第11話
小野川らはもう学校へ来ているだろうか。
明が校門へ入ってくる生徒の顔を一人一人眺めていたその時、彼の視界に覆いかぶさってくるものがあった。右手に黒い影が浮かんだと思った途端、頭に衝撃が走る。それほど硬い感触ではなかったが、右目には鈍い痛みが残った。右の目を押さえて振り返ると、そこには黒い翳で顔を覆った男子生徒の姿があった。その男は両手に鞄を提げていた。
明が何かを考える間も無く、今度は背後から物凄い勢いで何かに突き飛ばされる。それは自転車だった。背負っていたリュックのおかげで轢かれた痛みはそれほどなかったが、跳ね飛ばされた明がそのまま地べたを転がると、後ろから数人の笑い声が聞こえてきた。
明がふらふらと起き上がると、いつの間にか四・五人の男女がその様子を見て笑っていた。彼らの顔には、皆同じようにあの黒い翳が掛かっている。おまけに、彼らの声はどれも均質で誰の口から声が出ているのかすら分からない。
“お前は誰なんだ?”
“何をするんだ?”
そんな言葉は今や、口に出す価値も無かった。間違いなく、明はこの街の標的なのだ。彼は改めてそれを思い知った。
明は自分が軽々に動いたことを悔やんだ。理由は分からないが、家の外では不特定多数の人間が自分を狙っている。学校へ来れば何とかなるなどと安易に考えたのは、明らかに失敗であった。もっとも、今更そんなことを考えても後の祭りであるが。
先ほど明を殴ってきたと思しき男が、手に持っていた鞄を振り回してきた。明はそれを何とかかわして、周囲に目を走らせる。駐輪場の中から、新たに二人の黒いのっぺらぼうが近寄ってきていた。この状態では、再び駐輪場の中へ戻って自転車で逃走を図ることはできそうにない。
目の前の生徒たちが明に向かって動き出すのと同時に、彼は駐輪場から離れて生徒玄関の方角へ走り出した。しかし、今度は正門の方から翳を被った別の生徒がやって来るのが見えた。
「モロハシぃ~」
「モロハシアキラー」
「二年C組三十二番の諸橋さーん」
口々に彼らは明の名を呼んだ。しかし、明には彼らが一体誰なのかがさっぱり分からなかった。ここにいる全員は確かに明と同じ高校へ通う生徒だが、だからといって皆が皆、明のことを知っている理由にはならない。どういうわけか、彼のことはこの街の人間に知れ渡っているのだ。
明の背筋に怖気が走った。
周囲はすでに黒いのっぺらぼうだらけだった。背後の駐輪場の方に五人前後、右手の正門の方から二・三人が迫っている。
左手には生徒玄関があった。見たところ、今はそちらの方に立ち塞がっている者はいない。この玄関前の広場で多人数を振り切ることはほぼ不可能だろう。校舎の中の方がまだ逃げ切れる可能性はあるだろうか。
明が逡巡している間にも、どんどん彼のそばに人が寄ってきていた。あまり迷っている時間は無い。彼はそのまま生徒玄関を通って校舎内へと入った。
玄関を入ってすぐのところには、全校生徒の使っている下駄箱がずらりと並んでいる。辺りには登校してきたばかりの生徒の姿もちらほら見受けられた。後ろを振り返ると、先程の生徒たちが彼を追って小走りに駆けてくるところだった。
明は土足のまま廊下へと進んだ。下駄箱を抜けたところで、廊下は左右に分かれている。左手が職員室や図書室のある棟で、右手が学級ごとの教室の並んでいる棟だった。明がそのT字路で一瞬立ち止まっていると、彼の左手から誰かの内履きが飛んできた。見ると、また新たに一人の男子生徒がこちらを見ている。背後からも続々と人がやってきていた。
明は無意識のうちに、自分と彼ら両方の正気を疑い始めていた。
狂っている。
いや、そんな生易しいものではない。人間の集団そのものがおかしく見えるのだ。無論、あの一人一人が十分すぎるくらい人間的な存在であることは分かっている。しかし今、頭の中は徐々に彼らを人間として考えることをやめようとしている。
左から後ろから人々は明を捕まえに手を伸ばす。
やむなく明は右手の廊下へと逃げた。ここで捕まったらどうなるか分かったものではない。できることならその辺の窓を開けて再び外へ逃げ出したいが、窓の鍵を開けて身を乗り出すだけの時間が無い。とりあえず今は捕まらないように走るしかなかった。
でも、どこへ行けば?
明は煮えたった頭で必死に校内の構造を思い返した。逃げ場の無い校舎の角へ逃げるのはまずい。目の前には左手に折れる道と、階上へ上る階段があった。彼の教室はあそこから二階に上がったところの、右手すぐにある。
階段を上る不利を差し引いても、知らない生徒たちのいるところへ逃げるよりは、やはり知っている人間のいるところへ行った方がまだましだろう。
そこへ行ったところで果たしてどうなるものか想像もつかないが、今は藁にもすがる気持ちだ。彼はそのままそこから階段を駆け上がった。
背後からは笑い声を上げながら十人近い男女が追いかけてきている。いつの間にか明は汗だくだった。大した距離を走ったわけでもないのに、すっかり息が切れている。
「はぁ、はぁ……」
息が詰まる。目の前の光景が色を失っていくような錯覚にとらわれる。恐怖が足元から湧き上がってくるようで、思考が渦を巻く。
二階へとたどり着いた。明はふらつきながらも壁に手ついて走り続けた。彼の教室はこの角を曲がったところだ。四クラスの並列するその廊下まで、彼は足を滑らせながらも、なんとか駆け込んでいく。
視界が開けると、教室前の廊下にたむろする数人の生徒が目に飛び込んできた。彼らは下の階の騒ぎを聴きつけていたらしく、明が階段から教室前の廊下へ走りこんでくると、いっせいに彼の方を見た。
そのうちの何人かは、明の母のように通常の様子だった。他クラスの生徒も見られるが、そのほとんどが知っている顔だ。名前も知っている者もいる。
「諸橋……」
彼らの中の一人がぽつりとそう言った。あれは同じクラスの澄田だ。
「澄田、助けてくれ! 俺は……」
明が声を張り上げる。澄田が眉根を寄せて何か言いかけたとき、彼の周りの顔の見えない人間たちが一斉にこちらへ向かって走り出した。
「くそっ」
背後からも先程の連中が追ってきている。澄田たちはその場から動くこともなく、ただ明の方を見ていた。それは何かを哀れむような、それでいて何の力も持たない眼差しだった。
このままここに立ち尽くしているわけにもいかない。明はすぐそばの扉を開けた。彼のクラスの後方の扉である。澄田らの他にもまともな人間は沢山いるはずだ。
「明!」
彼が扉を開けた途端、すぐそばで聞き覚えのある声がした。
明が振り向くと、そこには大きく目を見開いた小野川の姿があった。彼は入り口のすぐそばの机に座っていた。その顔は翳に包まれていない。それはいつも通りの小野川だった。
「お前、何してんだよ! 早くここから出ろ!」
小野川は凄まじい剣幕でそう言った。
「小野川、俺には何がどうなってるのか……」
明がそこまで言いかけたところで、教室の中ほどから数人が立ち上がった。彼らもまた、完全に顔が翳に覆い隠されていた。
彼らは机の上にある文房具を掴むと、片っ端からそれを明に向かって投げつけてきた。その中には鋏や金属製のシャープペンシルなども含まれている。手をかざしてそれを何とか遮るが、幾つかは彼の地肌に当たって痛烈な痛みを残した。
一体、誰がこんなことを?
彼らは昨日まで明と同じクラスにいた生徒なのだ。顔が分からなくとも、その体型や立ち居振る舞いでおおよその見当はつくはずだった。明がそれを確かめようとすると、今度は背後から彼を羽交い絞めにする者があった。
さっきまで彼を追いかけていた者が大挙して彼の後ろへ押しかけてきていた。
「この野郎、放せよ!」
明は必死でもがくが、数人がかりで押さえつけられているのでなかなか振りほどくことができなかった。
「諸橋が焦ってるよ」
「乱暴な言葉遣いだよねぇ~」
誰が喋ってるのか分からないが、彼らは口々にそんなことを言って笑いあっていた。教室の中からも笑いあう声がする。彼らの声は均質な上に、口元が翳に包まれて見えないため、誰がその声を発しているのかすらはっきりしなかった。
そのとき、先程文房具を投げてきた者の一人が、教室内にあった椅子を持ち上げるのが見えた。明の顔から一気に血の気が引く。今しがたまで火照っていた身体が一気に熱を失い、汗は冷たいものとなる。
椅子を持ったのは女だった。濃い茶髪のストレート、中背の痩せ型。見覚えがあるようなたたずまいだったが、あまりにもありふれた特徴で、頭の中で結びつく者が閃かない。髪型でも変えているのだろうか。
明が何とかその女の特徴を掴もうとしていると、目の前で彼女は椅子を振り上げ、今度はそのまま明めがけて突進してきた。
まったく躊躇う様子が無い。この女は本気であれを振り下ろす気だ。
明はがむしゃらに動いて、彼を捕まえている手を振りほどこうとした。だが、彼らはしっかりと明の手や肩、首を掴んで動けないようにしている。同時に、何かを期待するようなおぞましい笑い声が聞こえる。間違いなく、彼らはあの椅子で明が頭を割られることを望んでいた。
こちらへ走りこんできた女が、両手に掴んだ椅子を振り下ろす。明は咄嗟に両足を振り上げた。靴の裏で椅子の背を蹴り、何とかそれが彼の頭に当たるのを防ぐ。女はバランスを崩し、小さな悲鳴を上げて脇へ倒れこんだ。
手加減なしに椅子を蹴り離したので、彼を背後から押さえつけていた連中はその反動で後ろへとよろけた。明を拘束していた手の力が弱まった。彼はその隙に彼らを突き飛ばして教室から抜け出た。
しかし、周囲は依然として大勢に包囲されていた。彼らは明が教室から出てきた途端、一斉に飛び掛ってたちまち彼を捉えに掛かった。
襟首や袖口をつかまれ、明はそのまま床へと引き倒される。硬く冷ややかな床で後頭部をしたたか打ち付け、彼は昏倒した。
「あははあははは」
ぼんやりと笑い声が聞こえるが、それは酷く遠くに感じた。
今や彼は完全に取り囲まれていた。彼らの中の一人が明の上に馬乗りになる。服装から男子生徒だということは分かるが、それが誰なのかはやはり分からなかった。その体格や振る舞いに見覚えは無かったから、どうやら同じクラスの人間ではないようだが。
その男子生徒は両こぶしをこれ見よがしに構えると、そのまま明の顔を思い切り殴り始めた。明の両手は左右ともがっちりと押さえつけられていて、完全に彼らのなすがままだった。男は右の頬と左の頬を交互に殴り、明が呻き声を漏らすといかにも愉快そうな笑い声を出した。周囲は楽しそうにその様子を見守っている。先程椅子を振り下ろした女もそこに居た。時計の型でさっきの女だと辛うじて判別できる。しかし、それが分かったところで今はどうしようもなかった。
明の上に乗った男が、またひとつ彼の頬を殴る。口の中が切れているのが分かった。だが、大勢に手足を摑まれた今の明にはなす術が無い。怒りや悔しさよりも、悲しさの方が大きかった。
明が虚ろな目で彼の上に乗っている男を見ていると、その視界の隅に小野川の姿を捉えた。
小野川は教室の扉から半身を出した状態でこちらを見ていた。明と目が合ったとき、彼はそっと口を動かした。何かの言葉を伝えようとしているようだった。明がその真意を掴みかねていると、彼は目立たぬように何かを指差した。彼が指し示す方向へ目をやるが、大勢の足に隠れてそれが何かよく見えない。
廊下の隅……何か赤い筒のようなものが見える。確か、あれは消火器だ。
明がようやく小野川の示していたものを理解して再び彼の方を向くと、小野川は一度だけ頷いてどこかへ歩き去っていってしまった。その去り際に、小野川の顔は黒い翳に包まれていた。
「よし、指を潰そう」
その時、明を取り囲む連中の一人が、こともなげにそう言った。小野川の方へ向いていた意識が一気に引き戻される。
殆ど間をおかずに、周りの生徒が口々にそれに賛同した。まるで予め決められていた工程を踏むように。
「じゃあ、こっちの手を押さえておいてよ。誰か指を開くの手伝って」
聞き違いではない。冗談でもない。彼らは、今からここで本当にそれを始める気だった。
明は力の限りに暴れて四肢を押さえる手をどかそうとした。だが、身体の上に男が乗っている上に数人掛かりで摑まえられていては、脱出は容易ではなかった。
拷問でもあるまいし、一体何の理由があってこんなことをするのだろうか。
彼らの行動は、完全に明の理解できる範疇を超えている。
「悪あがきすんなよ、諸橋」
彼の上に乗っている男が言った。その翳に覆われた顔をぐっと近づける。男の顔に張り付いたような黒い平面。それを見ていると、明は夜の海原に呑まれたような気持ちになった。彼らには明を許す気など欠片も無いのだ。
「ほら、とっとと指を開けよ」
彼らは明の右手の平を数人でこじ開けようとしていた。明も何とかこぶしを握り締めて抵抗するが、親指を広げられるとそこから一本ずつ指を掴み取られていく。諦めたくはなかったが、全ての指を広げられるのはもはや時間の問題だった。
右手の人差し指が、完全に誰かの手に握られる。
しかし、丁度その時だった。
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ――
けたたましいベルの音が突如辺りに鳴り響いた。明を取り囲んでいた連中の動きが止まる。彼らは互いに顔を見合わせた。
「非常ベルだ」
誰ともなくそう呟いた。間違いない、避難訓練の時などに幾度と無く耳にしたものだった。しかし、こんな時間から避難訓練の予定などあるはずがなかった。誰かがベルのボタンを押したのだ。
明は自分を取り押さえる力が俄かに弛緩したのが分かった。
小野川だ。明はそれを瞬時に悟っていた。
「おい、あそこ! 消火器が使われてる」
辺りに居た生徒の一人が反対側の棟の窓を指差していた。明の位置からでは確認できなかったが、どうやら向こうの棟で小野川が消火器の栓を抜いたらしい。さきほどの合図はこれを指していたらしい。
「火事だ!」
「うそお!?」
「あそこ何の教室だっけ?」
場は俄かに騒然としだした。周りの教室からも大勢の人間が様子を見に動き出している。明を取り囲んでいた連中も、今はみんな火事の方へと注意が向いていた。スマホを取り出し、何かを書き込む者もいる。明以外に、あれが小野川の仕業であることを知るものはいない。突然の出来事に、誰もが浮き足立っていた。
先程まで彼を捕まえていた手が、いつの間にか殆ど離れていた。さきほどまでの明に対する、異常な執着心と集中力はまったく見受けられない。いまや彼らの関心は、火事という希少なイベントの方に向けられていた。
反対側の棟の様子を見ようとその場を離れる者が続出しだしていた。明の上に馬乗りになっていた男も、周りがみんな動くと自らも火の手を確認しにその場を離れていった。
「おい、どうする?」
「まだ何の放送も入らないな。あっちはどうなってるんだろ」
彼らの殆どはその事態を怖がっているというより、楽しんでいる風でもあった。彼らにとっての興味は明よりも火の手の確認に移ったのだ。
明は静かにその身を起こした。おかしなことに、今では誰も彼の動向を気にする者はいなくなった。
「……明」
その時、彼の手のひらに何かが押し付けられた感触があった。突然の出来事にぎょっとする。明の手には紙の切れ端があった。
明が恐る恐る振り返ると、翳で顔を覆った男がその場を立ち去るところだった。男は明から距離を取ると、一瞬だけその顔が現れた。
それは井上だった。
明が思わず井上の名を言いそうになると、井上は口の前に人差し指を立てて機先を制した。そして再び顔を翳で隠し、彼は立ち去った。
握らされた紙には、乱れた筆跡で「職員室側の階段から校舎裏へ」と書いてあった。
明も急いで立ち上がり、その場を離れようとする。すると、そのとき殆ど聴こえないような声で「モロハシアキラ」と口にする者があった。それは生身の肉声ではなく、群集の出す独特の音だった。明がぎくりとして背後を振り返ると、騒然とする廊下の中で先程椅子を振りかざした女が、ただ一人じっとこちらを見ていた。
あの女は一体誰なんだ……?
ぞっとした明は、すぐにその視線を振り切るように、紙片の指示どおりにその場を離れた。
辺りは避難しようとする者や、火事を一目見ようとする者でごった返していた。おかげで、彼女以外には誰も井上や明の動きを気にする者はいないようだった。あの女もたった一人で明を追ってくることはしなかった。
先程までの逃走劇が嘘のように、明はすんなりと群集の目の届かないところへ抜け出すことに成功したのだった。
明は火の手のあがっていることになっている方の棟の、避難経路から外れた通路を通って校舎の裏手にやってきた。井上の姿を探していると、彼の瞳の端にキラキラと輝く何かが写る。視線をやると、井上が物置の陰から手鏡で合図を送っていた。明は安堵してすぐにそこへ身を隠した。
グラウンドの方には避難した生徒も相当いるようだったが、彼らの位置からはこちらの姿は到底発見できないはずである。二人はそれを確認すると、とりあえず腰を下ろして一息ついた。
「火事が嘘だったってことはもうバレた頃だろうな」
井上が校舎の方を気にしながら呟いた。明は様々な想いが頭を駆け巡り、うまく言葉が出ないでいた。まずは何から話せばいいのか分からない。とりあえず、小野川や井上が自分を助けてくれたことが嬉しくてたまらなかった。
「助かったよ、井上」
かろうじてそれだけ口に出る。井上は苦笑いしながら顔をそらした。
「教室でさ、小野川に頼まれたんだよ。でもなるべくならこんな危ねえこと、もうしたくないね……」
明は言葉に詰まった。やはり井上の行動は少なからず彼自身をも危険に晒すものらしい。
「迷惑をかけたことは謝るよ。でも、何がどうなってるのかさっぱり分からないんだよ。本当に、何から訊けばいいのか……」
明はそう言って俯いた。さっき目の前で起こった出来事をなんとか整理しようとするが、やはり分からない。
すると、井上が呆れたように言った。
「とりあえず、お前は暫くこんな人目につくところに来るべきじゃないよ。本当に、何考えてんだ?」
「お前にはこうなることが分かってたってことか?」
「そりゃそうだろ」
井上は呆れた顔だった。
「とにかく、今はこんなところでぐずぐずしている場合じゃねえよ。暫くの間、どこかに隠れてた方が良いって」
「そ、そんな……」
明は途方に暮れてしまった。井上は明が大勢の標的にされているという事、それ自体はさほど問題視していない。おまけに彼の提案は、この街からもとの街へ帰るための根本的な解決にはなりそうもなかった。
「お前は、ここの奴らがおかしいと思わないのか? お前と小野川以外は、みんな俺の敵になったのかよ?」
明は思わず声を大にして訊いた。井上は明の態度に少々面食らいながらも、落ち着いて答えた。
「うーん、敵か味方かっていう問題でもないだろうけど。とにかく、大勢が追ってくるのは確かだから、繰り返し言うけどあんまりここには留まってない方が良いよ」
明はがっくり項垂れた。井上のこの冷静な態度はどうだ。話が噛み合っていない。
「ねぇ、小野川は何か言ってた?」
明は縋るような想いで訊いた。井上は何かを思い出したように、ぽんと手を叩く。
「あ、そうそう。あいつは明に、後で連絡を入れるように言ってたよ」
「そう……」
残念ながら、明のスマホはこの街では機能しないままだ。この世界にある携帯電話と構造が違うとも思えないが、とにかく通信できないことは確かだ。
井上は辺りをきょろきょろと見回しながら明に忠告した。
「そろそろ行った方が良いと思うよ。火事がでっちあげだったことが分かったら、またあいつらはお前を探し始めるから」
「とりあえず、二人が助けてくれて良かったよ。それだけでも学校まで来た甲斐があった」
明は腰を浮かした。
「や、あんまり頼りにされても困る」
井上はちょっと苦笑すると、すぐに真剣な顔つきになって言った。
「くれぐれも、もう捕まるなよ。今日は運良く何とかなったけど、普通は捕まったらもう助けられないんだからな」
明はそれを聞いて先程のことを思い出し、背筋が寒くなった。確かに、消火器や火災報知機を使わなければあの場はどうなっていたか分からない。あのまま明は彼らに半殺しにされていたのかもしれないのだ。
「分かった。気をつける」
「それじゃあ、俺はそろそろ戻るわ。あんまり長く不在にすると怪しまれるからな」
そう言って井上は周囲を確認すると、校舎の中へと帰っていった。
明も、ひとまずは家へ戻ってみることにした。今日は母は日中留守にしているはずだった。こんな時間に学校から戻ってきても、幸い家に怪しむ者は居ない。
彼は駐輪場に誰も居ないのを確認すると、素早く自転車に乗って学校を出た。
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