主人公の混乱

第1話

「ねえ、隼人、見て」

 幼馴染の六条千沙都が図々しく家に上がり込んでいる。幼いころはそれも許されるだろうがもう高校生だ。異性間であるのだから少しくらい気を遣って、つまり家に来るなということが頭の隅に浮かぶ。しかしそれもすぐに消え去り、また元通り、あの忌々しい悩みが頭を覆いつくす。

「隼人、見てって言ってるでしょ?」

 五月蠅い。ソファーに座って目を伏せて考えていた。本当は自分の部屋に引きこもりたい気分だったが千沙都に無理やり部屋から引っ張り出されてきた。部屋はクーラーをガンガンに効かせていて、熱を持った頭にちょうどよかったのに。夏休みであるということもあり、千沙都は頻繁に家に来るようになった。本当に鬱陶しい。

「テレビ見てよぅ。今のニュース、通り魔事件のことだけど、私は面白い情報を仕入れているのです」

「はあ、まあ言ってみろよ」

 生返事を返す。全く興味はない。

「実は実は、殺された被害者は全員頭を砕かれていて、脳の大部分が無くなっているらしいの。探しても見つからなくて、どこ行っちゃったんだろうね」

「そんな情報どこで仕入れた?」

 大体予想はつく。

「お父さんが警察官だから――」

「守秘義務違反だろ」

「隼人なら大丈夫だと思って」

 そんなことどうでもよかった。ただ、僕は今真剣に悩んでいる。馬鹿らしいと聞こえるかもしれない。だがこれは本当に切実に悩んでいるんだ。それは――この世界が本当にあるかどうか。

 以前、千沙都に話してみたことがある。そのときは「中二病だね」と笑われ、相手にされなかった。自分でもそういうものなのかと思っていた。だがそれだけでは済まなかった。世界が存在している「感じ」がつかめなくなってきた。そして自分の中のリアリティが失われ始める。まるで世界がツクリモノであるかのような歪さを感じ、自分の身体がその中でぽつりと存在しているような寂しさ。僕は何をどう振る舞えばいいのかわからず、ただ世界が本当にあるという証拠が欲しかった。外を出歩いているとその不快感がより強くなる。道端の電柱、塀、家や自動車、そういったもの、何もかもがまるで夢か幻かというような気がしてきて恐ろしくなった。

 僕は恐ろしくなって、夏休みが始まったこともあり、家、特に自分の部屋から一歩も出ないでいた。唯一の家族の父親も今は長期出張中で家には帰ってこない。だから僕は現実感を失う恐怖の多い昼間は寝て、ぼんやりとしてなんとなく楽な夜中に動き回ることにしていた。夜と昼間の中間、夕方の黄昏時に、千沙都は家にやってくる。そして夕食(僕にとっては朝食)を作り一緒に食べる。世話でもしているつもりなのだろうか。夕食が終わるといろいろ話しかけてくる。ただ喋りたいのか、それとも引きこもりがちな僕を引っ張り出したいのか、いずれにしても干渉されたくなかった。

「隼人、ここのところずっと塞ぎ込んでるけど、何かあったの?」

 話したところでどうなるというのか。今目の前にいるこの六条千沙都という人間さえ、信じられない。まるで生き人形であるかのような禍々しさ。早く出て行ってほしかった。かといって、このことを単刀直入に話してしまうとどうなるか。あの時に比べれば取り合ってくれるかもしれないが、変に心配され、後々面倒なことになる気がしてならない。黙っておこう。千沙都が何を言おうが何をしようが、黙って耐えよう。

「どこか調子が悪いのかな? 熱でもある?」

 そういってお道化て見せる。熱は確かにあるかもしれないが、そんなことどうでもいい。僕にはこの世界が実感をもって体験できる、この世界に生きている感じ、逆に言えばこの世界が確かにあるという確信が欲しかった。すべてが揺らぎ、すべてが疑われている今、この疑いの自動思考に飲み込まれている。世界は確かにあるのだ、今目の前に広がっている世界は僕の生きている場所だ、そう感じたかった。

「ベッドで休もうか、連れて行ってあげる」

 誰が引っ張り出したんだ。そう毒づくだけの余裕はまだありそうだ。だがそれもいつまで続くか。日に日にこの疑いは連鎖するように広がっていき、最初は世界だけだったものが他人、千沙都、そして自分の身体にまで広がりつつある。身体をかきむしりたくなる衝動に僕は必死に耐えていた。

「うわっ、クーラー強すぎ! 体に悪い、もう少し温度上げた方がいいよ」

 もういい、帰ってくれ。そう頭の中で何度も願いを唱え続けた。

「夜はちゃんと寝るんだよ。そうしないと生活リズムが狂っちゃうから。じゃあまた明日来るね。お休み」

「ちょっと待て」

「何?」

「鍵は?」

「おじさまから預かってる」

「随分信用されてるんだな」

「えへへ。また明日」

 ようやく一人になれた。耳をそばだて、千沙都が帰ったのを確認し、ベッドを抜け出す。服を着替えると裏口から外へ抜け出した。

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