2018/10/30

コンビニの駐車場の端。紫煙を燻らせながら佇む人がいた。ただ一人座り込む彼の周りには誰一人いなかった。彼はまるで世界にただ一人だけここにいるかのような孤独を感じた。

目指していたよりもあまり芳しくない1日が終わろうとしていた。

いつものことだ。自分は自分がいつも考えるほどストイックになれない。

でも、そう悪くない1日だったような気もした。何故なら今日も、生き延びたから。

あの時きっと乗り越えられないと思った昨日、僕にとって、強い意味のある昨日という日を乗り越えて、今日を生き延びたから。


――――


あの凄惨な”事故”から、気が付けば4日。

あっという間だったかと言われれば、そんな気がした。永遠のように長かったかと言われれば、そんな気もした。

彼は、考えもしなかった暗く深い闇に突然突き落とされ、まだ落下の衝撃から、這いつくばるばかりで立ち上がることができなかった。

いや、おそらく本当は突然突き落とされたわけではなかったのかもしれない。

本当は、自分でも気付いていた。ジリジリと暗く深い闇の方へと、ゆるやかに、でも確かに追い詰められていることに気が付いていた。

彼は気が付かないふりをしていた。気付きたくなかった。

目を逸らしたくて、何度も自分が安全地帯にいることを確かめようと必死になっていた。でも、誰も答えてはくれなかった。

分かっていた、分かっていた。もう後がないほど追い詰められていることを。

落ちてゆく心の準備はできているはずだった。そのための準備を、苦しいながらもしていた。そう思っていた。

“いつかその日が来るかもしれない”、そう心得ていたはずだった。

しかし、彼は目の逸らしたさ故に、ある間違いを、勘違いを起こしてしまった。彼はそれを勘違いではなく、本当にそうあってほしいという願いもあってか、本当のことだと信じてしまった。強く、信じてしまった。

一縷の、一縷の望みを心に強く抱いてしまった。それがすぐに酷く惨たらしく打ち砕かれることになるとは知らずに。

彼は、その希望を胸に、まるで無邪気でまだ何も知らない子供のように、気力に満ちた日々を過ごしていた。


その瞬間は突然訪れた。

突き落とされた闇は、気が付かないふりをしていたその闇は、想像を絶する深さだった。

不意を突かれた気分だった。受け身を取ることすらままならないまま、地面に叩きつけられた。

痛みを感じることすらできなかった。僕は死ぬんだ、そう思った。

声にならない声で慟哭しながら、彼は死を待った。

でも、死ななかった。死ねなかった。残酷だと思った。僕はこのまま生きていかなければならないのか。

さらに残酷なことが、もう一つあった。彼はガラスのように打ち砕けて粉々になった望みを、想いを、その手から離すことができなかった。破片が刺さって血だらけのその掌を、握りしめたまま、離すことも、開くことさえできなかった。

痛い。もはや痛覚が麻痺する寸前、限界ギリギリに痛かった。

手を離せば楽になるじゃないか、手を離せば、苦痛に耐えることもないじゃないか、そう思った。でも、身体は言うことを聞いてはくれなかった。

意識もハッキリしていた。最悪だった。気を失えたらどれだけ楽だったか。

痛い、苦しい、彼はまた慟哭した。


この痛みを味わったのは、初めてではなかった。

2年前のある日、同じような暗闇に落ちていったことを鮮明に覚えていた。彼はそれを、思い出していた。

あの時も無限に遠くへ霞んでいった光を見つめながら、しかし掌のものは手放そうとしていた。離そうという覚悟のような、諦めのような、そんな何かがあった。

でもあの時は、最後は”彼”が手を差し伸べてくれた。僕はその手を掴んで、起き上がり、闇から這い上がることができた。手放しかけていた掌のものを、再び僕は握りしめた。


深い闇とあの時より強い苦しみの中で、彼は回想しながら、それを懐かしく思った。

“この過去も愛せるのだろうか。”、そう思った過去を思い出し、大丈夫、その過去も愛せてここまで来れたよ、そう昔の自分に語りかけた。

でも今回は、今回ばかりはもう駄目だと、思った。自分は助からない。確信に近いものがあった。

『いつの日か私も君も終わってゆくから、残された日のすべて心を添えておこう』

“彼は彼自身心を添えることができたのだろうか。”、また同じことを考えていた。でも、きっとダメだった。それができなかった、しなかったばっかりにきっとまた此処に落ちてしまったんだ。

そんな奴にヒーローは二度も現れてはくれない。

僕は、一人だ。今度こそ一人だ。そう思うとまた彼は涙を流した。その心には自分自身に対する後悔しかなかった。

悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれない悔しさが、溢れてきた。

涙で滲んだ視界には、掌の握りしめたままのボロボロになった何かがあった。ああ、これはあの時結局手放さなかったものなんだ、あの時からずっと握りしめていたものなんだ、彼は気付いた。

ああ、あの時離さずにそのまま握り続けてきたこれは、ボロボロに砕けようと、グシャグシャに潰れようと、もう二度と手放すことができないんだ。

血だらけになった手を見つめながら、僕はせめて最後には心を添えておこう、そう思った。

なんで、どうしてこんなところに落とされなきゃならないんだ、なんでまた、どうして、そんな怒りも、憎しみも、全部消し去って、この手の中の大事なものを、心をそっと、添えておこう、と。

二度と此処に誰かが落ちてくることが無いように。二度とそれを心をボロボロにしながら救う”彼”が現れないように、と。


――――


彼は紫煙を嗜み終えると、家路へと向かった。ふと考える。明日はどんな一日だろう。来週は、来年は、10年後は。

でもやっぱり、まだ何も見えない。あの時もそんなこと考えてたっけ。

見えない未来を手探りで、這いつくばりながら、生きていこうと思った。だって、やっぱり、何が起こるかわからないから。

“輝く星に 明日が見えるまで 僕らは手を伸ばす”

彼は歩き始めた。掌のものを握り直して、遠くへ霞んでいった光を、見つめながら。


“時が過ぎ 最後の日 また出会えるように

いつだって笑い合っていた

未来を思い描いていた

見上げた夜空に誓って”

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