reaknipa(本、書物、冊子)
その『惑星資料室』という部屋の扉は、シェルター内などの良く見かけるつるっとした扉ではなく、大きく出っ張った取っ手がついていて、その側に何か穴が開いていた。小さなのぞき窓がついているが中は見えないし、窓のデザインは、見慣れたそのつるつる扉とは全く異なる、でこぼこや装飾がついたもので、装飾のくぼみにだけは少しほこりやチリが堆積していた。
ドールは取っ手をつかんで、引っ張ったり、押したり、回るようなので左右に回したりした。がしゃがしゃ音がしただけで手ごたえも何もない。取っ手にはそれぞれ反対を向いた矢印がふたつ書かれている。回す方向に何か意味があるのだろうが、どちらに回しても、回したまま押しても、回したまま引いても、開かない。
ドールは一度扉から離れ、近くの壁際にあった椅子に腰かけてふうと息をついた。むぃたちが、奥に見えるガラス張りの別の部屋の中で何か動き回っているのが見えた。しばらく見ているうちに、どちらか――ドールにはまだ、近くに寄らなければ彼らの区別がつかない――が何か細長いモノを持って、ドールのほうへ移動してきた。
近づけば、物を持っているのがネールだとわかった。ネールはちらりと短く視線をドールに向けてから、扉の穴に、持っている長いモノを突っ込んで、ひねった。
「古めかしいカギだなあ」
ドールは感心した。こうしたタイプのカギは、少なくとも彼が生まれたころにはもうほとんど町では使われていないものだった。レトロ愛好家向けの喫茶店や、個人用のインテリアボックスに多少みられるくらいで、つまりは飾りや演出、ちょっとしたしかけ玩具的な使われ方である。本来の、大事なものを封印する役割はあまり期待されていない。
見慣れたつるつるの扉は、個人識別カードのスキャンや、網膜や指紋などの登録した身体要素を鍵にしているし、扉の取っ手はただの規格品のくぼみである。
ネールがそのままゆっくりと、扉を開ける。すると、空調が別なのか、ほこりっぽい空気がもわっと彼らを包むように迫る。ネールたちは平気そうだが、ドールは何度も咳をするうちに息苦しくなって、壁に背を預けて座り込んだ。気づいたブールが資料室の外へ彼を引きずり出した。
のどの調子が戻るまで、ドールは、椅子に座ったまま室内を見回した。五段の棚にびっしりと、様々な大きさ厚さの本がぎっしりと詰まっている。書かれている文字が分からないので読めないから、手に取ってページをめくる気はしない。
その間ブールとネールはぽよぽよと細かく跳ねて追いかけっこをしているように見えた。むぃむぃと楽しそうな声を上げて、追いかけっこを楽しみつつ、区切りがつくとドールのほうへ寄ってきて、大丈夫かと心配してくれる。
喉が治ったところで、用心のために一口水を含み、たまたま持っていたバンダナで口をふさいで、ドールはもう一度、資料室へ入った。開けっぱなしにしておいたおかげか、ずいぶんとマシになった空気は、それでも重く感じた。湿っぽいのだ。見ると、棚は同様に並んでいるが、近くの棚から適当に抜き出した本は、表面がかびていた。ドールは布越しにもはっきり分かる、かびのじめじめした匂いに顔をしかめながら、いくつか本を手に取って、ブールに渡した。読んでもらうためだ。
「まずは これでいいかな?」
最初の本には『入植の歴史 3巻』と書かれていた。途中みたいだよ、とブールがいい、その本があった棚に近づいたが、1巻は見当たらなかったし、2巻はページがくっついてしまっている。
「じゃあ 読むね」
ドールとネールは、読み聞かせ会の子どものように、ブールの前に座ってじっと聞いた。
* * *
次郎星に入植した人々は、最初に降り立った基地を中心に、五つの町を作った。最初の基地はトウキョウと名付けられ、五つの都市はヨコハマ・ナゴヤ・オオサカ・キョウト・フクオカと名付けられた。
本来は『次郎東京』などと、地球上の日本国の地名の頭に次郎を付けたものだったが、一年たたないうちに次郎を付けなくなった。到底元と混同する機会がなかったからである。何代も宇宙船暮らしだった人々の子孫には、むしろ地球上のことなぞ昔話や記録でしかなかった。いくら「日本人」であっても、分かるわけがなかった。分かろうとしても、高速船やもっと後の世代の入植船でなければ、生きているうちに実際のトウキョウを訪れることは不可能である。
五つから始まった町は、人口の増加とともに外へ外へと広がった。町(行政区)が五〇を超えるころには県をつくり、県が五〇を超える前には8~10県でひとつの州が整備された。陸地全体に都市が広がり、最終的には47州500県が確立した。
その過程で、原住生物のいくつかは共生し、あるいは争いが起こって滅びた。もしくは、関わり合いを拒否して隔離された種族もあった。むぃのような着かず離れず距離感を保った知的生物は少ない。
たとえば、最も知能が高いとされた爬虫類に似た生物は獰猛だった。穏やかな個体が人間と暮らそうとしたのを、裏切者として人間の町の往来でもかまわず粛清した。それで戦いが起こった。もともとの頭数が多いうえに繁殖サイクルが短いこともあってなかなか制圧できなかった。戦いの結果一時的に人口が一割以下になった地域もあるし、それで放棄された町もある。
しかし、そうした虚しい戦争のほかにも、人間同士での争い事も、何百年間、少なくならなかった。
新しい移民船団の訪れとともに、争いは平定され、平和条約が作られた。その年を記念して紀元『平定』が作られた。
平定元年の一年間に、政治的あるいは宗教的な相違から一二の国が作られ、どこにも属さない中立県もひとつ設けられた。全体が守るべき条約と、それぞれの国の憲法が作られた。戦乱もなく迎えた平定一〇〇年の祭りには、各国の代表が集まり、条約への誓いがなされた。
* * *
一時間近くかかって本の半分ほどを読んたブールは、ふと読むのをやめた。丁度、章の切り替わりだったのと、いつのまにかネールが眠りこけていたからだ。むぃたちは人間と違って、数時間の眠りを一日に数回とる。朝起きてから半日起きていて、眠かったのだ。
「むぃも ねむい」
「ああ。俺も聞いていて疲れたから、ちょっくら休もうかね」
ドールは、本を置いて眠ったブールを見た後、先の壁際の椅子にもどって横になった。眠たくはなかったが、疲れが残っていたせいか、すっと眠ってしまった。
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