(9)共謀者たち

 数秒後、貧民街の入り口に立っていたのは、ハゼム一人だった。三人相手に流石に無傷までとはいかなかったが擦り傷程度で済んだのは、力量差というよりも、冷静さを保ったハゼムと数を頼みにしたうえに怒りで我を失った四人組との違いであろう。

 荷背が人殺しをしたと言われるような後顧の憂いを断つためにも峰打ちで済ましたハゼムであったが、その見返りは少ないものだった。四人組の首領格であるダンを問い詰めたものの、散々呻いた彼から聞き出せたのは、私怨もあるが、自分たちが雇われてハゼムを襲ったのだということ。それから、同行している娘には傷ひとつつけるなとジュートから厳命されていたのだということ。それ以上、彼らも関知しないところであったらしい。


「ルーリエについての指示があったということは、ジュート一人の仕業ではあるまい。さてはホルテルも共謀者、――いや、奴こそが首謀者か」


 ジュートもルーリエも見失った以上、残るはホルテル宅しか手掛かりはありそうにない。おそらくはもういないであろうが、何か追いかけるきっかけはつかめるかもしれない。

 そう考え、ハゼムはホルテル宅へ駆けだしかけた。

 だが、そのとき。カツンと音がして、何かをつま先で蹴り飛ばしたのに気が付く。


「ん、これは?」


 腰を落としてみると、蹴ったのはどこか見覚えのある金属の部品だった。もしやと思いあたりを見回すと、右の路地の入口に、似たような金属片が月明かりを反射しているのに気が付いた。

 それを拾って視線を路地の奥へとやると、また更にもう一つ、鈍い光が見えた。

 それらはどれもみな、ハゼムが外套のポケットにしまい込んでおいたガラクタの一部であった


「しめたぞ! さては、ルーリエが機転を利かせたか!」


 ハゼムはルーリエに自身の外套を着せたままだった。ジュートにさらわれ、どこかへ連れていかれる際、とっさにポケットの中からガラクタを一つずつ、道中の目印に落としていったのだ。それに気づき、ハゼムは足を速めた。

 ルーリエの足取りは、やがて倉庫群の中に入り込んだが、手掛かりのおかげでハゼムは迷わなかった。しかし、手掛かりの金属片はある一か所から急に途切れてしまった。

 あたりを見回すも、やはり手掛かりは落ちていない。

 ハゼムが焦りを感じていると、すぐ近くの倉庫の入り口に掲げられた銘板がふと目に留まった。


『第三倉庫群 第5棟 賃貸管理者:クライツ・バンター商会』


 バンター商会。

 その単語に、ハゼムの頭の中で複数の記憶が、たちまち一つに合致して見せた。


「あの最後の声音、それにあの煙草の独特な香り。ただの荷背らしからぬとは思っていたが、ジュートめ、正体はあの若店主だったか」


 そうしていると、後ろからかつかつと複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。

 ハゼムがとっさに物陰に身をひそめると、幾人かの男たちが人目を忍ぶようにあたりを見回しながら倉庫の中へと入っていくのが見えた。その男たちの中に、一同の主人らしき恰幅の良い男と、介助されているホルテルの姿があった


「やはり、ここにルーリエ嬢が」


 ハゼムは一同に続き、慎重に扉の隙間からすっと倉庫の中へと忍び込んだ。

 そして物陰を伝って猫のように移動すると、積み上げられた織物の陰、倉庫の中央部が見通せる地点にまでたどり着いた。

 倉庫の中央、そこには椅子に座ルーリエの姿があった。とはいえ、ルーリエは単におとなしく座っているのではなかった。きっと件の誘拐犯によるものであろうが、後ろ手に拘束されているのがハゼムのいる場所からははっきりと見えた。

 そしてそのジュート、もといクライツ・バンターはといえば、ルーリエのすぐ傍らに立っていた。バンターは身なりほどは荷背の時の装束だったが、ザンバラ髪と髭は作り物だったようだ。既にそれらの変装道具は取り去って、わざと汚くした顔面も拭い、顔ほどは元の商人らしい小綺麗な容貌となっていた。

 一方、その二人と相対する位置に、先ほどのホルテル含む男たちがいた。

 一同の主人格らしき男は、ホルテルをそばまで呼び寄せると、彼に問うた。


「ホルテル卿、卿のご息女というのはそこのお嬢さんかな?」

「いかにもその通りでございます、ハンナビス様」

「『明星』は、確かめたのか」

「ハッ、しかとこの目で。ご不安であれば、ハンナビス様も確認なされますか」

「いや、やめておこう。私はこれでも卿を信用している。何より、わが義父となるお方だ。無用な詮索はやめておこう」

「それは、ありがたいお言葉」


 やはり、とハゼムは思った。ホルテルもこの計画には絡んでいたのだった。しかも聞こえてくるところでは、彼は『明星』を確認したと。確かに言った。彼がそれを確かめる機会など、先ほどの再会の際、ルーリエの頬に触れまじまじとその顔を見つめていたあの時を置いて他に無い。母親の面影が、などと言っていたが、結局のところ、ホルテルが確かめたかったのは『明星』の有無だったのだ。ハゼムの中で、ホルテルの狡猾さと、それを真に受けてしまった自責の念とで、いらだちが募っていった。

 また、新たに分かったこともある。ホルテルがハンナビスと呼んだあの男も、今回の計画に関わっているということだ。今までの経緯から推測するに、ホルテルを復権してくれるという有力者の何者かであることに相違なかった。


「クライツ、君の計画は首尾よく進んだのかね」ハンナビスという男はバンターに訊ねた。

「はい、ハンナビス様、滞りなく進んでおります。例の荷背は、今頃始末が済んでいるかと。やがて知らせが来ましょう」

「そうして、その荷背には誘拐犯の汚名を背負って消えてもらうと。考えたものだな、君も」

「大変恐縮です。――しかし、ただの荷背では駄目でしたでしょう。あのように少し頭のおかしい、はぐれ者でなければ、この件を擦り付けるのに適当ではありませんでした。その点、幸運でございました」

「自称伯爵、か。よくそのような輩がいた者だ。……ふふふ、こんなことでなければ、一目拝んでみたかったところだな、その滑稽な人間の顔を」


 ハゼムは怒りに頬をひくつかせていたが、反面頭の中では一本の筋道を完成させていた。

 つまり、バンターの描いた筋書きとはこういうことだ。

 彼の狙いは、最初からルーリエにあった。彼はホルテルと共謀し、策を練った。しかし、ルーリエはホルテルの実の娘とはいえ、容易に会うこと、ましてや連れ出すことなどできない事情があった。さらに、町の有力者も計画に絡む以上、直接誘拐するなどという強引な策も採れなかった。

 この問題を解決するために、バンターが考えたのが、荷背、しかも街の住人からも白眼視されそうな一風変わった、はぐれ者の荷背を利用するということだったのだ。荷背は迷宮を旅する流れ者であるからして、街の事情には詳しくない。ホルテルが依頼とともに都合の良い街の事情を吹き込めば、荷背の方は疑わずに依頼を遂行してくれる。つまりは、ルーリエを自分たちのところまで連れてきてくれるというわけだ。そして、そこで荷背は始末する。そうしてしまえば、理髪店のルーリエは容疑者たる荷背と共にどこかへ姿をくらまし、復権貴族の令嬢ルーリエが表舞台に立ち現れてくることになる。

 この計画に、最初からルーリエの意思など介在しない。その点こそ、ハゼムがこの計画の最も気に入らない点だった。


「ルーリエ嬢、お初にお目にかかる。私は、シュドルフ・ミロー・ハンナビス。この街の市議会議員の1人です」ハンナビスは一人進み出て、ルーリエの前で跪いた。

「市議会議員の方が何の御用です。平民の私なんかに」

「平民とはご冗談。貴女自身ご存じだったでしょう。ご自分の父親、ホルテル卿が貴族であり、庶子とは言えその血を引く身柄であるということ」

「それが何だというのですか。ハゼムさんを、あの方を利用して私を攫う真似までするなんて」

「彼には悪いことをしました。しかし、彼一人の喪失で救われる人間がここには三人もいるのです」

「どういう意味ですか、それは」


 ルーリエはまるで意味が分からないという顔をした。

 それを見て取って、ハンナビスは立ち上がると、ホルテルを指し示した。


「まずあなたの父、ホルテル卿。全てを失った彼に残されたのはただひとつ、貴女という娘の存在だ。革命で貴族は力を失ったとはいえ、その貴種としての価値は、いまだに健在なのです。なればこそ、貴女をしかるべき有力者のもとへ嫁がせることができれば、ホルテル卿自身は外戚として復権を果たすことができる」

「……復権の話は嘘だったのですか、お父様」

「嘘ではないさ、ルーリエ。君がいてくれればという点を除いては、ね」

「それでは全然話が違います!」


 ホルテルはそれ以上答えず、ハンナビスもルーリエの訴えは無視して、次にバンターを指し示した。


「次に、商人クライツ・バンター。しがない商人であるところの彼は、ひょんなことからホルテル卿の計画を知り、彼の手足となって働きました。彼はホルテル卿という奇貨にかけたのです。そしてそれはもうすぐ成功し、彼はその果実を得る。市議会議員と復権貴族の後ろ盾を持つ商人として、成功への道を約束される」


 ハンナビスは懐から小切手帳に似たものを取り出してひらひらを振った。バンターの視線はそれにくぎ付けになる。ハゼムはおそらくそれが『青金』の特別免許状であると推察した。

 彼は最後に、自分の胸に手をやった。


「そして最後に私、シュドルフです。革命以来の成り上がり者にすぎない私には権威というものがなく、市議といっても議会において弱い穏健的立場を占めているに過ぎない。しかし、貴女を妻として迎え入れることで、革命反動の英雄だったホルテル卿を知る守旧派とのつながりを得ることができ、いわば保守派議員としての箔が付くのです」

「そんなことのために、貴方たちは!」


 ルーリエの頬は、窓から差し込んでくる青白い月光の中でも紅潮し、怒りに唇をわななかせていた。


「お父様! 貴方の本当の望みはこんなことだったのですか?

「許しておくれ、ルーリエ。これがお前にとっても幸せなことなのだ。あんな理髪業で日々暮らしをしていくよりも、上流階級の奥方として暮らすほうがよっぽど幸福なことなのだ」

「それは貴女の勝手な思い込みです。お父様、貴方はご自分の幸せを、私の幸せだとごまかしているだけです!」

「まあまあ、ルーリエ嬢。貴嬢のお父上もお悩みになったうえでの結論なのだ。どうか落ち着いて受け入れてあげてほしい」


 ハンナビスは親切気に取り繕った表情でルーリエをなだめた。

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