第三章「無知な決意」
第1話「願望と希望」
茜はその日、僕に何も聞かなかった。いつもどおりに接してくれる茜の存在は、僕の心を支えてくれた。僕は決めた。あのいじめを解決しようと。それが、僕の示せる彼女への歩みだと。
「いってきます」
日曜の午後。昼食をすませた僕は、ある準備の為に出かけることにした。そんな所に怪訝そうな顔をしてやってきたのは茜だった。
「お兄ぃ。今日お休みなんだけど?」
「ちょっと、商店街に行ってくる」
「ん~。じゃあ、ちょっとお使いお願い」
「わかった」
リビングに戻った茜は一枚のメモ用紙をもって戻って来る。
「はい。これお願いね」
この一覧を見て購入すればいいらしい。
「了解。じゃあいってきます」
「いってらっしゃい。お兄」
学校のある方向とは真逆に商店街はある。住宅街をぬけても田畑は無く、正直最低限だと思う程度に道路が敷かれていた。
駅とは逆側にあるタイル張りの路地に商店街は広がっている。スーパーマーケットなど便利施設のない田舎では、商店街が欠かせない。
ようこそ、と書かれたアーチをくぐり、目的の店を目指すことにした。茜のお使いはその帰りでいいだろう。
この商店街にはそぐわないほどに綺麗な小嶋電気店へ足を踏み入れる。今日の用事はここで済む予定だ。
「いらっしゃせー。って先輩じゃないですか。私の挨拶返して下さいよ」
小嶋電気店の一人娘が彼女、小嶋佳奈。佳奈は僕の再従妹にあたる。中学は一緒だったが、山の向こうにある街の高校を進学先に選んだ数少ない生徒の一人だった。
「欲しいものがあるんだけど」
「残念ですけど先輩。この店では先輩が満足できるようなマニアックなビデオは取り扱っていませんよ。帰ってください」
客として扱われていないことはともかく、佳奈はだいぶ変わった娘だった。彼女が店の制服だと言い張っているのは、青のセーラー服にエプロンという不思議な格好。自分の体型をロリコンたちのあこがれの的だと公言し、綺麗なブロンドをツインテールにしている理由は、ロリといったら金髪ツインテールだから、ということらしい。
「盗聴器が欲しいんだ」
とにかく、話があらぬ方向に行く前に話題を戻した。自分の決意がぶれない内にやらなければならないと思ったからだ。
「すいませんが先輩。私は先輩の犯罪に加担するつもりはありません。いえ、盗聴したものを私に分けてくれるのなら考えなくもないですが……」
「いじめを解決したいんだ」
「は? 先輩狂っちゃいましたか。残念です」
佳奈の話すトーンは常に変わらない。ただ、僕の決意を狂ったと言われるのは心外だった。僕には無理だと思うのは、当たり前かもしれないけど。
「本気で解決したいんだ」
僕は、自分の気持ちをしっかり伝えようと思った。
「盗聴して学校に伝えるとかですか?」
「うん」
「真面目ちゃんですか先輩は」
「……」
でも、僕にはそのくらいしか思いつかなかった。人生経験が浅いから。
「まったく。いいですか先輩。証拠を押さえるなら音より映像です。ドラマCDよりもアニメの方が価値高いんですよ」
でも、盗撮するような技術なんて僕には……
「僕には盗撮する技術なんて無いんです~! そんな技術持ってたら、欲望の為につかいます~! とか思ってますね?」
「……思ってない」
でもまあ、技術がないのは事実だ。
「今のカメラは高性能ですよ、先輩。いじめの盗撮ぐらいなら先輩でも余裕でしょう」
「本当か?」
だとしたら僕でもきっと何かを成せる。
「私と先輩の仲です。私の私物でよければ貸してあげましょう」
なんでそんな物を持っているのかはともかく、素直にありがたい申し出だった。
「ありがとう」
佳奈の差し出してきた小型カメラ付きボールペンを受け取った直後、素早く奪い返される。
「あまい! 甘いですよ先輩! 自分にとことんいい条件の物事には、必ず落とし穴があるものなんです。先輩は詐欺に引っかかるタイプですね」
「……」
佳奈は何がしたいんだろう。
「条件があります先輩」
「なんだ?」
「このボールペンをうっかり女子更衣室のロッカー内のいい高さに忘れてきてください」
「無理だ」
無茶すぎる。だいたい女子更衣室になど用はないのだからうっかりも何もない。
「だいたい何でそんなもん見たいんだ? 盗撮しなくても見れるだろ」
「背徳感というスパイスを」
聞くんじゃなかった。
「まったく我儘ですねぇ先輩は。どうぞ、貸してあげます」
「いいのか?」
改めて差し出されたカメラを受け取る。今度は奪い返されなかった。
「自宅警備員を目指していた先輩が、何かをしようとしてるんです。それを手伝えない程、私の意地は悪くないです」
なんだかんだいっても佳奈は根が優しい。中学の頃に、趣味は僕をいじる事だと言われた時は正直ウザったいと思ったが、それでも彼女はいつも優しいように思う。
「ありがとう。佳奈」
「うっ。恥ずかしいですね。先輩、やっぱり返して下さい」
「それは困る」
照れながら冗談を言う佳奈の姿を僕は初めて見たきがする。ただ生意気なだけじゃなくて、かわいい所もあるんだな。
「まったく、勝手ですね先輩は。これ、説明書です。先輩の為に説明するなんて私の人生において無駄以外のなにものでもないので」
「うん」
保険証の裏書のように、こまごまとした文字が並んでいる手のひらサイズの説明書。こんな僕が歩み出す為の、その第一歩として決意と共にそれを受け取った。
「ありがとう」
「まったく。買い物しない客なんて迷惑なだけですよ」
「またくるよ」
「冗談じゃないです」
僕はそのまま店を出た。
「うっかり女子トイレに落としてきても大丈夫ですよ~」
そんな声が聞こえた気がしたがきっと気のせいだろう。
***
「行ってきます」
その日の朝は、いつもとは違う朝だった。試し撮りをしすぎたためか異様に眠い。それでも、僕の決意は変わらずにあった。
「……」
通学路の途中で山を見上げる。ふもとから桜は見えない。行こうか迷ったが、やめた。成し遂げてから行こう。そして彼女に僕を認めてもらおう。
教室につくと、早速確認を始める。カメラにはレンズキャップがついていたので、筆箱に紛れこませることにした。問題なくペン型カメラは筆箱の中にある。
生徒がまだ誰も来ていないこんな早い時間に教室を訪れたのには理由があった。盗撮の為の準備。それが僕の目的だった。
昨日、自分の部屋で確かめた撮影範囲を目安に、自分の机からいじめの現場となるであろう机を中心にした教室を試し撮りしてみる。最大録画時間は1時間弱。ずっと録画しているわけにはいかない。だから、まずは実地で試してみる必要があった。
試し撮りを早々と済ませた後はパソコン室に移動。内蔵型のためUSBとして差し込めばすぐに確認することができる。
「問題ないな」
角度、範囲共に問題はなかった。ほかの生徒が来る前に教室へ戻ると、カバンを持ってトイレへ移動。生徒たちが登校し始めたのを見計らって、何気なく教室に入った。正直言って、僕を気に留めている人など教師か沙織ぐらいのものだろうから、隠れる必要はなかったのかもしれない。だけど、僕が一人ポツンと教室にいて気づかないというのはさすがに無理がある。これは、もしもの時の保険だ。
担任が入室。いつもどおりに学校が開始する。今日もやっぱり何かが違う。でも、それはこのあいだとはまったく違う感覚だった。
時間が刻一刻と過ぎていく。秒針が進む音を聞くだけでも僕の鼓動は速まった。1時間、2時間と授業が終わっていく。そのたびに、実行までの時間が近くなっていくのを感じて緊張と興奮、そして恐怖が合わさったような妙な感覚に襲われた。
それは意外といやなものではなかった。それが少し不思議だった。
予定より少し早く一回目の撮影チャンスが訪れる。時刻は1時。丁度お昼休憩の時間だった。先日のことがあったからか、少女は弁当箱を持ってどこかへ移動を始めた。そこにすかさず立ちふさがったのが、いじめグループだった。
「どこ行くのかな? ねえ、田中さん」
「……」
いじめをうけている少女、田中さんが女子五人に取り囲まれる。肩に手を回しなれなれしく話しかける様子はヤクザを彷彿とさせた。
「こっちでうちらと食おうぜー」
「……」
対象が動くのは気になったが、僕はここでカメラを起動。録画を開始した。うまく撮れるかは別として、これを逃すわけにはいかないと思った。残り録画時間的にも大丈夫だろう。
「まあまあ、座りなって」
「……」
田中さんの表情は微妙なものだった。恐れるような顔も混乱したような顔も見せない。ただ、無表情。でも、その無表情が僕に恐ろしい何かを感じさせた。それが何なのか、僕には分からないが、知りたくないと思ってしまっていた。
田中さんが半ば強制的に弁当箱をあけさせられる。それをいじめグループの一人がすかさず偶然を装ってひっくり返した。実行したのはお茶をかけた人とは別の生徒。誰かが先頭に立っているわけではなく、全員でいじめを実行しているということなのだろうか。
「あ、ごめんね~」
「田中さん食べるものないじゃん」
「不憫、不憫」
「お昼もないの、かわいそうに」
「……」
心の奥から何かが湧き上がってくるような感覚。怒り、なのだろうか。別に僕が何かをされている訳じゃない。でも。抵抗しない一人の女の子によってたかって集団で。下品な笑いが不快だった。あの娘はなんで何もしないのだろう。出来ないのだろうか。
いや、そう思うのは違うだろ。今、僕自身が少しでも何かをしようとしているからと言って、偉そうなことは言えないんだ。僕なんて田中さんより余程底辺の人間なのだから。田中さんと同じ立場になったとしても、僕が何かをできるかなんてわからないのだから。その人の痛みは本人にしかわからないのだから。本当の気持ちは、他人に分からないものなのだから。
ただし、今僕は全てをとらえたのだ。……でも、その事実を楽しんでいる自分がいた。
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