a'iria(猫)
ジェレミーはエレベーターの上下ボタンが光っているのに気づいて、それらを押した。すぐに音が近づいて、チャイムと共に扉が開いた。ちゃんとエレベーターの箱が来ていた。箱の中、ど真ん中に、猫がすました様子で座っていた。
「はぁ?」
驚いて口が自然に半開きになったジェレミーを笑うように、その猫はみゃあおう、と一回鳴いた。行ってみよう、と言ってブールがエレベーターに乗り込んだので、ジェレミーとネールは彼に続いた。さらに、後ろから三匹の猫が乗り込んできた。
内部には、回数表示の下に、一メートルほどの木の棒が立てかけてあった。乗り込んだ三匹のうちの一匹がその棒を使って、「B3」と書かれたボタンを押した。しばらくして、箱は下降を始めた。
* * *
止まった階ですべての客が下りた。降りた場所は、幅がおそらく一メートルもない通路が二,三メートルごとに数回折れ曲がって続いていた。その先に天井が高く、トラック競技のトラックが入ってしまいそうな、明らかに地上部分より広々とした空間があった。そして、おそらく三〇匹はいるだろう、猫が綺麗に整列して座っていた。
「なんだってんだこりゃあ!」
ジェレミーの叫び声で、猫が一斉に彼らのほうを見た。半分ほどが、毛を逆立て、しっぽをぴんと張って、威嚇の姿勢を見せている。
「どうしよう……みんな、おこっちゃったのかな」
ブールが弱った声を出した後ろから、低い唸り声が一回。そして、
「静まれ」
なまっているものの、明らかに人間の言葉が聞こえたが、声の方向には猫しかいなかった。
動物園のチーターのごとき体躯の黒い猫と、それに付き従うように左右、一歩引いた位置にそれぞれきなこ色と灰色の猫。さらに左右の猫の周りを、やや成長しているもののまだまだ子猫だろうという、ひとまわり小さな猫が二匹うろついている。
声の主は黒猫だった。もういちど、今度は高い唸り声を出すと、いきりたっていた猫たちは皆しっぽを下げ、毛並みも戻った。付き従っていた二匹が、猫たちのほうへ歩いていき、にゃあにゃあ鳴いて何か話しているようだった。黒猫はそちらに目もくれず、じっとジェレミーたちを見回した。さらに、ぐるっと一周。
「お前たち、どこから来た? 知らないニオイがする」
* * *
ブールが、町や人を探していることと、自分たちがきた方角とシェルターのことを話し、自己紹介すると、黒猫はふむ、と人間に似た考え込む仕草を見せた。
「わかった。ここにいてもよいぞ。わたしのことは『ジョシュ』と呼ぶがいい」
* * *
ジョシュはただの猫ではない。人間たちの実験で知能を上げた『被験者』たちの子孫である。多くの猫たちは、かつて暮らしていた人間の飼い猫や町に居ついた野良猫の子孫だ。なお、被験者は猫だけではない。
ジョシュは数代前から、実験の影響で寿命が人間以上あるし、群れを率いて戦えば、野生の大型獣でも倒して食事に変えるだけの力がある。一人でも、相手が諦めて帰るだけの怪我を負わせることが出来る。人間がいなくなってから、町の外縁部でただ食われるだけだった猫たちを束ね、ヒトを探し、そしてこの場所の安全性に気が付いて、住処とした。エレベーターの使い方を、仲間にした猫だけに教え、覚えたものを番人にしている。
「わたしたちが知るかぎり、ここにヒトはいない。少なくとも、わたしの親の親が暮らしていたとき、ここは、『こういうふう』だった。私の親の親と、親の力で、外のけものは、入っては来ない。だが、鳥は自由に入り込んで、子どもらを持ち去る。だから、ここを見つけたとき、ヒトがいると思った。いなかった。」
他の町のことは、ジョシュもどの猫も知らなかった。外に出たことがないようだった。町と町の間、シェルターのない部分はたいてい野生動物の領域だ。いくらジョシュのように力があっても、あまり長居したいものではない。それに何より、町の外がどうなっているか、彼らは知ることができない。ジョシュは知能はあっても、ひらがなしか教えてもらうことができなかった。
持ち出した本を開いて、ブールとネールとジェレミーはジョシュに見せた。文字はブールとネールに任せ、ジェレミーが知識を補い、予想を立てる。
隣接する町へ行きたいとジェレミーが持ち掛けたが、ジョシュは無理だと言っただけだった。方角が分からない。
ジョシュとネールは町のある方角が分かるが、それを説明するための語彙(ごい)を持たない。
ジェレミーは説明されれば方角を判断できるが、例えば基準となる東西南北がどちらなのか調べる方法が分からない。磁石があれば南北はわかるかもしれないが、そんなものは持っていない。
ブールは方角というものを知らないようなものなので、ネールやジョシュが方向を説明できなければ、何もわからないのと同じであった。
地図と建物を照合したりして、まず方向を定めることにした一人と二体と一匹は、その作業の前に、安全な場所で休息をとった。それからあれこれ言い合いしながらなんとか地図の東西南北と実際の方角を照らし合わせることができたが、日が傾いてきたのでさっさと地下に引っ込んだ。
猫らしく、ショシュは長い時間考えることと何かし続けることは難しかった。
ジェレミーにとって二〇日目の朝日が昇った。
見張り役の猫が一階のエレベーター乗り場前でにゃあとやや鋭く鳴いた。チャイムが鳴ってエレベーターの扉があくと、もう一度見張りは鳴き、乗っていた番人役の猫が返すように同じような声音で鳴いた。番人は棒を操り、扉を閉め、交代のために地下へ降りていった。同じころ、ジェレミーたちと、地下にいる多くの猫たちはまだ深く眠っていた。
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