第5話

 翌日、朝に目が覚めた。昨日のことが心配で、すぐに公園に行くことにした。念のため冷蔵庫からアイスノンを取り出し、カバンに詰める。

 家を出るとじりじりと日が照り付けている。世の中はこんなに暑かったのか、と自分の狂った生活リズムが恨めしく思う。しかし雪華がいるから、僕は夜に動くしかないし、それでいいと思っている、と自己撞着する。

 公園に着くと、近所の小学生や幼稚園児が遊んでいる。暑さのなか、にぎやかな笑い声が響き渡っている。確か、雪華の生活圏はあのブロックの向こう。眠っているところを起こすのは申し訳ないと思いながら、恐る恐る近寄った。

 そこには誰もいなかった。見えなくなったわけではない、その証拠に雪華の持ち物は全て見え、彼女がここにいたということははっきり理解できた。存在が認識できないのであればそういった物との関わりも消えてしまうはずだから。

 僕は不安に思いながら時計を見上げる。まだ十時だ。とりあえず家に帰って、約束の時間まで待とう。

 そう思って公園を出ようとしたとき、六条千沙都に出くわした。

「あ、隼人……。こんなところで何してるの?」

「大した用事じゃない」

「そ、そうなんだ」

「じゃあ、行くから」

「待って」

 千沙都は僕の腕を掴む。

「最近、隼人はなんだかおかしいよ。私ね、はっきり言って心配なんだ。昼間に動いてて安心したんだけど、でもそれはきっと何か別、きっとあまりよくないことと関係しているんでしょ? 私は不器用だから言い方が直接的になっちゃうこともあるけど、でも、うん、なんていえばいいか……」

「いいか悪いかは僕が決めることだ」

「そ、そうだよね。だけどね、自分で気づけない時もあって、そういう時は周りから言ってもらうしかなくて……。そんな怖い顔しないでよ……」

「別に怖い顔なんてしていない。思い過ごしだろう」

「そう、なのかな、あはは。でも心配なんだ、ここ数日、何かにとり憑かれているみたいで。それまでも思い詰めてた、辛そうだったけど、でも今はそれとは違う、もっと危険なことに接しているようで……」

「聞いてみたいことがある」

「私が答えられることならなんでも答える」

「もし、生きていくために他人を殺さなければならないとしたら、千沙都ならどうする?」

「えっ……」

 千沙都は言葉に詰まる。意表を突かれてしまったからか、自分の心配がいかにズレているか悟ったからか、もしくは全く的中してしまったからか。

「答えられないだろう」

 このとき僕の千沙都に向けたまなざしは侮蔑でしかなかったはずだ。しかしそれは僕も同じで、僕もまたこの問いに答えることはできない。だから雪華に寄り添うことしかできない。

「私なりの答えでいい?」

 千沙都は自信なさげに下を向いたまま話し始めた。

「私は、誰かを殺さなければ自分が生きられないのなら、自分が死んだ方がいい。誰かが死ぬということは辛い、それにそんな形で生きても辛いだけ。それに、その誰かにも愛する人がいて、愛してくれる人がいて、その人の帰りを心配してくれる人がいて。だから誰であっても殺すなんてできない。それが自分の生、つまり自分の欲のためならなおさら」

 僕は頭の中で怒りがわいてくるのが分かった。

「生きることは欲なのか?」

「えっ、それは言い過ぎたかな。欲というか、我欲というか、あれ、やっぱり欲だ……」

「誰からも愛されない人が、生きたいと思うのは欲か?」

「そんな人、いないと思う。誰でも、誰かから愛されているはず。だからみんながお互いに尊重しあえば――」

「お前は何もわかってない。お前は優しい人間だ。だけどその優しさが僕には腹立たしい。欺瞞でしかない、そして麻薬のように思考を麻痺させる。お互い尊重しあえば、なんてそこで完全に頭が固まっている。それがどうやったら実現する? 現にそれができない人間がたくさんいる。それは不道徳という意味ではない、その人が一生懸命生きて、それでもお前の理想通りにいかない形でしか、生きられない。この世界には誰からも愛されない人が、いるんだよ。その人はどこに隠れているかわからない、それすらわからない。だけど、その人が生きていく権利は、僕はあると思う。人を殺してでも、自分を尊ぶ権利はあると思う」

「隼人……、いったい何を言ってるの……?」

「千沙都は僕のことを否定したいのか?」

「そんなつもりは……」

「そうだろうな、そんなつもりはなくても無意識のうちに僕を非難している。お節介を焼くことで干渉してくる」

 僕はこのとき目を血走らせていたかもしれない。物凄い形相で千沙都を睨みつけていたかもしれない。彼女は小動物のように縮こまり、怯えていた。そして涙を流しながら、言った。

「酷いよ……」

 千沙都の目から涙がぽろぽろとあふれてきた。

「私は、ただ隼人のことが心配で、それだけなのに……」

 公園で遊んでいる小学生がじっとこっちを見ている。僕はいたたまれなくなって千沙都の腕を引き上げる。よろよろと立ち上がった。

「もう行ってくれ。人が見てる」

 千沙都は僕の家と反対方向に歩いていった。

 僕は家に戻る。部屋に上がり、着替えるとベッドへ潜った。今日は数時間しか寝ていない。気分が悪かったので約束の時間、夜の八時まで少し休むことにした。

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