第7話

 外は雨が降っている。ざあざあと本降りだ。室内の明るさで鏡のような窓ガラスは吹き付ける雨粒で歪められている。こんな日でも雪華は公園にいる。可哀想だが拒むものを無理やり連れてくるわけにはいかない。

 そして千沙都は家に来なかった。清々している。虚しさを覚えるがそんな感情が千沙都に起因するものだと思うと嫌気がさした。考えない。僕は今、雪華にしか目を向けない。

 玄関に行き、傘を二本手に取って家を出る。傘くらいコンビニから盗んでいるかもしれないが、あまり盗むことを習慣にして欲しくない。

 公園に着くと時計の下に立つ。ここが一番よく見えるから、来たことがすぐにわかるだろう。

 案の定、雪華はどこからかやってきた。しかし傘を持っていない。ずぶ濡れだ。

「傘はどうしたんだ?」

「コンビニに行こうとしたらすでに雨脚が強くなってて、もういいや、って」

「とりあえず服を着替えよう、予備はあるんだろう? 傘はあるから」

 ありがとう、と言って僕の見えないところへ走っていく。

 やはり雨は降り続いている。鬱陶しい気もするが、たまには悪くないようにも思う。

「着替えてきたよ」

「いつも同じような服だな」

 さっき来ていたのとは少しだけ違うデザイン、しかし白を基調としたワンピースで、そっくりとしか言えない。

「どうせ使い捨てだからね」

 なんとなく言葉に棘があった気もしたが、気に留めることもないだろう。

「今日はどこへ行くんだ?」

「今日も少し歩こうかと思って。駅からずっと南に歩き続けて、川を渡ってその先の団地の近くの廃ビルのところで」

「よし、じゃあ行こうか」

 歩き始めようとしたとき、パン、と鋭い破裂音がした。響き渡る音に僕はあたりを見回す。

 雪華が傘を振り捨て、僕の腕をつかむと「急いで」と言って公園の遊具、一番分厚いコンクリートの山の裏に連れていく。

「きっとあいつだ」

 そうつぶやくと雪華は左のスカートの裾をめくり、そこから拳銃を取り出す。右はナイフで左は拳銃なのか。

 などとぼんやり考えているとすぐに次の音が聞こえる。

「あれは?」

「銃声以外に何があるの? 隠れて!」

 遊具から頭をのぞかせ、雪華は応戦する。しかし手に持っているのは警察用と思われるリボルバー式の拳銃でどう考えても弾数が足りない。

 パン、パン、と音がして、雪華は遊具に隠れる。隠れざまに威嚇射撃というのか、相手に向かって撃つ。つんざくような銃声が頭に響く。

「弾はまだあるのか?」

「これで全部」

 そういって軽く拳銃を揺らして示す。装填されているのは数発しかない。

「絶対に勝ち目がないだろう」

「撃たれる前に撃てばいい」

 僕はどうしようか考えるが何も思い浮かばない。

「あいつ、って一体誰なんだ?」

 また銃声がして、雪華は隠れた。

「あいつは私の妹、以前話した私を認識できる人の一人で、殺しにくる方」

 雪華はまた身を乗り出す。今度は狙って撃つ。

「あたりそうか?」

「向こうも塀に隠れてる。今度はあてる」

 姉妹で殺し合いをしている。出来れば止めたい。せっかく彼女の存在を認めれる、数少ない人なのに。

 また銃声が響く。雨音が辛うじてそれを消し去ってくれる。

「後何発ある?」

「二発。次で仕留める。頭に当たればそれでいい」

「あいつはどうして雪華を殺そうとするんだ?」

「決まってるでしょ、私が人を殺すからよ。正義の味方のつもりかしら。あてるから黙ってて!」

 雪華の銃声が一発聞こえる。外したらしい、また陰に隠れる。

「後一発、これで当てれなかったら終わりよ」

 引き攣った笑いを見せながら、また拳銃を構えようとする。

「待て、考えがある。雪華はここで隠れていてくれ」

 僕はそろそろと両手を掲げた。相手は撃ってこない。思った通り、これならいける。

 両手を挙げたままゆっくりと立ち上がり、相手を見る。そこには雪華と同じ色、つまり真っ白の肌と髪、真っ赤な瞳をした黒いスーツ姿の少女が、拳銃を構えてこちらをにらんでいた。

「話し合おう、話せばわかるって」

 「何を馬鹿なことをいってるの」と雪華の方から聞こえてくる。

「はじめまして、あなたは誰かしら」

 黒いスーツ姿の少女は聞いてくる、明らかに苛立ちながら。僕はゆっくりとその少女に歩み寄りながら、何を言えばいいか必死に考える。

「安岐隼人というものです」

「名前を聞いているわけじゃない、馬鹿にしてるの?」

「僕は名乗った、名乗ってもらいましょうか」

「名乗る必要なんてない」

「一方通行というのはなしにしましょうよ」

「うるさい」

 しかしこんな会話を続けても、彼女の拳銃は常に雪華の隠れている遊具に向いたままだ。僕はそこから随分それているのに。

「僕は安岐隼人です。名前は?」

「教えない」

「教えてくれたら、この膠着状態を変えて見せましょう」

「佐鳥、唯……だけど」

 乗ったのか、こんな煽り文句に乗ったのか?

「佐鳥唯さんですか。ありがとうございます」

「別に、ちょっと言ってみただけよ。もしかしたら、ということもあると思ったから……」

「その拳銃、軍用拳銃ですね」

「そうだけど……わかるの?」

 なぜか少し嬉しそうにする。ミリタリーにでも興味があるのだろうか。

「ゲームで見たことがあります。少なくとも日本の警察官は使わない。どうやって手に入れたのですか?」

「話さないとダメ?」

「いいえ」

 僕はスーツの少女に向かって走った。驚いて拳銃を向けるが撃たない。よかった、読みは当たった。人殺しを否定するなら、きっと僕を殺すことにも躊躇する。すぐに拳銃を握る腕にしがみつく。弾は空に放たれた。

「逃げろ、雪華!」

 ありったけの声で叫ぶ。雪華が公園の反対側の入り口から駆け出していくのが見える。佐鳥唯と僕は倒れ込み、銃は彼女の手から放り出された。

 思い切りこぶしで顔を殴られる。思わずひるみそうになるが、拳銃の元へ突っ走る。それを掴むと公園の砂地の泥に思い切り突き立てた。

 これで大丈夫、そう思いかけたとき、後頭部に硬いものが当たる。

「どういうつもり? 安岐隼人さん」

 予備があったんだ……。こんどこそ降伏の意味を込めて両手をあげる。同じ手は二度は通用しないだろう。もうどうしようもない。雪華は逃げられたし、もういいや。

 緊迫した空気が緩み、雨の打ち付ける音が聞こえ始める。諦めがついたころ、かちゃり、と音がする。撃たれるのかと思ったが、恐る恐る振り向いてみると少女は拳銃を下していた。僕は胸をなでおろす。みんな助かったんだ。

「答えて、どういうつもりなの? せっかくのチャンスが台無しじゃない」

「姉妹なんだろ? 殺しあうものじゃない」

「お説教なんて聞きたくない。あなたは一体何なの?」

「僕は佐鳥雪華の味方だ」

「ということはあいつのやってきたことも知ってるのよね? 何人殺してきたか知ってる? 数え上げればもう二桁よ。それでも味方でいるつもりなの?」

「数は関係ないだろう」

 佐鳥唯は大きくため息をついた。そして泥にまみれた拳銃を拾い上げると舌打ちをした。

「そうね、人の命だもの、量りにかけられない。だけどこの国では二人殺せばまず死刑。私に裁く権利はないけれど、姉妹として、あいつの過ちを止める義務がある。間違ったことをしている家族を野放しにはできない」

「僕は雪華は間違っていないと思う」

「は? 人殺しが間違っていないって?」

「この国には確かに法律があって、判例からして雪華は死刑だろう。だけどそれがただ事実としてそこに与えられているだけであって、そこに正義も何もないと思う。雪華にはそれしか生きる手段がなくて、だから殺しているのならば仕方のないことだ」

「つまり、死刑という対価を払えば殺してもいいということ?」

「それは極論だ。だけど死刑というのは社会が与えるもので、その中の個人一人が考える善とは相いれない時もある。だから佐鳥唯さん、あなたが考える善もあなたの中のものでしかない、自分でもわかっている通り法の代行者には決してなれない。僕は雪華のしていることが善いことだとは思わない、僕の中の善もまた彼女とは違うから。だけど彼女が仮に裁かれたとしても理解者でいられると思う。どんな状況でも肯定し続ける」

「それなら私の中の善も決まっている。私はあいつのことを私の良心に照らし合わせて否定する。相対的なものということでしょう? むしろ法が出てこないだけやりやすい、私の殺人――あいつを殺すこと、も否定されないならね」

「人はきっと内在する良心に照らし合わせて、行動している。雪華があんな行動をとるしかないのはその良心に照らし合わせた結果だと思う。彼女は理性的に行動できている。人を殺して苦しんでいる。それでも彼女が生きるためには仕方がない」

「それならあいつが死ねばいい」

「あなたは実の姉妹を愛していないのか? どうしてそこまで否定できる?」

「愛? そんなものどうでもいい」

 銃口がこちらを向く。反射的に目をつむる。ダン、ダン、ダン、と三発、銃声がした。

 そっと目を開けるが、どうも当たってはいないようだ。体中のどこも痛まない。

「怖いでしょう? 死ぬときはもっと怖いはずよ。それをあいつは何人にも与え続けた。それだけで殺す価値があると思うけれど」

 遠くからサイレンの音が聞こえる。きっと誰か近所の人が銃声を聞いて通報したんだ。いくら土砂降りの中とはいえ、これだけ撃てばわかる。

「さようなら、あなたが雪華をかばい続けるならまた会うこともあるでしょう。今度は必ず殺す。だけど人は殺さない」

「雪華は人じゃないのか?」

 言葉尻をとらえて皮肉を言う。

「そうね、人じゃない」

 佐鳥唯は走って去っていった。彼女の後姿、長く白い髪はいつまでも暗闇の中で輝き続ける。ヘアースタイルを同じにして、否定しきれていないのではと想像してみる。僕も早く行かないと。

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