→22:30

 彼が駅から出たところで後ろからワッ!と驚かせよう、そこまで考えていたのに。


 人混みの中から飛び出した頭を見つけて、胸がドキドキと跳ねる。単に『彼がいたから』……それだけじゃない。


 

 ――嬉しかった。

 ――ただただ嬉しかった。



 彼は改札を抜けるとすぐにパスケースをしまい、その代わりに胸元から携帯を取り出して耳にあてる。


 私の手の中で震える携帯。

 カバーを開くと、彼の名前が私を待っていた。


 電話をくれるのは、家に着いてからだと思ってた。家について、なんなら着替えたりして、それで『さ、かけようかな』くらいのタイミングだと思ってた。



 だから



 この場所からすぐ掛けてくれたことも、携帯を操作する時に優しい顔をしたことも、なかなか繋がらないことにガッカリしたような表情をしたことも。


 全部、全部嬉しかった。



「菊地さんっ!」

「……笹野さん!?」



 企んでいたことを丸々忘れて飛び出すと、驚いた彼が電話を切りながら近付いた。



「もしかして待ってた?」

「……あの、私……どうしても、菊地さんに会いたくて」



 明日まで待てば会えたんだけど。

 待ってちゃダメだって言われたんだけど。



「嬉しいよ」



 黙る私に降り注いだ満面の笑み。

 許されるなら、写真に撮って保存しておきたい。


「菊地さん……あの、それから」

「ん?」

「……晩ご飯まだだと思って、材料買ってきたんです」

「本当に?!」


 彼は私の持つ水玉模様のエコバッグに目を落とし、さらに微笑む。



「……それで、あの、私」



 いつもより、ちょっとメイク濃いんです。

 いつもより、髪も可愛く纏めたんです。

 なぜかというと……それは……だから。



「笹野さん?」



 不思議そうに覗き込む彼に思い切って告げた。



「……友達のところに泊まってくるって言って出てきたんです。……だ、だからっ!」



 続きを言えない私の頭にそっと降りてきた大きな手のひら。



「行こう」



 頭の天辺をポンと撫でた温かい手は、すぐに私の手まで降りてくる。



 繋いだ手から伝わるキモチ。



「……その友達も、帰したくないって」



 彼の右手にはエコバッグ。左手には私。

 並んで歩く、夜の道。

 時折私の方を向き、ふわりと笑う彼を見る度に込み上げてくる幸せと緊張。



 彼の部屋まであと少し。



「そんなに緊張しないで」

「……き、緊張してないですよ!」

「そう?」

「はい!全然!!」



「俺は緊張してる」



 情けなさそうにフニャリと崩れた顔だって写真に撮りたくなるくらい可愛いし、真っ赤に染まった私の顔を隠す術だって見当たらない。


 今夜の、晴れた空に浮かぶ丸い月のように、私たちを隠す雲なんて一つもないんだ。

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