Sidestory:沙織episode1
「急がないで。心が変化においていかれないように」
「無理だ」
つらそうな彼の顔を見ていてもどんな言葉をかけたらいいのか、私にはわからなくて。
「大丈夫。自分が信じる道を選んで」
「僕は違うっ! 何もかも違うっ!」
彼が走り去ってしまったときに
「基っ⁉」
彼の名を呼ぶことしかできなかったんだ。
***
彼は、桐原基は私の幼馴染。小学校までは割と仲が良かった。でも、基は人間関係に傷ついていって、私は何もしてあげることができなかった。
私は昔、体が不安定だった。
持病の薬が体に合わずしょっちゅう体調を崩していたから。
そんな時、基はいつも私を励ましてくれて。同級生にからかわれていた私を基は守ってくれたんだ。
基がいてくれたから今の私はここにいられる。
体に合う薬も見つかって体調が安定してきたころ、私はバスケットボールを始めた。親には強く反対されたけど……今、元気でいられるのは運動でついた体力のたまものだった。
そうやって私はいい方向へと向かっていったけど、その反面、基はどんどんふさぎ込んでしまっていた。
おそらく私が原因だ。私がいなければ基も周りに溶け込めていただろうし、人間の汚い部分をただ突き付けられるのではなく、徐々に理解して行けたかもしれなかったのに。
けど、私にできることはなかった。
部活動推薦も蹴って私は基と同じ高校に入学した。彼への後ろめたさが私をそうさせたのだろう。……結局は何もできないというのに。
高校に入学してからは基と話すことは殆どなくなった。話せないのだからしょうがないと、いつの間にか逃げ道まで作り始めていた。
そんな高校二年生の春。彼は私にこういった。
「頼みがあるんだ」
そういわれた時点でつい、わかったよ、と言ってしまいそうになるのをぐっとこらえ
「何?」
と聞き返す。でも、何を言われても私は首を縦に振っていただろう。私にとってこれはチャンスだったのだから。けど、
「桜の元に一緒に行ってくれないか」
「……私が?」
つい、そう聞き返してしまった。考えてもみなかったから。そんなことを言われるなんて。
桜の木。基にとってはとても大事な場所。小さな丘の中腹に立つ咲かない一本桜を、基は心のよりどころにしていたのだから。
でも、行った先でこんなことになるとは思ってもみなかった。
一本桜の元には咲良と名乗る桜色の髪の少女がいた。そして、その少女の言葉に基は傷つき走り去ってしまった。
まだ頭がいまいちついて行っていない気はする。けど、それでも……目の前の少女が基に向けたまっすぐな思いを見て心が痛んだ。まるで、私ができなかったことを当てつけで見せられたような気がしたんだ。
「沙織さん」
「……なんですか?」
基を追いかけようかと迷っていたところ、咲良さんは声をかけてきた。
「基くんにはあなたが……沙織さんが必要です」
「……どういう意味?」
正直言って意味が解らなかった。さっき会ったばかりの人間に対して言う言葉ではない気がする。
それに、私の気持ちを分かっているような言いぐさが少し、気に入らなかった。
「私はずっと基くんのそばにいられるわけじゃない。それに、沙織さんは基くんのことをよく知っているから」
「……」
言い返す言葉はいくらでも浮かんだ。なのに、何も言えなかった。咲良さんの顔がとても寂しそうで、それでいてうれしそうな、そんな顔をしていたから。強い思いが伝わってくるようで、それ以上の言葉が出てこなかった。
「本当に……本当に咲良さんは基と数日前に知り合ったんですか?」
咲良さんの基への思い入れはとても純粋なもののように感じた。私のように自責の念に駆られているわけではない、まっすぐな思い。
だからこそ、咲良さんの言葉は基の心に届いたのかもしれない。でも、そんな思いは数日前に知り合った人間に向ける気持ちではない。そう思った。
「……六年前」
「え?」
「基くんと私が出会ったのは六年前。それから欠かさず私たちは言葉を交わした。
けど、それを基くんは知らない」
懐かしそうで、優しいほほ笑みを携えながら咲良はそういった。二人の関係はきっと複雑で、でも、基が今一番に影響を受けているのが目の前の少女だという事実はかわらない。
きっと、私は小さすぎるから。
「ねえ、沙織さん」
「……何ですか?」
「一人でなせることはとても小さくて、気持ちは簡単にブレてしまうもの。でも、ブレない気持ちはどんな理由があってもその人からは離れてくれない。自分を形づくる信念だから」
「……」
まるで、私の気持ちを知っているかのような口ぶりに頭が真っ白になる。でも、この人には魅せられる、と、そう思わざる負えない言葉でもあった。
「沙織さんの思いをどこまでも貫けばいい。目を背けることは何も生まないから」
この言葉があったからこそ、私はもう一度顔を上げることができたのだろう。
「……はい」
そして咲良さんとの出会いはきっと、私のことも変えてくれたのだと思う。
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