第八章 覚める
第34話
明が周囲と関わりあう余裕さえ失い、ひたすら内面と向き合っていた一方で、小野川はそんな明の様子を、憂鬱な表情で見続けていた。明よりも先に顔と指を失った小野川は、対比という客観的な視点を獲得した。そして、それが自分自身を突き放して考える要因となっていた。
明は自分と同じように、元の顔を失ってしまった。自分以外の人間が顔を失う様子は、自分の時とはまた違うショックがあった。うっかりすると、明ではない全くの他人が部屋にいるように錯覚してしまうこともある。その瞬間が一番恐ろしかった。面相が一日で変わってしまうことは、元の人物を識別することが他人にとって困難になってしまうことを意味する。それは標的に近しい人間にとっても悲劇であったのだ。
明がかつての顔を取り戻すことはない。小野川は改めて自分の行いに慄いた。
自分は本当に、明を自分の家へ呼び寄せることの危険性に気付いていなかったのだろうか? 彼は自らに密かに問いかけ続けていた。自分の心は1から10まで、明の味方で居続けていたといえるのか?
もしかすると、自分は仲間がほしかったのかもしれない。
小野川は二日前の自分の心境を冷静に振り返った。自分と同じ境遇の者が生まれた。これだけのことに、自分の心は確かに一度救われたのだ。
だとすると、自分という男は最低のクズだ。元はといえば自分は明に協力し、こんな境遇に陥ってしまった。だから共に逃げた明には、せめて自分と同じ境遇にいてほしい。そんな歪んだ気持ちが自分の中に巣食って、決断を鈍らせてしまったのかもしれない。
そう。確かに、明が群衆に襲われたあの瞬間、悪夢を見ているような心地のなかで、密かに“同胞”が生まれることへの安堵を抱いてもいた。結局のところ、明一人が群衆の手を逃れて無事でいることに、不満があったのではないか。心のどこかで、自分は明が群衆に捕まることを願い、本来であれば働いたはずの理性を眠らせておいた。そして目論見通り、群衆が待ち伏せをしている可能性のあるこの家へ、明を呼び寄せてしまった。
その考えに至り、小野川は明の視線を恐れるようになった。狭い部屋の中、明は苦悩に満ちた表情で俯いている。その視線が、いつ憎しみを持って自分の方へ向けられるかと思うと、気が気ではなかったのだ。今はそれがとてつもない重圧に感じる。
顔を替えられただけでなく、その直後から延々と自分を卑下するように苦悶を繰り返した小野川。彼の頭を不吉な未来像ばかりが掠めるようになったのは、無理もないことであった。目の前からすべての希望が消えたように思っているのは明と同じだが、小野川はいつしか、自分が生きていることすら罪悪に思えてきたのである。彼の思考には、自分を追い詰める悪癖が呪いのように備わっていた。
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