第2話「正しい正義」

 放課後。二回目の撮影チャンスであり、当初の予定時間だった。


 ホームルームを終え担任が退出すると、生徒たちは急いで部活への移動を始める。その波にのって帰ろうとした田中さんを、またもいじめグループが囲んだ。僕はノートを広げ勉強しているふりをしながら早朝試した形での撮影を開始する。今度は固定だ。試し撮りも成功している。確実に現場をおさえられる。


「田中さん。今、部活行かないで帰ろうとしたでしょ?」

「……」

「黙んないでよ。口ついてるんでしょ?」

「バカだから言葉もわからないんじゃない?」


 笑いはこんなにも不快なものなのか。頭がおかしくなりそうだ。狂った笑いは下劣だ。どうしようもなく下劣だ。


「本み~っけ!」

「あっ……」


 声にもならないようなその一言は、僕が初めて聞いた田中さんの言葉だった。僕が初めてしっかりと見て取れた田中さんの感情だった。


「可愛い絵のご本だね~」


 笑いがなぜ起こるのか。僕にはサッパリわからない。人のカバンから本を勝手に取り出して、あまつさえそれを笑いのネタにする。あいつらはもう狂っている。僕以上に壊れている。


「お願い……それだけは……」


 田中さんにとってその文庫本が余程大切なのだろう。今まで見てきた中で、最も悲痛そうな顔をしていた。でもそれは、奴らにとってのスパイスにしかならない。


「ど~しよっかな~」


 エスカレートするのは目に見えていた。


「こんな本、必要なくね?」

「⁉」


 どうする気だ。彼女らはあの本をどうするっていうんだ。


「ダメ、ちょっと……」

「バカじゃねーの? 本一冊でマジになっちゃって」


 そう言った一人の女生徒が本をゴミ箱に投げ入れた。それだけで笑いがまきおこった。


 ……そうだった。人間なんてこんなもんだ。こんな生き物だった。僕はどこかでその事実を忘れようとしていた。でも、それが不快なことには変わりない。目を逸らすことのできない現実だ。


「それじゃああたしら部活だから~」

「あんたみたいに暇じゃないんだよ」


 また笑う。下品に下劣に品性の欠片もなく。馬鹿笑いし、教室を出ていくいじめ集団。僕も帰り支度を始めた。彼女を一度も直視することなく。何事もなかったかのように荷物をまとめ、教室を出た。でも僕は、どこかで誇らしく思っていた。僕はあいつらとは違うんだ、と。


 そうして一人、帰宅の途につく。今日も僕は桜の元に立ち寄らず帰った。いじめが解決できたら、報告と共に行くつもりだった。


「ただいま」

「お帰りお兄。ちゃんと鍵閉めといてね」


 夕飯の準備はもう始まっているらしく、忙しそうにリビングへ戻っていく茜を目で追いながら、自室へ向かおうと階段を上り始める。一通の電話がかかってきたのはその時だった。


「お兄、でてくれるー?」

「うん」


 自宅で電話を受け取ったのなんていついらいだろうか。


「もしもし」

『お前の妹、茜は預かった。返してほしくば、ペン型カメラを持ってこい。ふっ』

 切れた。

「……?」

「どうしたの? お兄」

「お前が誘拐されたらしい」

「何言ってるの? 頭大丈夫、お兄」


 もっともだ。


 ちょっと意味がわからなくて受話器を持ったまま立ち尽くしていると、電話がもう一度鳴り出す。


「はい」

『取引場所は小嶋電気店だ。遅れるなよ。ふっ』

「……」


 切れた。……ふっ、て何なんだろう。


「ごめん茜、ちょっと出てくるよ」

「何処に~」

「小嶋電気店」

「りょうか~い」


 佳奈は人を呼び出すとき、誰に対してもこうなのだろうか。なんて、そんなことを考えながら家を出た。……さすがに声を変えるのは手が込み過ぎていると思う。



***



「いらっしゃせー。って先輩じゃないですか。私の挨拶返して下さいよ」

「佳奈が呼び出したんじゃないか」


 その挨拶を前にも聞いたような気がしながら入店。佳奈は今日もだるそうな顔をしていた。


「佳奈だなんて気安く呼ばないでください。気持ち悪い」


 いきなりそれは酷いと思う。


「じゃあ、何て呼べばいい?」

「いいです佳奈で」

「……」


 僕で遊ぶのが趣味なんだった。危うく忘れるところだった。


「それで先輩。今日はどういった御用で?」

「いや、呼ばれたから来たんだけど」

「そうでした。でもよく気づきましたね」

「こんな事する人他にいないから」

「うげっ。先輩はストーカーですか。私のことなら全部わかるなんて……近寄らないでください。通報しますよ?」


 そこまで言ってないし、そんな本気で嫌そうな顔をしないでほしい。何で来たのか分からなくなる。


「冗談ですよ、先輩。そんな残念そうな顔をしないでください。先輩がペドでロリコンで性犯罪者でも話しくらいはしてあげます。軽蔑はしますが、いえ既にしてますが」


 そうだった。僕が本題に戻さないと佳奈は真面目に話してくれないんだった。


「これ、持って来たよ」


 レジのカウンターに、借りたペン型カメラを置く。持ってこいと言ったからには、盗撮した映像と何か関係がある用事なのだろう。


「……それで先輩。いい絵が撮れましたか?」

「うん。多分」


 一回目のものはまだ確認していないから分からない。でも、二回目のものはしっかりと撮れたはずだ。


「それで、トイレですか? 更衣室ですか?」


 いじめの現場の話……ではないよな。


「……教室」

「? 女子は教室で着替えているんですか?」


 何でそんな真面目な顔で聞いてくるんだよ。ふざけているとは到底思えないレベルだ。


「いじめの現場は両方とも教室。一つは昼休み。もう一つは放課後だよ」

「確認してきます。もしかしたら自分のPCにだけ女の子の盗撮動画入れている可能性がありますからね。残ったデータの残骸から復元してみせますよ。いいんですか先輩?」

「うん」


 もう、勝手にしてくれ。


「では」


 そういって店の奥に引っ込んでいったかと思うとすぐに顔だけ出して


「客が来たら対応お願いします」


 そう言い残していった。カメラを貸してもらった恩もあるので、言われたとおりカウンターに立つこと20分弱。客は一人も来ず佳奈が戻ってきた。


「先輩」

「何?」

「ありましたよ、女の子の盗撮動画」


 いじめのもので間違いないだろう。


「それで?」

「あれは新手のSMレズプレイですか?」


 ……そんなわけあるまい。


「いじめの現場だよ」

「先輩。本当に幼女にしか興味がないんですね」


 どうしたらそんな解釈が導き出されるのだろう。それとも僕の感覚がずれているのだろうか。


「はてさて。そろそろ本題に入るとしましょう。先輩はこの動画をどうやって学校側に見せつけるつもりですか?」

「……」


 そうだ。学校側に証拠を見せつけなければ話にならない。それに、ただ見せつけるだけではだめだ。それではわざわざ盗撮した理由がわからなくなってしまう。


 生徒間のネットワークはとても強固なものだ。もし、この映像データを持って教師の元に出向きでもすれば、その噂は瞬く間に学校中へ流れ、僕の行動が知れ渡ってしまうことになる。悪い意味で。


 なら、そんな真正面から勝負を仕掛けるようなことはできない。だいたい、盗撮を行っている時点で真正面とは言い難いだろう。では、どうする。


「朝早くに学校内に忍び込んで、教員の机の上にデータを置いておくというのはどうだろう?」

「没です。そのデータを教師が見てくれる証拠もないですし、朝早く先輩が校内に入るとなると防犯カメラに映る可能性が出てきます。このデータの出所が教員に割れれば生徒の中に情報が流れるのも時間の問題です。それでは先輩が盗撮という卑怯な方法を使った意味がありません」

「……」


 確かにそうだ。だとしたら。


「匿名で郵送するのはどうかな?」

「没です。ほとんどの理由が先ほどのものとかぶりますが、第一にその内容よりも外部から匿名で郵送されたこと自体が問題になる可能性があります。郵送は郵便局をはじめとした多くの人間が関与しています。先輩が出したことを隠すのは難しいでしょう」

「……」


 そうか。なら、もっと違う切り口で行くべきだろう。


「時限式で映像を流すというのはどうだろう?」

「なかなか悪くない提案です。ですが、どこで流すのでしょうか?」

「教室はどうだろう?」


 それなら、多くの生徒に印象が残り完全な証拠として全員の脳裏に記憶されるはずだ。


「教員、教室であるなら担任でしょう。担任のいる場で流せたとすれば、先輩を含むクラスの全員が見て見ぬふりをした加害者として問題視されることになるでしょう。ですが、現在のいじめに対するけん制としては意味を成しているといえます。ただし、この映像を教室内で流した場合、だれが隠し撮りしたのかを生徒が探し始めるはずです。そして次のいじめターゲットが作られたとさ。めでたし、めでたし」

「……そんな」


 そんなの、本末転倒じゃなないか。


「教員室で流すのはどうだろう?」

「没です。やはり盗撮をした意味がなくなります。前者でもそうでしたが、教員や生徒がどのタイミングでどこにどの程度いるかなんて、内部の人間でなければわかりません。ゆえに盗撮魔として疑われるのはいじめが行われた教室の人間。情報量の差から考えても前者は教室内のだれかになりますが、教員室で流した場合容疑者が広がります。容疑者が多ければ割り出すために大事になる。そうなれば生徒の中でうわさが広がり、先輩が盗撮魔だと特定されたときにはいじめのターゲットが確実に先輩になりますよ。まあ、マゾな先輩には至福の喜びかもしれませんが」

「……」


 いったいどうしたらいいっていうんだ。


「メールで送りつけるのはどうだろう」

「惜しいです先輩」

「……」


 どうやら、佳奈の中ではすでに答えが出ているらしい。この話はその答えに僕がどこまでたどり着けるか。そういう遊びということなのだろう。だが、実際のところ僕と佳奈の頭のつくりには雲泥の差がある。小学校時代、神童と呼ばれていた佳

奈の発想に僕はどこまで近づけるのだろうか。


「先輩。このままじゃあ、盗撮したのが無意味になるだけでなく、先輩と話している私の時間が無駄になります。は・や・く! してください」

「……」


 メールで送ることが近い。ということはデジタルな方法でデータだけを送るということ。メールに動画を付属して送った場合送信側が簡単に割れてしまう。ここまでは今までと問題点が同じだ。だが、そういった問題で行うカモフラージュは……


「海外のサーバーを経由して動画を送りつける」

「……先輩にしては考えましたね」

「そうか?」

「没ですが」

「……そうなのか」

「でも、まあ及第点ってことで教えてあげましょう」


 そういって得意げな顔を見せる佳奈。合格。ひとまずそういうことなのだろう。


「サーバーは確かにいくつも経由します。ただし、メール形式で送るわけではありません。そのデータを学校のPC内に直接送り込みます」

「直接?」


 そんなことができるのだろうか。


「先ほど盗撮のデータは拝見させていただきました。あれでは先輩がとったことが丸わかりです。なので、まずは映像データの加工を行います。どこのあたりから撮影したのかを一目でわからないようにカモフラージュするわけです。次に先輩の通っている学校の教員用PCをハッキング。遠隔でPC起動と同時にこの盗撮動画もとい、いじめ動画が再生されるように設定。そのうえで一度再生されたら跡形もなく消えるようにします。証拠としては不十分かもしれませんが、教師に与える影響は大きなものとなることでしょう」

「でも、ばれた場合問題は大きくなるんじゃないか?」


 それじゃあ根本的にまずいだろう。


「確かにそうですね。ですが私は自分の技量に自信があります。ばれるようなへまはしませんよ。追跡される前にサーバー自体をリセットしますし盗撮した動画も完全に消えれば証拠にはなりません。それに、学校のPCがハッキングされたなんて、外にはもらしたくない情報のはずです。学校がうまいこと問題を小さくしてくれますよ」

「……」


 頼もしい。それ以上にありがたかった。佳奈が僕のためにここまでしてくれることが、とてもうれしかった。僕が馬鹿なことをしないようにわざわざ呼び出してまで助けてくれることが、心底嬉しかった。でもそれは、結局自分では何も出来なかったということだ。


「ありがとう。佳奈」


 僕はこれでよかったのだろうか。……いや、いまさら何を考えているんだ。確かに僕の一歩と言う勝手な理屈でいじめを解決しようと思った。でも僕は正しいはずだ。


「ただ、一ついいでしょうか。先輩」

「何?」


 でも佳奈は僕と違った。


「ここまできてなんですが、本当に実行していいんですか?」

「……」


 何を言ってるんだ。


「なんで?」


 なんでそんなことを聞く。


「私にとってこの事案は面白いことこの上ありません。公共機関へのハッキング。いじめに対するけん制の方法は異常なまでに非常な方法。ただ、先輩。これは本当に先輩がしたいことでしょうか?」

「……」


 意味がわからない。何を言ってるんだ。証拠は映像のほうがいいといって、盗撮をすすめたのは佳奈じゃないか。僕はいじめを止めるためにやることをやったはずだ。佳奈に言われたとおりに盗撮してきて、佳奈が言った方法でいじめを露呈させるんだ。何が違う。僕は佳奈が言った通りにする。それが最善なんじゃないのかよ。僕がしようとしていることは、いじめの解決なんだ。正しい行いなんだ。


「先輩。私は先輩の最初の希望に一番沿った形にするつもりです。先輩が考えた案に、私は乗っかったにすぎません。私が手を貸すからには計画は十分に成功と言える形になるでしょう。ですが……。それが先輩のなしたかった形になるのかどうかはまた別の話です」

「……意味が分からない。その動画を送ればいいだけじゃないか」


 そうだよ。なんだって証拠が肝心だ。いじめを解決するのだからその動画を見せつけてやればいい。教員がこの動画を見れば、対処せざる負えなくなるのは間違いないんだ。なら、どこにためらう理由がある。僕はこうして今までではできなかったようなことをするんだ。そうすれば彼女ももうあんなことは言わない。そのはずなんだ。


「いいんですか?」

「……たのむ」


 僕は絶対に何かを成すとそう決めたのだから。


「わかりました。ですが先輩。私の個人的な意見を一つ教授してあげます」


 でも、佳奈の言葉はどこか、もう一つ違う世界を見ている気がした。いや、違うな。今までもこれからも、佳奈は自分の世界をしっかりと認識していたのだ。


「いじめは絶対になくなりません。解決なんて不可能ですよ。こんなことしたっ

て、気休め程度になるかどうかです。結局、道徳なんて教わるものじゃないんですから。……でも、それは先輩が一番知っていたはずです。ある日、ツインテロリ美少女は言いました。先輩、狂っちゃいましたかって。……何があったんだか知りませんけど。まあ、頑張ってください。山あり谷ありそれが人生ですよー。じゃ先輩。明日をお楽しみに~」


 父にカウンターの仕事を交代するよう偉そうに怒鳴りながら佳奈は奥に消えていく。それを目で追いながら何かが欠落したような感覚を覚え、僕は立ち尽くしてしまっていた。


 なんでだ。わからない。僕の何がおかしいっていうんだ。僕は前より多くのものを見られるようになったはずだ。世界が広がって、自分という人間がそこにいるからこそできる何かをしようとしているのに。なんでだよ。わからない。


 理解したい。ただ、この得体のしれない感情に押しつぶされる前に……確かな何かをつかみ取りたい。ただ確かな自分でいたい。これ以上わからなくなる前に。


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