ショウキョ

 意識を取り戻した時、ジェレミーの身体に異常は見られなかった。にもかかわらず、彼は妙な居心地の悪さを覚えた。その時は本人も、周りにいるむぃ二体やジョシュ、アマギたちも、何も不審や疑問はなかった。


 ところが、目を覚まして三日めの昼食の後だった。軽く昼寝をして目覚めたジェレミーは、思い出した記憶を再び忘れてしまった。それどころか、ジロウにいるということすら、丁寧に説明し町の様子を見せて回ってようやくわかるというありさまだった。


「じぇれみ、どうしたの?」


 ブールが足元で跳ねても、ジェレミーは足元のその丸い青いものが生き物でそれが話しかけているということを理解できずに、左右を見回してから彼を見るのだった。


 仲間のことをアマギたち文書館の者から聞き、町で出会ったリコに再び周辺の様子を聞いて、ようやくジェレミーは落ち着きを取り戻したが、文書館での作業はできなくなってしまったし、それまでに読んだものを読み返していくうちに、一週間くらいでまた記憶を失ったジェレミーは、もともと記憶が欠落していたとはいえ、自分というものをさらに失ってしまった感覚に陥った。



 記憶を再び失った原因を見つけるのはほんのわずかな偶然とタイミングによる奇跡だった。

 初めは、様々な本を読み漁るうちに脳の働きがパンクしたのだとか、意味の分からない専門用語や彼にとっての異言語である共通言語が負担になっているのだとか、とにかく仕事の量を減らせば大丈夫だろうと考えられていた。

 そうやって量を減らしても、また読み直したり新しい本を少しずつ読んでいくうちに、またジェレミーの記憶は白塗りされるように思い出せなくなってしまうのだ。それで、リコの仕事を手伝ったり、町の人と話したりして文書館から物理的に離れることで、仕事を中断することにしたのであるが、その際に、物語の本を読んでいる人のそばでジェレミーが頭を抱えて倒れるということが起こった。

 側にいたジョシュが、その中の固有名詞に聞き覚えがあった。


 実験により、ノーチラスという語句とエクセリオンという語句、細かい特定はできなかったが輸送任務にかかわる言葉をほぼ同時に認識するとジェレミーの記憶に影響するということが分かった。


「船の名前。何か、ジェレミーの記憶を左右するものがあるのだろうか。」


 何度目かの記憶喪失でぼーっと横たわるジェレミーに付き添うジョシュは、呟いた後寂しげににゃあんと鳴いた。むぃたちも交代で看病する文書館の人も、気分が沈んでいる。リコがやや楽し気に


「君、普通に猫の声で鳴けたんだね」


などと言い、ジョシュは真面目な声で返した。


「もちろんだ。出自はともかく、私は猫なのだからね」


 やりとりをみて、ブールだけ、わずかな間きゃっきゃと笑っていた以外に、会話に反応する者はいなかった。


* * *


 ジェレミーは、ツクバのなかで、というかジロウのなかで最も進んだ病院に入院した。診察や検査の結果、一定条件下で記憶喪失になる記憶操作を受けているという診断が下された。


「そんなことだろうな。きっとその船のやつらにいいように使われてたに違いないさ」


 あきらめを含んだ声でジェレミーは寂しく笑った。



 記憶操作は、一部の惑星の文化圏以外では特に禁止されているものでもない。例えば、恐ろしい事故や事件の記憶をおぼろげにして、出来事のフラッシュバックや恐怖症を弱めたり出にくくするという治療がある。また、凶悪犯の収容時に、記憶をあいまいにしたり感情を抑制することで、犯罪への興味や倒錯した性欲発散を抑えるということも広く行われている。


 方法は主に薬剤で脳の特定の部位や細胞の働きを鈍らせるというものだ。薬剤の強さや濃度、組み合わせで多様な効果がある。ただし、強い薬や新しい薬は副作用がひどかったり使用症例が少なかったりで極力使われないということになっている。

 なっている、というのは、少ないが使われた記録がある、ということだ。違法とわかってこっそりやっていたのがバレたとか、権力を握った為政者が自分の星や領土内で特例をつくって使わせたりした類の、真っ黒い使用例である。


「完治はしないと思いますが、出来る限り、やりましょう。だめなら、この星から貴方を出し、『新憲法』を破ってでも惑星連合下の、まともに動いている病院に送ります。」


 病院長は長くジェレミーと話した。そして、ジェレミーから治療に関する了解を取り付けて、病室を去った。

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