第四章 ミスティローズ
蒸気機関車に乗って僕は生まれ育った故郷を離れた。本当は両親と住んでいた土地を離れたくなかったが、無力な子どもには大人の言うことを聞くしかなかった。
「ここにいたら危険なんだ」「戦争が終わったら帰ってくればいい」「君の為に言っている」と先生や村の大人は僕に言った。
僕は湧き出る疑問や思いを全部飲み込んで、「はい」としか言えなかった。
そしてとうとう、孤児院に着いてしまった。神父さまが僕を迎えてくれた。
「ようこそ、アルト。これからここが貴方の家です。長旅で疲れたでしょう、詳しい話は明日にしますので今日はゆっくり休んでくださいね」
「……はい、ありがとうございます」
「ご両親のことは大変でしたね、ここには貴方の新しい家族がいます。安心してくださいね」
悪い人ではないと、直感的に分かった。けれど、両親の話がでた瞬間にこらえていたものが溢れてきてしまった。
「……僕の家族は両親だけです、新しい家族なんて必要ありません」
「アルト」
言ってはいけないと分かっているのに言葉が勝手に口から飛び出していく。
「……どうして僕は生き残ってしまったんですか!? ……僕はなぜあの時に死ねなかったのですか! どうして、どうして……両親は僕を残して死んでしまったのですか……」
戦争はいつ終わるのですか。僕はいつまで家に帰れないのですか。
安全な土地なんて存在するのですか。
本当に僕のことを思ってくれているのならあの村で僕を死なせてください。
目を閉じると死んだ両親と雪に染まった鮮血と絵の具が生々しく思い浮かぶのです。
この怒りと悲しみと孤独さでどうにかなってしまいそうです。
この辛さを抱えてまで、どうして、僕は生きなければならないのですか。
優しい先生や村の大人には言えなかった僕の本音や思いが叫びになる。
神父さまは優しい声色で語りかける。
「……この世界には早く大人にならなければいけない子どもがいて、貴方はそのひとりなのです。私もかつてはそのひとりでした」
神父さまも泣きそうな顔で僕を見ていた。
……なんで、なんで貴方がそんな顔をするのですか。
「アルト、知っていますか? 高貴な魂の持ち主は、死後美しい色の絵の具になるのです」
神父さまは僕にミスティローズの絵の具を見せてくれた。
「私の母は大人しい人でした。ミスティローズのように柔らかな優しい色がとても母らしいと思いました」
僕は父と母の絵の具を取り出し、神父さまに見せた。
「……ミッドナイトブルーにイエロー、とても美しい色ですね。アルトのご両親は高貴な魂を持ち主だったのですね」
「……はい」
父と母はとても優しく、どんな困難も諦めずに前向きに生きていた人だった。
「アルト、ここまでよくひとりで頑張りましたね。これからはここにいる皆がついています。一緒に頑張りましょう」
神父さまの言葉に張りつめていた糸がほどけていく。
「……ひどいことを言ってしまってごめんなさい」
「気にしていませんよ」
そう言うと、神父さまは僕を抱きしめてくれた。お父さんより身体が小さいけど、とても温かかった。生きている人の、温かさだった。
僕は神父さまの腕の中で泣いた。
頭では解っていたつもりだった。先生や村の大人たちは僕を守るために言ってくれたのだと。けれど目まぐるしく変わる環境の変化に心が追い付かないでいたのだ。
それから僕は少しずつだけど、以前の明るさを取り戻していった。
父と母は高貴な魂はきっと僕にも受け継がれているのだと思うと不思議と自信になった。
ミッドナイトブルーとイエローが見守ってくれていると思えば怖いものがなくなった。
だから僕は大丈夫。
いつか絵の具になるまで、父と母の分まで頑張って生きる覚悟を決めた。
〇
アルトが来た日の夜のこと。
神父が自室で仕事をしていると、扉をノックする音がした。
「失礼します」
年老いたシスターが遠慮がちに入ってきた。
「神父さま、アルト君は泣きつかれたのかよく眠っています」
「ありがとうございます、シスター」
シスターは神父を見て、フフフと笑った。
「な、何ですかシスター?」
「いーえ、アルト君を見ていたらここに来た頃の貴方を思い出しましたよ。アルト君は昔の貴方にそっくりですね」
神父がまだ早く大人にならなければいけない子どもだった時にこの教会にきた。その頃に孤児院はまだなく、前神父が母の友人だった為ここに引き取られたのだ。シスターはその頃からここの教会にいる。
「……戦争が続いているせいで国中が疲弊しています。この苦しい時代では、か弱い子どもはすぐ犠牲になってしまいます」
幼い頃の自分を思い出した。食料目的の強盗に襲われた母のことを、神父は一度も忘れたことはない。
「嫌な時代よね……」
「ええ、辛く苦しい時代です。ですが、私たちは負けずに生きなければなりません」
シスターは何も言わずに頷いた。
子どもだけでなく大人も生きづらい、苦しい時代だ。けれど命ある限り懸命に生きなければならない。
世界中の大人にならなければいけない子どもたちに、幸福の雨が降り注ぐよう私は祈った。
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