「今」ここにいる私
橘さくら
プロローグ
私は他人と違う世界に生きている――
そこには誰もいない。私だけがいて、叫び声を上げさえしても、誰にも届かない。それは孤独なんて生易しいものではない。広い世界の中で、私という点が消えようとしている。
私は数少ない、私を知る人間からも否定される。だがその否定にさえ安堵する。私がいるということが分かっていてくれるから。だけどそんな数人の世界の中で生きていても、つらいだけだ。もっとたくさんの人間と関わりたい。それはただ道端ですれ違って挨拶ができる程度でいい。私は私を認識してくれる人を求めている。誰も認識してくれないなら、私が私である理由がない。
そのためにはどんな罪だって犯せる。それしか手段がないのならば尚更。私はただ、人として生きたかった。人として生きることで、みんなと同じ世界に生きるというだけのことで、私はこの恐怖と絶望から逃れられるような気がした。
人が自我を持つためには他者が必要だ。「私」という概念が必要なのは他者がいるからで、区別が不要なら「私」も要らない。だから私が私という言葉をつかえている限り、そこには他者を想定できているということになる。それはきっと記憶によるものだ。私のことを知るあの二人のおかげもあるが、それよりも他者と関わった記憶が私を私としてくれる、私は彼らと心の中で触れ合える。だがそれも日記を書き続けなければ記憶が持続しない。記憶すら寸断されてしまい、連続性を失ってしまう。記憶というものはきっと人と人とのかかわりの中で最も重要なもので、記憶があるから会話が成立するし、他者と同じ世界に立つことができる。真希那がそんなことを言っていた気がする。あの人は随分怪しげなことを吹聴しているが、このことに関しては私は実感として同意できる。
記憶が連続していなかったり、存在が消えそうだったりというのは時間が不足しているからだと真希那は言っていた。そして時間の不足を補う方法、それを私は知った。この方法を試してみたくて、私は居ても立っても居られない。この閉鎖病棟を抜け出すことは簡単だ。何しろ存在が認識されないのだから。私にはこの方法を試すにあたり、何のリスクも感じない。それが私の衝動をより高めていく。早く、あの重々しい鉄扉を看護師が開けないか、それだけを待ち続けている。扉が開けばその隙に逃げ出す、それだけのことだ。私は私を取り戻す、時間を集めることで――。
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