第49話
明は扉へ向けて歩みかけたが、一度そこで立ち止まった。
後ろを振り返る。
向こう側へ行く前に、一声だけ友人らに声を掛けていきたかった。今回、彼がこの世界へ足を踏み入れてから、協力し続けてくれた小野川、井上、そして水木。彼らなしには、明は最後まで気力を保っていることは出来なかったに違いない。ここで協力をしてくれた彼らには、ここで一目会って言葉を交わしておきたかった。
背後には無数の人間がいる。だが、今の明には物理的な距離も障害も飛び越え、どんな人間も捕まえることができるという確信があった。
明は一度目を閉じ、再びゆっくりと目を開けた。そして目を凝らすだけで、その三人を発見できた。
「おーい、小野川、井上、水木さん!」
三人ははじめこそ驚いた様子だったが、明の姿を認めると頷きあい、手を振った。そして、井上が小野川に肩を貸す形で歩いてくる。その後ろから水木も続く。三人は近寄れない群集を置き去りに、明のもとへ歩んでくることができた。
小野川が明の肩に手を置いた。
「明、無事だったのか!」
「ああ。なんとかこのとおり……」
明と小野川は手を取り、笑いあった。彼はこれまでと比べて見違えるように生気を取り戻しているように見えた。これも、先ほどまで住んでいた上縞町を心の底で否定したことの結果なのかもしれない。
水木は頭を掻いて笑った。
「本当に諸橋くんが言っていたとおりだった。少しでも疑ってすまなかったよ」
そこで改めて周囲を見渡して言う。
「一つ訊きたい。“これ”は、君がやったのか?」
「おそらく、としか言えないですけど。でも、俺一人の力じゃないと思う。さっきまで一緒にいた風早の妹、莉緒やそのほか大勢の人間の望みでもあったんだと……」
「しかし、これは諸橋くんの望んだ結末とは少し違うんじゃないのか?」
水木の問いかけは核心を突いたものだった。明はしばし言葉を詰まらせた。
「確かに、俺が戻ろうとした上縞町には、たぶんもう帰れないんだと思います」
「それでもよかったのか?」
「ええ。水木さんの言っていた、元通りにならないっていうことの意味が分かりました」
明は瞳を閉じて、噛み締めるように言った。
「今はそれを受け入れています。それに他ならない、俺自身が塗り替えを望んだわけだから」
そのとき、傍らにいた井上が俯きながら言った。
「なあ明」
「うん?」
「風早は死んだって聞いたよ」
井上の表情は微かに暗く沈んでいた。明は目を伏せ、口をつぐんだ。
「結局、あいつには、会えたのか?」
「ああ、会うには会えた……」
今の明には、友人を目の前で死なせてしまったことに対しては、一言の申し開きもできなかった。井上も黙っていると、一瞬、彼の前に風早亮の姿が浮かんだように見えた。井上が顔を上げた。
「あいつに、謝ることができたのか」
莉緒が訊いた時と同じように、井上のその言葉には、哀しみだけでなく安堵の響きも混じっていた。だが、明は依然として井上に対して済まない気持ちが晴れることはなかった。
「うん。本当に、心底、後悔してたから。ただ、残念ながらそれで気持ちが通じることはなかったよ」
「……そうか」
今の明の胸中は複雑に入り組んでおり、数え切れないほどの負の感情も残っていた。
家族や友人に対する信頼、愛情。彼らへの不信やそれを自ら恥じる思い。風早をあそこまで追いつめる元凶を作り、そして最終的に彼が死んでしまったという事実に対する自責の念。もともと自分にはどうしようもなかったのだという、多少の開き直りの気持ち。鈴原を守れなかったことへの悔い。それらは彼を沈んだ気持ちにさせる。また、須藤に騙され、裏切られたことへの怒り、屈辱、寂しさ。そして、先行きへの不安。
だが、今の彼には孤独がなかった。そして、自分も変化のきっかけになりうるのだという自負と、自分の関わった変化の中に他人を受け入れることができたことの自信があった。彼は須藤にもいずれ会い、理解し合いたいと願っていた。
「俺も、あの混乱が始まったあとで、街がどうなったのかはわからなかった。とにかく、みんなが無事なことが分かって安心したよ」
「まぁ、どうにかね」
明は三人を前に、改めて頭を下げた。
「今回、本当に三人には助けられた。何と御礼を言ったらいいか」
「水臭いな。今度はあっちで俺を助けてくれればそれでいいよ」
小野川が朗らかに言った。それを聞いて明も静かに笑う。
明はそこで、先にある玄関を観た。
再び固く目を閉じる。
自分と関わり、最終的に不幸な結末となった風早や鈴原姉弟のことを考えた。
結局のところ、自分などは特別な人間でもなんでもなかったのだ。明は一連の出来事をとおして、それをはっきりと悟った。今回、大勢の人間をここへ連れてくることができたのは、偶然の巡りあわせと感情のままに動いた結果にすぎない。明はこれまでの自分を振り返り、自嘲的に微笑んだ。
だが、その気持ちは自分の過去や将来の全てを否定するような、ネガティブなものでは決してなかった。ただ、頭の中の諸橋明というイメージと現実の距離感を修正しただけなのだ。
この先の生活に対する漠然とした期待も無くしているわけではない。捨て去ったり戻ったりするような類の便利な“日常”はなかったことが分かったが、その代わりに自分は壁を背負った完全な孤独でもなかった。その確信が、彼に大きな勇気を与えてくれた。
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