第3話「変化の虚像」
「なあ、茜」
「何?」
夕食を終えると、食器を洗っている茜に話しかけていた。僕の心は助けを求めていたんだと思う。
「茜の世界ってどんなだ?」
「ん? なに言ってんの、お兄」
あまりにも突拍子のない質問だったかもしれない。
「世界は狭いんだろうか? 広いんだろうか?」
それでも僕には正しい質問の仕方がわからなかった。僕の質問がどこにあって、何なのかさえよくわかっていなかったのかもしれない。
「それは、その人によると思うな」
「……その人による、のか」
結局、答えは自分の中にしかないということなのだろうか。それでも、茜は僕の質問を理解してくれたのだ。なのに、僕は茜の言葉を理解しきれない。
「私の世界はとっても狭い。その狭い世界が私の意味で、全てなんだよ」
そうだ。きっと、そうなんだ。でも、それを僕は認識しきれていないのかもしれない。
「僕は行動を起こしたんだ。いろんなものを見て、考えて。でも、それが逆に見えていないと言われた。なんでなんだろう」
やっと、僕の心に引っかかっている何かを感じられた気がした。いや、違うか。都合の良い答えが欲しくて安心したいんだ。だから選んだ言葉なんだ。
「お兄はそれをするって自分の意思で決めた?」
「うん」
理由や発端がどうだったとしても、これは僕の意思で決めたことだ。
「なら、それはいいんじゃないかな。誰かに言われた訳でもなく、周りの空気に流された訳でもなく、自分の気持ちに負けたり、嘘をついた訳でもないのなら」
「うん」
そうだ。僕は決めた。決意したんだ。それはブレのない確かな自分の気持ちのはずだ。
「どんな行動も自分のことは自分の責任。それが、自らの意思による行動でなくてもね。それをしっかりと認識して、お兄は意思を貫けばいいんじゃない?」
「……うん」
そうだ。そうだよ。僕がしているのは正しい行為だ。それに、自分で決めたんだ。なら、自信をもって意思を貫けばいい。
「ありがとう。茜」
「……うん。お兄」
その茜の言葉を聞くだけで安心できた。でも、僕のことを考えてくれる茜が浮かない顔をしていたように見えたのは気のせいだったのだろうか。
***
いつも通り登校する僕の鼓動は、学校に近づく程にアップテンポなものとなっていく。
その日の朝、学校に行ってみても特にこれといった変化は感じられなかった。佳奈が失敗したのかとも思ったが、朝のホームルームを早々と切り上げた担任が、田中さんといじめグループを連れて行ったときは思わず口角が上がってしまった。
でも、それだけだった。一限目は事実上なくなってしまい、それは指導が行われているのだと誰もが理解した。二限目には、いじめグループが教室へ戻って来た。そこに田中さんの姿はなく、それ以上の情報を教員から聞かされることもなかった。
クラスの空気が重くのしかかる。こうなってしまうと、目立つことをさけているのか、誰一人いじめグループをとがめる者はなかった。だが、時折小声で「やりすぎだったんだよ」とか「流石にあんなことしてればね」なんて声が聞こえてくる。
そのたびにバツの悪そうな顔をするいじめグループを見て、僕は一人ほくそ笑んでいた。
そうして、その日もつつがなく授業は終わる。これでいじめもなくなるはずだ。教員の目も厳しくなるだろうし、これ以上のことはできないだろう。僕は確かなことを成し遂げた。だから、僕は桜の元へ行く。彼女の元に。
「基っ!」
意気込んで校門を出た所を、後ろから沙織に呼び止められた。
「沙織。こないだは、その……ごめん」
桜の元へ行くより先に、こないだのことを謝っておくべきだったと思いとどまる。
「ううん。このあいだのことはいいの。それより基。一つ、聞いていい?」
「なに?」
沙織の顔は複雑なものだった。そんな沙織の顔を、今まで一度も見たことがなかった。
「あのいじめを盗撮したのって基でしょ?」
「っ⁉」
なんで気づかれた。佳奈は気づかれないって、完璧だって言っていたのに。
「やっぱり……。証拠が映像だって、それが盗撮されたものだって……そう、先生達が話してるの聞いちゃったの。佳奈ちゃんに頼んだんでしょ?」
「なんで……」
いつも見てるったって限度がある。こんなふうに何でわかってしまうんだ。僕はそんなにもわかりやすいのか。
「いじめを解決しようとすることが悪いことだとは言わないよ。でもやり方が、もっと他のやり方があったんじゃないかって思うんだ」
「……」
またか。また偉そうに僕を見下して、姉のような顔して……僕を憐れんだ眼で見るのか……そうやって、そうやって……
「ふざけるなっ!」
「っ⁉」
気づいたら僕は叫んでいた。
「何もしなかったくせにっ! ただその事実を見ていただけのくせにっ! 偉そうなことを言うなよっ!」
「あっ……ごめん」
またそうやって、寂しそうな顔をするのか。自分だけ何もかもわかったかのような顔をして。偉そうに説教したと思ったら、僕の前でいろんな表情を見せる。そうやって何をアピールしているつもりなんだ。優等生のつもりか。うんざりだ。いいかげんにしてくれ。もう、
「もう、ほっといてくれ」
「っ……」
そのまま僕は桜へと向かい歩を進めた。後ろで立ち尽くす沙織の表情が、僕に見えることはなかった。
通学路から逸れ、獣道を上がるのはとても久々な気がする。たった数日ぶりなのにもかかわらず。
佳奈と沙織の言葉はどこか引っかかる。だけど、茜は自分の気持ちを信じればいいと言ってくれた。そして、これが間違ったことだなんて僕は思わない。だから自身をもって桜を目指した。
「……基くん」
「……」
やっぱり彼女はそこにいた。いつものように笑っていないことが、僕には少し怖かった。
「久しぶり」
でも、その言葉を聞いて少し安心した。
僕が桜の元まで移動するのを、彼女はただ無言で待ちつづける。僕の言葉を待つように。
「いじめを解決したんだ。僕はしっかりと物事をとらえて行動に移したんだよ」
「……そうなんだ。教えてよ。何をしたのか」
僕の言っていることを疑っているのだろうか。平坦な声で彼女は告げる。決して笑顔を見せることはない。だから僕は少し不安になった。
「盗撮したんだ。いじめの現場をおさえて、それを教員のPCに送り付けてやった。今日、いじめをしていた奴らといじめられていた子が呼ばれたんだ。きっと指導を受けていたんだよ。その後クラスメイトはみんな、そのいじめを非難した。これでいじめはなくなるはずだ。僕の行動で、僕がしたことによってだよ」
「……」
誇らしげに僕は話した。なのに、彼女は悲しそうな目で僕を見てきた。その目に軽蔑や侮蔑の色はない。ただただ彼女は自分自身を責めるような目をしながら僕のことを見てきた。
「基くんのしようとしたことは間違いじゃないよ。でも基くんのしたことは正しいとは言えない」
いったい何が言いたいのか。僕には彼女の言葉の真意がわからない。
「……なんだよそれ。意味が分からない」
彼女の反応は僕の考えていたものとは全く違うものだった。別に褒め称えてほしかったわけじゃない。そんなことされても嘘くさいだけだろうから。でも。彼女のさみしそうな顔が沙織の顔と重なる。
僕に対する彼女の見方が本当に変わったのだとしたら。それは、この時だったのだろう。
それでも彼女の眼は、彼女の顔は、彼女の態度は、ほかの誰とも違う。はっきりとした意思のある人の、信じた眼だった。
「基くんのそれは偽善。単なる自己満足だよ。自分自身が安心するための防衛行為に過ぎない」
彼女の言葉が僕にはどうしようもない程、重かった。
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