第五章 ラベンダーグレイ(後編)

 皮肉なことに、初めて見た戦場は想像よりとても綺麗だった。

 アルトの軍人としての初任務は、衛生兵と共に遺体から絵の具を回収することだった。

 誰かが「戦地は神さまの描いた絵画だ」と言っていたのを聴いたことがある。死人から出た魂の絵の具が、戦闘により踏まれ傷つき漏れ出て地面を虹色に染める様が、まるで神さまが描いた絵画のように壮大だと。戦場は悲惨なのにとても美しいと感じているアルト自身は何とも言えない気持ちになった。

 アルトは黙々と絵の具を拾った。敵味方関係なく絵の具を拾う。絵の具はお金になるのだ。芸術家と名乗る人種が高く買い取ってくれるらしい。

 絵の具に故人の名前は書かれず、色の名前しか表記されていない。誰の魂だったのかは誰にも分からない。アルトは自身が両親の絵の具を見失わずに手に出来たことがとても幸運なことだったと理解している。


「お前は勇敢なのか臆病なのかよく分からない」

 アルトは同い年の兵士であるニケにそう言われたことがある。

「……そうかな。僕は臆病だよ。勇敢なんて思ったことなかった」

 アルトは自分がなぜニケからみて勇敢に見えたのか全く分からなかった。

 アルトは生きてエミリアの元に帰還するのを第一に考えている。勇敢な者は国の為に前線へ赴くことを志願する兵士のことを指す言葉で、後援部隊に居続けようとするアルトは自身を勇敢だと思えなかった。

「そうか? お前は後援部隊が狙われると真っ先に前へ出るじゃないか。敵が目の前にいるのに恐れずに戦うだろう。俺はてっきりこの間の部隊編成で、お前は前線へ志願すると思っていたんだ」

 ニケに言われて、アルトはそう言えばそんなことがあったのを思い出した。

 アルトとニケの所属していた後援部隊が敵の偵察兵と鉢合わせをしてしまい、近距離の銃撃戦になった。その時にアルトは危険を顧みずに前へ行き敵兵を撃ち殺したのだ。

「……たまたまだよ。必死だったんだ」

「でも、俺はあの時一歩も身体が動かなかった。周りの奴らもそうだ。後援部隊は臆病者の集まりだからな。俺は恐かった。お前がいなければ俺らは全滅してた」

 ニケは自嘲するようにアルトを見ずに言葉を紡ぐ。アルトは当時のことはよく覚えていないからどう答えていいか分からなかった。勝手に身体が動いたのだ。

「……まあ、あの時はありがとうな。助かったよ」 

 ニケは照れくさそうにアルトに笑いかけた。ニケはアルトにお礼が言いたかったらしい。

「……こちらこそ、いつもありがとう」

 不安や高揚と緊張感が漂う夜のキャンプ。油断の出来ない張りつめた状況だが、アルトはニケとの間に友情を感じることが出来たことに驚いた。教会に孤児院に入ってから同い年の友達が出来たことが無かったから懐かしい感覚だ。

「俺は戦争が終わったら画家になりたいんだ。家が貧乏だから軍隊に入るしかなかったんだけど、生きて帰ったら絵の勉強をたくさんしたくてさ、だから、気に入った絵の具は何本かくすねているんだ」

 そう言うとニケは靴の隙間から絵の具を数本出した。こんなところに絵の具を隠し持っているなんて、アルトは驚いた。

「誰にも言うなよ、俺たちの秘密だからな」

「絶対に言わないさ! いいな、ニケは画家になるのか」

「アルトは戦争が終わったらどうするんだ?」

 ニケはアルトに夢を尋ねる。アルトはしばらく考え込む。

「……分からない。けれど、僕のことを待っている子がいるから帰りたいんだ」

 アルトは自分の夢なんて久しく考えたことがなかった。ただエミリアの元に帰らなければいけないという使命感がある。

「恋人か?」

 ニケは茶化すことなく真剣に尋ねる。その態度を見て、アルトはニケに全部話すことにした。

「……恋人なのか分からないんだけど、エミリアって言う女の子がいるんだ。教会で初めて会った時に僕の大好きな色を纏ってて、この子を守らなきゃって思って……」

「エミリアちゃんか~。お互い、絶対生きて帰ろうな!」

 ニケはにやにやしながら話を聞いていてアルトは思わず赤面してしまった。

 それから二人は眠りについた。


 アルトは絶対にニケと生きて帰ることを誓った。そしてエミリアにニケを紹介して、ニケに僕らの絵を描いて貰えたら……と考えていたら心が暖かくなっていく。随分と心が冷たくなっていたのが分かった。

 ニケが隠し持っていたラベンダーグレイの絵の具は誰かの魂だったものなのにアルトはそれに対して何も思えなくなっていた。戦場にいればいろいろな感覚が麻痺してくる。エミリアと同様に、アルトも確実に大人になっているのだ。

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エメラルドグリーンの墓標 ナカタサキ @0nakata_saki0

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