世界ディストピア紀行
中谷干
1. 薄暗い国
私がその国を訪れた最初の印象は、「薄暗い」だった。
いや、別に日光が差さないとか、建物や街の照明が暗いとか、そういうことではない。
建物も街も近代的で、整然とクリーン。緻密な日照の計算がされているのだろう、街はどこも穏やかに明るく、緑も多く、ほっとするような暖かさと優しさに満ちている。
この街を訪れた人ならきっと誰もが「明るく美しくいい街だった」と言うだろう。それくらいに街は優しさと明るさに満ちている。
しかしそんな街の表情とは対照的に、人の表情や、活気、そんなところにどこかどんよりとした暗い空気がある。
なんと言ったらいいか、道行く人、お店の人、全ての人がどこか疲れたような、諦めているような、光のない目をしているように感じる。
そんな意味で「薄暗い」と感じたのだ。
まったく不思議な話だ、と思う。
この国は世界でも有数の技術立国であり、一時は世界の富を多く集め、「あの国の連中は未来を生きている」とまで言われた国だ。
誰もが高い水準の教育と暮らしを得られ、それゆえに犯罪発生率は圧倒的に低い。夜でも女性が安心して外出できる国は、この国以外にさほど多くはない。
かつて他の多くの国が手本とし目指した憧れの国。
そんな国に住む人の目に、光がない。
これは一体どういう事なのか――
その答えはもう世界中の誰もが知っている。
小さな技術立国で起きた小さくて大きな問題。
それは、コールドスリープの技術に革新が起きた、その時から始まった。
コールドスリープはかつて、治療の方法がない難病を抱えた患者を未来に送り、未来の技術で治療するための、特別で高価な技術だった。
それを利用できるのは一部の裕福な人間だけ。スリープできる期間もさほど長くはない。
スリープ状態に入ることも、冷凍状態を完全に安全に維持するのも、当時の技術ではコストがかかりすぎたのだ。
それがある時、技術革新によりずっと安価で安定したものになった。
少しお金に余裕があれば手が出せる、誰でも使える、そんなレベルの医療技術になったのだ。
当然それは難病を抱えた数多の人々にとっての吉報となり、たくさんの患者が未来の医療技術に託されることとなった。
だが、時がたつにつれ、次第にその役割は変わっていった。
死期が近づいた老人がコールドスリープで「延命」するのを選ぶ事が、当たり前になったのだ。
医療技術が大きな進歩を遂げたとはいえ、それでもやはり「寿命」というものの限界まではそうやすやすとは突破できない。老衰で肉体の限界を迎えた人間は、どうしたって死ぬしかない。
だがそんな「寿命が尽きた」と呼ぶべき状態であっても、年月を経て医学がさらなる進歩を遂げたなら、さらにより長く健康に生きられるようになる可能性はある。
老衰としか呼びようのない死に至る病気でさえも、すべてあっさり治療できる方法が見つかっているかもしれないのだ。
としたら、死に際にコールドスリープをして、未来の医療に自らの体を託してみたいと思うのも、無理のない話だ。
さらにもしそれが叶わなかったとしても、少なくとも何十年と経った後の、見たこともない世界をこの目で見てから死ぬことができる。
それはなんとも魅惑的なプランで、少しでもお金に余裕のある老人たちは、死期が近づいた時、あるいは健康であってもある程度年を取って十分に生きたと感じた時、コールドスリープで数十年眠る事を選ぶようになった。
医者であろうが家族であろうが、それを止めることはできない。
人には自由があり、生きる権利がある。どんな理由であれ、どんな形であれ、死にたくないという願いを妨げることは、誰にもできないのだ。
それに何か問題があるのかって?
問題はある。おおありだ。
コールドスリープした老人は、死んでいるわけではない。死んでいるわけではないのだから、年金の受給資格がある。
彼らがこぞってコールドスリープできるのは、年金があるからだ。コールドスリープの施設維持費用はスリープ前の契約に基づいて年金から支払われるし、余剰分があれば蓄えられ、利息もつく。それは当然の権利だ。だって死んではいないのだし。
こんな事態が起こることを、年金制度を作った時に一体誰が想像できただろう。
ごく短い間に、平均寿命も人口に占める老人の割合も、これほどまでに急伸する事になるとは。
もちろん、彼らは眠っているだけなので、介護や医療の費用はかからない。社会保障のコストは小さい。それがせめてもの救いといえば救いなのだが、とはいえ一方で何の消費もしないから経済は回らないし、消費税も発生しないしで、経済的にも財政的にもつらい状況だ。
さらにコールドスリープした老人たちは死んだわけではないから、財産が相続されない。
ある程度の財産を親族に生前贈与した上でコールドスリープに入る老人も少しはいるが、多くの老人は「もしかしたら目覚めた後に長く生きられるかもしれない」と思うが故に、財産はそのまま自分のものとして持っていようとする。
若い世代に財産が移らない上に相続税も徴収できないわ、さらには売却も継承もされなかったご老人たちの持ち家が放置され荒廃するわ、区画整理で土地を買い取ろうにもスリープ状態では権利を移す手続きもできないわで、街や道路の整備も十分にできない状況がずっと続いている。
その上悪いことに、なんとコールドスリープした老人たちには選挙権がある。
スリープ前に政党を指定すると、眠っている間の選挙ではその政党に投票したことになるという法律があり、寝ながらにして投票ができるのだ。
投票に行けない人間に選挙権というのも変な話なのだが、「死んでいない以上は基本的人権がある。選挙権もそれに含まれる」と、議席の過半数を占めていた与党がゴリ押しでそんな法律を成立させてしまったものだからどうしようもない。
その党はコールドスリープする老人たちの事を未来永劫大事に扱うことを約束する党で、だからコールドスリープするご老人たちはこぞってその党を支持した。
結果、ずっと国政はその党が過半数を占める……どころか、議席を増やし続けており、未だにその法が廃止される気配もない。
かつて、超高齢化社会だなんだと騒がれていた時代なんて優しいものだ。
今やこの国の人口のほとんどが老人であり、国家財政の歳出のほとんどは社会保障費……というか年金である。
年金がもらえるかもらえないか、なんていう事を不安に感じていた世代なんて生温い。ただ眠るばかりの老人を支えるために税率は恐ろしい数字となり、「公共の福祉」という名をした搾取が当然のものとして蔓延る世界の出来上がりである。
そんな現況を変えようと若者がどれほど訴えたところで意味はない。
国民の大多数を占める、眠る老人たちが支持する政権なんて、民主主義の世界で一体どうやって倒せばいいというのだ。
あとはもう老人たちの眠る施設に爆弾でも落とすしかない……のだけど、さすがにそんな人道に反した虐殺のようなこと、誰にだってできやしない。
それでも本当にフラストレーションが貯まれば、何かの大きなうねりは生まれたりするものなのだけど。
間の悪いことに技術革新が正しく成功してしまったために、生活や子育てにかかるコストは小さく、贅沢をしない最低限の生活なら、普通に働いてさえいれば、そんなトンデモ税率でも成立してしまうのだ。
人々に強い不安や怒りがなければ、この社会を変えねばと革命に燃える人を産むほどの熱量は生まれない。
そうしてこの国は、どこか薄暗い、元気のない、しかし元気がないなりには安定した、低空飛行の状態が続くこととなった。
もちろん、持ち家、車、専業主婦なんて夢のまた夢。
きちんと貯蓄ができる家庭は一握り。
年金保険料なんて納められる状況じゃないので、ほとんどの現役世代は保険料未納だ。年金はもらえない。
年金がもらえなければ、コールドスリープ中の維持費用が支払えないため、誰もコールドスリープはできない。
つまり、コールドスリープした老人を苦労して支えている世代は、誰もコールドスリープできない。まったく皮肉な話だ。
当然、優秀だったり、お金のある家の若者は、国外に移住した。
それでもこの国に残っている若者がそれなりにいるのは、言葉の壁や移住にかかる費用の問題がもちろん一番大きいのだけど、それ以上に国外も国外で、問題のある国が多いからだ。とりあえずこの国なら、贅沢さえしなければ安全な暮らしが得られる。国外だとそんな「安全な暮らし」を得るのも楽ではない。
とはいえそんな、働けど働けど楽にならずじっと手を見てしまうような暮らし。
誰も子供を作る気にはならず、加速度的に少子化も進み。
そんな祖国の状況を憂えた、国外在住の心ある若者達が、コールドスリープする老人を最低限支えられるだけの富を生み出す仕組みを整備して。同時に近隣諸国では好景気による人手不足で、お金を出してでも移住者が欲しいという状況になり、それに応える形でこの国からは人が次々と流出し――
――やがてこの国は、コールドスリープから目覚めた老人と、それを世話するロボットしか存在しない、誠に微笑ましい光景の広がる国になったという。
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