を持った。雪華の症状の話は染矢医師から話を聞いていたが、その病気について、呪術師という文化の影響や人間観――このとき『自分が宇宙人である』というのを人間観程度にしか考えていなかった――が双生児という遺伝子が一致した状況でどう違いが表れるのかは、その病気の成り立ちを考えるうえでとても興味深いものになると考えた。

 私は染矢医師による臨床を参考にしながら、佐鳥唯と佐鳥雪華の比較を始めた(過保護な父が多少の予算をおろしてくれ、所員に協力するよう声をかけてくれた)。その頃から、二人は研究所で暮らすようになった。唯は私を気に入ってくれ、姉のように慕ってくれたが、よほど児童養護施設に居たくなかったらしく、雪華のように入院することはできないか、と懇願してきた(雪華は時折体に血がついていて、染矢医師は自傷を疑ったらしい。確かに腕に細いみみずばれが見え、閉鎖病棟に入院させていた)。しかし児童養護施設が嫌という理由で入院というのも手続き上できないと思い、断ろうとしたが彼女のその時の顔が忘れられず、父に話してみるとなんとうまく入院させることができた。このころはまだ精神科入院の規制が十分徹底されていない病院もあり、うちもその一つだったということらしい。所内では看護師たちの噂話のネタにされたが、それでも佐鳥唯は楽しそうだった。

 そして佐鳥雪華。彼女は佐鳥唯と対比的に、とてもつらそうな入院生活を送っていた。私が何度も面接をし、プレイルームでの観察を通して、彼女を理解しようとした。しかし彼女は心を開こうとしない。症状の訴えだけは必死に話しているらしいが、それ以外のことは話しかけても応えようとはしなかった。人を拒絶しているような、そのようにも見えた。のちにわかったことだが、彼女は人と接しすぎると血の涙を流す。それが辛くて人を避けていたのだ。だが彼女の症状について、文献をあさってそれを示して見せると興味をもった。今の症状を解決することにはとても意欲的で、心こそ通わせようとしないが『それで?』『なるほど』『その先は?』と目を合わせないよう、俯いたまま話を促した。それで少し話を脱線させ、哲学の話を持ち掛けみるととても興味を持ち、目を逸らせながら、それでも興味を持っているのはよくわかる、何度もうなずいて話を聞いていた。しかしある日、奇妙な現象に遭遇する。そしてその奇妙な現象が出現することで、精神疾患の児童と健常者の児童、二人の双生児を文化について検証しながら研究していくという当初の目論見は水泡に帰してしまう。

 佐鳥雪華が薬を飲まないという日が何日もつづいたのだ。何気なく、会話で薬の話になり、飲んだか聞いてみると飲んでいないという。おかしいと思い病棟に聞いてみる。もちろん病棟の看護師が薬を管理しているわけで、それを受け取って飲まなかったというのではないようだ。受け取りさえしていない、さらに言えば看護師が配りさえしていないということが起きたのだ。毎日担当の看護師が変わるので、何日も違う看護師が同じ患者の薬を忘れ続けたということになる。手続き上のミスだと思い、私が指摘すると看護師は気づく。しかし二、三日して雪華は薬を飲んでいないと言い、再び薬が配られなくなっていた。

 私は雪華を忘れられていると腹が立ち、しかし再度指摘すると看護師は自らの過失に気づく。不思議に思いながらそれを繰り返していると、ある日、私は看護師に何度目かの指摘をした時、看護師はこういった『佐鳥雪華さん? どなたですか?』と。私は訳が分からなくなって雪華の元へ走った。彼女はそこにいた。そして私にこう言った『真希那には私が見えている?』と。私は思わず雪華を抱きしめたが、彼女は私の胸の中で嗚咽を混じらせながら泣いた。一体何が起こったのかわからず、私は動揺していた。とりあえず、佐鳥唯を呼んだ。彼女に聞けば何かわかるのではないか、そう思ったのだ。唯は自分たちは人間に認識されなくなることがあるという。雪華の場合はそれが重度に進んでしまっていて、それを直す手立ては知らないという。しかし唯は雪華を知っていると言い、会わせると見えると言った。そして私を雪華の部屋から連れ出すと、以前話していた宇宙人の話を始めた。自分たちは宇宙人だ。だから雪華を認識できるうちに私たちのことを調べてほしい、そうすれば何か雪華を助ける方法が見つかるかもしれない。私も雪華もどんな手伝いでもする、と。

 私は彼女たちを理解するために精神医学の文献を見ていても理解できないことを悟り、様々な文献に手を出した。哲学書をはじめ、ほとんどオカルトの類のモノや、疑似科学に至る怪しいものまで。

 雪華のことを忘れていく自分に気づきながら、なぜ自分はこんなことを調べているのかわからなくなりながら、それ自体が目的となり、気付くと数年たっていて、雪華のことも忘れてしまい、ただ文献を漁る日々だけが残った。

 自分の部屋にうずたかく積まれた書籍類をぼんやりと眺めていたとき、私はふと奇妙な思いつきを得た。それはこの世界の在り方についての一つの仮説だ。その仮説を思いついたとき、私の世界から時間が奪われた。そこにはすべてがあり、すべてが見渡せた。何もかもが混在していて、眩暈を覚えた。そしてその場所には、遠くに一人の少女が倒れているのが見えた。よろよろと歩いていく。その少女は真っ白な体をしていた。彼女の身体を抱きかかえると、涙も枯れ、死んだような目で私を見上げる。そして私の名前をつぶやいた。そしてこの少女のことを思い出す。佐鳥雪華。だから私は『見えているよ』といい、するとその目じりにわずかに涙が浮いた。その瞬間は今でも鮮明に覚えている。

 そして私は彼女を認識できるようになった。佐鳥唯とはずっと交流を持っていたが、話していても聞き落としていたのか、それとも意識が向かなくなっていたのか、佐鳥雪華のことはすっかり忘れていた。

 私は人間と宇宙人の感覚の違いを、行き来できるようになったらしい。彼女たちとの交流を基軸に文献を読み漁ったのが原因のようだ。

 そして、彼女たちを観察することで、先述したこの世界についての興味深い示唆を得ることができた。

 まず二人は宇宙人だ。そして私たち人類と感覚の違いを有している。数百年にわたり地球人と交配を続けてきたことにより、その性質はほとんどなくなってきている。しかしそこには我々地球人、人間の持つ特性についての示唆に富む内容が含まれている。第一に時間感覚のずれだ。私たち地球人は時間は過去から未来に向かって流れる一本の川のようなものを連想するだろう。しかし彼女たちの時間感覚は違い、一つの閉ざされた空間に過去も現在も未来もすべてがあるという。そして地球人にはそこに時間を与える能力があり、時間を伴い一つの存在として見つめることができているという。二つ目に、時間感覚のずれと同時におこる世界における存在の仕方の違いも特筆すべきだ。我々は世界の中で存在している。それは客観的に箱庭のような場所に置かれたフィギュアではなく、それぞれが連関しながら存在しているということだ。これは一部の哲学者の思想と一致するだろう。それらの連関は意味連関、もしくはノエマ的連関として表現される。そして時間を持たない彼女たちはその世界に存在すること、つまり連関することがうまくできず、ヒトから消えているように感じられることも多い。いや、意識に上らないのだから感じられることすらないのだろう。

 そして彼女たちは我々と記憶を共有することが難しい場面がある。その際の記憶というのは心理学でいうところのエピソード記憶だ。エピソード記憶を記憶し、共有することが難しく、それは一定期間保持することができても、ある時すべて失われてしまっている。しかし保持されていた間に意味記憶として処理されることにより、ある程度の一貫した記憶は保つことができるようである。それらのことは我々が他者とつながる際の記憶、特にエピソード記憶の重要性について示唆している。

 彼女らの身体の地球人との近親性は長年の交配によるものなのか、当初からこのような身体をしていたのかには研究の余地がありそうだ。佐鳥唯は地球人と同化することを目的としていたという。交配が可能ということであれば身体の大まかなつくりは地球人と一致していたのだろう。

 私は様々な文献を読み漁るうちに彼女らと同じような意識を手に入れることができた。そしてそれは現在の社会に適応可能な状態と行き来できるようだった。しかし、それを手に入れたところで佐鳥雪華の悩みを解決することはできなかった。臨床経験の不足は否めないが先輩医師にいくら聞いてみたところで不思議そうな顔しかされない。もちろん宇宙人だということは伏せている。私の気がふれたと思われるのは嫌だから。医局で唯と話をするときも、信じていないふりをしている。それに私が宇宙人を理解できるようになったように、人間を理解できるようにならないかと本を読ませても見たが、ダメだった。

 呪術師の文化の研究という名目で佐鳥唯を研究所に置いているが、いつまで父が許してくれるものか……。

 どうして佐鳥雪華は自分のことを宇宙人だと言わないのか、佐鳥唯に聞いてみたことがある。彼女は自分は人間だと言い張り、人間として振る舞い続けているという。自分が宇宙人であることは認めたくないらしい。しかしそんな彼女の生き方に、唯は自分もそんな風に生きたいと思っているようでもある。髪の長さから服装まで、何もかも雪華に合わせているのだから。

 精神医学は当然脳についても研究するので、脳との因果関係を少しばかり考えてみた。そして時間を取り戻すための仮説を佐鳥唯に披露してみた。もしかしたらその部位を食べれば治るかもしれない、という話だったが、唯は嫌な顔をした。せっかく考えたのにがっかりだったが、この仮説を検証するには実際に実行しないといけないことを思うと嫌な顔にもなるかもしれない。

 それでも彼女たちは私のわずかばかりの知識に喜んで熱心に聞いてくれるので、話していて楽しい。だけど私の興味だけで彼女たちを惑わすことのないよう注意しなければならない。変に期待をさせたり、悲しませたりしたくない。

 ともかく今日はこのくらい書き、もう寝ることにする。今日の日記は長すぎた。もう深夜過ぎている。もう寝よう。

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