(10)伯爵の流儀

「ところで、クライツ。例の荷背の始末はどうなった。知らせはきたのか」

「いえ、少し遅れているようです。始末が付けば、こちらまで知らせに来るように言いつけてはおりますが」


 そんなやり取りが聞こえて、そろそろか、とハゼムは腰を上げた。彼は彼の信条にのっとり、不意を突くこともなく、物陰から堂々と一同の前に姿を現して見せた。


「ジュート、もといクライツ・バンター。残念な知らせである。貴様の雇った四人の番兵どもは、この高貴なる伯爵を打ち倒せずに地に伏した」

「――ハゼムさん!」


 ルーリエの喜びの声と、その他全員の驚きの表情に迎えられたハゼムは、一同の面々を見渡すと、早々に剣を抜いた。つかの間の驚きの後、ハンナビスが連れてきた屈強な男たちが即座に迎撃態勢をとったからである。


「今度は市議殿の警護どもか。面白い、相手になってやろう」


 彼らの得物はハゼムと同じく、長剣だった。

 これには、ハゼムは少し驚く。たしかバンターの言葉で、革命終結以来、武器の携帯は荷背を除いて控えられているのではなかったか。だが、考えてみれば、彼らが守る市議とは街の代表者たちである。その警護であれば例外もまた、許されるのであろう。

警護人たちは、四人が二人一組になって、次々と連携よく襲い掛かってきた。先ほどの四人組と人数は同じといえど、今度は流石に鍛えられている警護人である。ハゼムはじりじりと壁際まで押しこまれた。


「ムッ! しくじった!」

「ハゼムさん!」


 そして、ついには一人から鋭い振り上げを食らい、剣を弾き飛ばされてしまった。

 ルーリエの悲痛な叫び声が上がる。

 剣は一足飛びに拾えそうな位置に落ちたが、警護人たちは素早く包囲を狭め、ハゼムにそれを許さない。ハゼムはやむなく、背中を倉庫の壁につけるまで追いやられることになった。もはや武器を失った丸腰の男に、流石に手練れの警護人たちも、余裕の笑みを浮かべながらにじり寄ってくる。

 多勢に無勢。一方的な展開。

 しかし。

 ハゼムの目は、まだ死んではいなかった。


「貴公らのその油断、それこそが命とりである」


 ハゼムは手を後ろに回した。そして次の瞬間、四人の警護忍耐はほぼ同じタイミングでギャッと叫び声をあげ、顔を手で覆った。その瞬間を見逃すハゼムではなく、彼は一番手近の警護人から剣を奪い、柄頭で四人の急所を次々に打って、彼らの意識を奪った。

 意識を失って倒れた彼らの顔面には、小さな匕首が一本ずつ深々と刺さり、血を噴出させていた。ハゼムが背後に隠し持っていたそれが、形勢逆転の一手となったのである。


「この手は使いたくはなかったが、この際やむなし」


 ハゼムは警護人の剣を放り捨て、落ちていた自らの白柄の剣を拾い上げ、さやに収めた。

 残るは、市議に傷痍軍人、そして商人が一人ずつ。

 剣を使う必要はなさそうだと彼は判断した。

 すると。


「う、動くな、ハゼム!」

「おい、クライツ、何をやっている!」


 バンターの絶叫とハンナビスの怒号に振り向くと、バンターが最後の悪あがきとでもいうように、再びルーリエを羽交い絞めにして、小刀を首元に向けていた。

 一見してみれば、人質の危機である。

 しかし、その手はもう飽きたとでもいうように、ハゼムは静かにバンターのもとへ歩を進めていった。


「動くなと言ったろう。ハゼム! この娘の首が飛ぶぞ」


 だが、そんな安っぽい脅迫など、ハゼムは一笑に付して見せた。


「ルーリエ嬢は貴様にとって大事な大事な商品だろうに、どうして首が切れるものか。貴様も商人の端くれだろうに、それすらわからなくなったと見える。まあ、その小刀の切っ先で血の一筋でも流してみるがいい。市議殿もホルテル卿も見ているのだ、首が飛ぶのは貴様の方だぞ」

「グゥッ!」


 ハンナビスとホルテルの視線を感じ、バンターは呻きたじろいだ。

 その瞬間を見逃さず、ハゼムは一息にバンターとの距離を詰めた。


「ヒッ!」

「退け、下郎」


 ハゼムはバンターの手から小刀を奪い、その切っ先で彼の頬の薄皮一枚を切った。薄皮一枚、とはいえ血が零れ落ち始め、バンターはその血のしずくが足元にこぼれていくのを見て、顔を蒼白にさせた。そしてそのまま、情けなくも失神したのである。

 ハゼムはそのまま、小刀でルーリエの手を後ろで縛っていた綱を断ち切った。


「ありがとうございます、ハゼムさん」

「いや、この計画には我輩も一枚かんでしまっている。礼は不要だ」

「――まったく、貴様のせいで何もかもがぶち壊しだ」


 自由に動けない体を杖だよりに引きずり、近づいてきたのはホルテルだった。その老貴族の表情には静かな怒気と明らかな失望が浮かんでいた。


「ホルテル卿、貴殿の言葉はどうやら偽りだったらしいな。愛したのはこの娘ではなく、かつての権威権力であったのだろう」

「否定はできない。しかし、それは貴様とて同じことであろう。貴様も言ったな、先祖が追われた地を取り戻すために迷宮世界を旅していると」

「我輩は故地ヴィスカシエに帰還するために旅しているに過ぎぬ」

「そんなものは詭弁だ。それが手に届くところにあれば手に入れたくなるものさ」

「たとえそうだとしても、我輩は貴殿がとったような卑怯な真似まではしない」


 ホルテルはそれでもなお、反論しようとした。しかし最早、問答は無用であった。

「ルーリエ嬢、許せ」とハゼムは呟き、近づいて剣の柄頭でホルテルの腹を突いた。

 グッと呻いたきり、ホルテルは気を失った。その体を丁寧にその場に横たえて、ハゼムは最後の相手に目をやった。

 最後に残った男、ハンナビスは自分だけ逃れようと倉庫の戸口までいそいそと向かっていたところであった。


「さて市議殿。最後は貴方だ」


 ハゼムが大音声で呼びかけると、ハンナビスはぎくりとしてハゼムの方を振り返った。彼は半分困ったような、半分泣きそうな笑顔を浮かべていた。

 それを見てハゼムは笑み、言葉を続けた。


「市議殿、一つ提案がある」

「なんだと?」

「市議殿は今しがた、没落貴族を騙る男と一介の商人の共謀に陥れられかけたのだ。『明星』を持つ貴族の娘がいて、その娘をやるから、貴族の地位への復権だの『青金』の取り扱い免許状の発行だの要求されたのだ。貴殿もこの街随一の権威は欲しかろうが、このような危ない橋、渡ろうとすべきではなかったな。だがしかし、そういうことであろう?」

「き、貴様、一体何を言っている」

「貴殿の行動はしかし、すんでのところで良心が思いとどまらせた。それがために二人の共謀者が用意した暴漢どもに襲われかけることになった。貴殿の警護人も必死に応戦したが敗れ、貴殿の命運も風前の灯火となった。と、そういうことであろう?」


 ハゼムは朗々と一人語りを続ける。

 一方のハンナビスはというと、次第にハゼムの言葉の意味がわかってきたようであった。表情は神妙なそれへと変わり、ハゼムの話に静かに耳を傾けていた。ハゼムにとって、それは狙いが半ば当たったに等しい変化だった。


「だが幸いにして、我輩がここを通りかかった。そして暴漢どもを散り散りに追っ払い、油断した共謀者二人を見事に捕らえた、と。今夜の事の次第は、以上のようで相違ない。市議殿、いかがかな?」

「一つ、一つだけ、訊かせてくれ」

「何であろう」

「もし、貴様の提案を飲まなかったら?」

「まず、共謀者は三人に増えような。そして我輩は、夜明けを待ってルーリエ嬢とともに市当局へ赴き、今夜のことの仔細をつまびらかにしようと思うが?」


 ハンナビスは沈黙した。それは短い葛藤であった。倒れているホルテルとバンターを何度か見やった彼は、脱力したような声で短く「その提案、受け入れよう」と答えた。


「フム、ありがたい。だが、まだ話は終わっていないぞ、市議殿」

「なんだ、まだ何かあるのか」ハンナビスは完全に参ったようであった。

「貴殿としても、流れ者の荷背の言葉など信用が置けないであろう。そこで、誓約書代わりに一枚、『青金』の取り扱い免許状をいただきたい。なに、一枚でよいのだ。そこに貴殿の署名付きで、次のように一筆添えていただければなお良いな。十単位ほどの青金を我輩ハゼム・クレイウォルに手配してくださいますように、と」


 ここにいたって、最早両者の立場は一転していた。

 まるで催眠術にでもかかったかのように、ハンナビスはのろのろと懐から免許状の束を取り出した。そこにハゼムが言った通りの内容を手持ちのペンで走り書きし、破り取ってハゼムによこした。

 ハゼムは免許状を改めた。が、ハンナビスの書いた文言は迷宮共通語(エスペル)ではなかったがために、やむなくルーリエを呼んで、彼女に確かめさせた。解放されたルーリエは一種の感激した面持ちで事の推移を見守っていたのだが、この時には少しハゼムを見る目が違っていた。つまりは、結局は利得に目ざとさを見せたハゼムを、少し呆れたような目で見ていたわけである。

 ともかく、鑑定は無事に終わった。


「よろしい。では、下手人は拘束し、吾輩は貴殿を安全なところまで送り届けよう。……警護の者は、まあ、あとから人をやればよいであろう」


 こうしてようやく、その夜の出来事はすべて終わったのであった。

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