第23話


 明は辺りに誰も見当たらないことを確認し、坂道を上り始めた。ぐずぐずしていては、この辺りの人間も起きだしてしまうかもしれない。何しろ、この街の人間は異常なほど情報の伝わる速度が早いのだ。人の目が少ないうちに、移動は済ませておきたいところだ。

 上縞町のはずれにあるこの地域は、土地が広範囲にわたって隆起しており、海抜は20~30メートルほどある。この急斜面を上りきった地点からだと、住宅街から橋の向こうまで、上縞町の全景が見渡せるのである。建物に遮られて見えない部分も多いが、天然の展望台としては上等なものだ。

 しかし、今の明にはそんなものを眺めている余裕はなかった。坂の途中にも家はいくらか建てられているが、辺りに住む人の数は、明の住んでいる地域よりは少なそうだ。今はそれを利にして、一刻も早く公園に到着して身を隠すことが重要である。明は疲れた足に鞭打って坂を上り続けた。大した距離ではなかったが、これまでの道のりの疲れもあり、かなり長く感じられた。

 目標とする公園は、坂を上りきったところのすぐ近くに入り口があった。木々の生い茂る、森のような公園である。中には申し訳程度の大きさの広場と、長い遊歩道があった。明がこれまで上ってきた斜面の一部も、公園の一部となっているようである。

 明はようやく公園の入り口に立つと、一安心をしてその場にしゃがみ込んだ。朝の公園には散歩をする人などもいるかと思ったが、今のところはまだ誰の人影も発見できない。明は入り口の影から、公園の中の様子を覗き見た。

 広場の周りに、点々と石のベンチが見受けられる。だが、遊具の類はほとんど備えられていない。ここは主に、散歩や森林浴に使われるところなのだろう。全体は一目で見渡せないほど広かった。明はとりあえず公園の中に入り、辺りを歩いてみることにした。待っていれば、そのうちに小野川もやってくる筈である。

 明はそのまま公園の中ほどへ進んでいった。急な斜面の前に、ロープで柵が張られているのが見える。その近くに、屋根つきのベンチとテーブルがあった。下はコンクリートのブロックを敷き詰めてある。明はそこへ行くと、眼下に広がる街の景色を眺めた。

 昨日の雨の影響か、街全体に朝もやがかかっていた。鼻先にも、濡れた草の香りが漂ってきている。湿り気を含んだ朝の空気は心地いい。彼は落ち着いたことで、それらに意識を向ける余裕ができていた。

 街中に目を向けると、数台の車が走っているのが見えた。こんな時間からでも起きだしている人間は多いし、前日から起き続けている人間も少なくはないのだろう。住宅街の方も、繁華街の方も、まだ閑散としてはいるが、確実に人の息吹を感じさせた。

 しかしそのとき、彼は視界の中で数日前とは違うものを発見していた。はじめ、彼はいぶかしんだ。目を細め、幾度も確認をする。しかし、やはり間違いはなかった。

「隣の町が見える……」

 明はその事実を反芻するように呟いた。

 上縞町に隣接した町々が、明の目にも見えるようになっているのである。

 間をおいて、明は慄然とした。

 自分がこの街へやってきたとき、確かに自分には〝上縞町〟と呼ばれる地域しか見えていなかった。そこ以外は砂に囲まれていた筈ではないか。街から遠ざかれば遠ざかるほど、砂を舞い上げる風は強く吹いていたのである。それはこの街の誰にも否定をされた話だが、確実にそうであったと断言できる事実だった。

 それがあろうことか、今は自分の目にも映らなくなってしまったのだ。

 明はそれが分かると、めまいを感じた。砂漠が無かったら、ここが本当の世界に一歩近づいてしまう。辺りを見回し、ついこの間まで街の境界であった辺りに目を凝らす。朝もやに遮られて見えにくいが、やはりその辺りに砂漠などはないようだ。しっかりと建物の影が見える。

 明はさらに遠くを探した。

 すると、上縞町の隣の町よりさらに奥に、明らかに街とは違う空間を発見できた。そこには建物はなく、まるで平地のようだった。霞がかってうすぼんやりとした光景ではあるが、それは確かに平坦な白い大地の姿である。

 明はようやく事態が飲み込めてきた。

 つまり、砂漠は上縞町のずっと外側に後退をしていたのである。というよりも、明に見えるこの世界の領域が拡大している、という方がより正確だ。

 明がその事実に衝撃を受けて立ちすくんでいると、いつの間にか間近で足音が聞こえていた。砂漠を探すことに夢中で、他人の接近に気付けなかったらしい。彼が驚いて振り返ると、そこには顔を黒く覆った男が立っていた。

 あまりにも距離が近すぎる。

「う、うわあ!」

 明は焦って後ずさりをした。だが、その明の腿の裏に、食い込むように当たるものがあった。斜面の前に張り巡らされたロープである。

 明はバランスを崩し、頭から斜面を転がり落ちていった。

 そしてそのまま、彼は気を失ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る