戦花 ―絶望に咲く一輪―
桜 綺羅々
プロローグ ―畏恨―
――幸せというものは、あまりにも脆い。
燃え盛る業火を目の当たりにして、俺はただ思い嘆くことしかできなかった。
生まれ育った街、慣れ親しんだ景色と思い出、その全てが容赦なく引き裂かれていく。跡形もなく飲み込まれていく。
両足は膝から下が爆風で焼け焦げ、右腕は瓦礫に押し潰された。しかし痛みはない。感覚が追いつかない。それでも胸の奥底だけは、痛くて痛くて仕方がなかった。
俺が何をした?
何もしなかったからこうなったのか?
虚空に問いかけたところで何も返って来やしない。わかっていてもそうせずにはいられないのだ。誰かこの理不尽な現実の意味を教えてくれ。俺を納得させるような答えを。誰でもいい、教えてくれ。
すっかり日の落ちたどす黒い空を、火の粉が深紅に染めあげる。
心落ち着かす陽の光の暖かさとは全く異なる、不安や恐怖を加速させる熱さ。夏のからっとした気持ちの良い暑さとは違った、吐き気を助長させる不愉快な熱さ。その全てが俺を包んで、消し去ろうとする。
あぁ、気が狂ってしまいそうだ。
様々な感覚が一気に引き消え、その代わりに様々な感情が一度に押し寄せる。混濁する意識の俺に、神は情けなど微塵もかけてはくれないようだ。
恰幅の良い髭面の兵士が、虫の息だった母の左胸部を刃物で貫いた。堀の深く、左頬に大きな切り傷のついたその顔に笑みを浮かべながら。その刃物の先端は、淀んだ赤色で鈍く輝いていた。
「残念だったな、これが戦争ってやつだ。強者は弱者を喰って生きる。おまえはどうしようもなく弱ぇんだよ。そこで息絶えるまでママの死に顔でも眺めてな」
そう言うと、兵士は既に息絶えた母を俺の眼前に振り落とした。双眸は焦点を合わせておらず、歪んだ口元からは血が零れている。綺麗な死に顔、なんてとても言えないような表情で横たわる母。しかしこれが母の最期の姿だと思うと、どうしても目が離せなかった。
「あばよクソガキ。せいぜいあの世で達者に暮らせよ」
蔑むような笑いを残して、その兵士はその場を後にする。母の顔を踏み越えて。
もし今あいつを殺せる力が手に入るのなら、それが叶うのなら、残っているもう片方の腕をなくしたって構わない。
憎い、憎い。目の前の腐れ外道が、自分をこんな目に会わせる神が、運命が、この世界の全てが、憎くて憎くて仕方がない。そして何よりも、目の前で親が殺されていくのを見ていることしかできない自分の無力さが憎い。
「そうだ白夜。このガキを殺せ。弱者を楽にしてやるのも、強者の役割ってもんだ」
立ち止まった髭面の兵士が、後ろにいる白髪の若い兵士に命令する。
殺される。それ自体は怖くない。しかし、こんなところで絶命する悔しさと、このクズどもへの憎しみと、遠くにいる妹の心配が頭の中を脳みそをかき回す。
「けど父さん――」
強烈な拳が白髪の顔に飛んだ。
「口答えするなって言っただろうが。黙って俺の言うことを聞いてりゃ、俺の後釜にしてやるんだ。おまえも力が欲しいんだろ? なら心も身体も強くありやがれ。 それが上に立つものの条件だ。自分より力の弱い奴はゴミだと思え。権力のない奴はムシだと思え」
やめろ、俺の方を向くな。俺も母さんも妹もゴミなんかじゃない。
「ほら、力も権力もないゴミムシが一丁前にこっちを睨んでるぞ。白夜、どうするんだ?」
その言葉で、白髪がこちらを向く。
「……」
そして白髪は鞘から刀を抜き――
「ごめん……」
――俺の右目に突き刺した。
「ああぁああぁぁあああぁぁぁぁっっっっっ!」
激痛と共に、右半分の視界が暗転する。目の奥が焼けているようだ。
「ふん、まあ良い。おまえにしては上出来だ。止めを刺せないあたり、まだ甘いけどな。さぁ、第四地区へ帰るぞ!」
踵を返す髭面の兵士。その後を追う白髪の姿を、残った左目の視力で辛うじて捉えることができた。
俺と同じくらいの歳、同じくらいの体格。それなのになぜ、こんなにも差が生じているのか。
どうして同じ人間が、殺す側と殺される側に分けられるのか。
どうして俺は殺される側にいるのか。
どうして神は俺とあいつらで差別をしたのか。
どうして。どうして。どうして。どうして。
誰か教えろ。誰か答えろ。この不条理の根源を。
込み上げてくる血を、既に血濡れた地面にぶちまける。赤黒く血塗れた唇を力いっぱい噛みしめる。やはり痛みは感じない。右目の感覚もない。もはや心苦しさすらなくなった。それらの代わりにたった一つ、俺に残された感情。それが俺を蝕んでいくのを感じた。
「こんな世界、クソくらえ」
遠くなる意識の片隅で、俺は血反吐を吐きながら呟いた。
2517年4月14日 東西日本ツギミルア紛争 開戦
同年7月28日 西部第一地区にて両軍交戦
死傷者 12805人
行方不明者 5078人
戦花 ―絶望に咲く一輪― 桜 綺羅々 @gj_kirara
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