エリートの男

藍山椋丞

第1話

 平日だというのにカフェはひどく混んでいた。

 海外から新規参入してきた、低価格とおしゃれが売りのオープンカフェ。暇を持て余した主婦や流行りに敏感なカップルで満席状態だ。春のうららかな陽気も混雑の一因かもしれない。なんとか席を確保し、飲み物を注文した。

 降りそそぐ陽に目を細め、コーヒーカップに手を伸ばす。

 異変に気づいたのは二口目を飲んだときだった。通路の向こう、一人掛けの席にいる女がじっと、こちらを見つめている。

 自分で言うのもなんだが、私は有名人だ。

 国内最高の学歴を持ち、学生時代に立ち上げた会社は最年少で上場を果たした。テレビや新聞はこぞって天才と持て囃し、ゆくゆくは借金だらけのこの国を救うことになるだろうと報じられた。

 無論、マスコミの戯言を鵜呑みにする私ではないが、褒められるのは気分が良い。先ほどもオーダーを取りにきたウェイトレスがこちらの顔色をうかがうような仕草を見せ、頼んだ品を伝票に記入していた。やはり私はエリートであり、有名人なのだ。口元を緩ませていると、女がゆっくりとやってきた。

 すっぴんなのか死人のように血色が悪い。髪はぼさぼさで艶がなく、入院服のような白い衣装を身にまとっている。足元のサンダルはボロボロで、道端に捨ててあっても誰も拾わないだろう。

 有名になるとよくわからない人間が近づいてくる。突然親戚が増えるというのもその影響だ。しっかり気をつけていないと思わぬ損害をこうむるかもしれない。

 女から視線を外し、ノートパソコンを取り出すため鞄を開けた。投資している製薬会社の株価が気になったのだ。これからの動向を思い描きながら手を突っ込んだ、が目当ての物はなく、それどころか仕事で使うはずの携帯電話や電子手帳、大事な名刺入れまでも消えている。自宅に忘れでもしたのだろうか。がらんどうの鞄を見つめていると、女が滔々と語り始めた。


〝あたしはもうすぐ渡米するの。ハリウッドからオファーがきて女優として華々しくデビューするのよ〟


〝政治家の話もきてるわ。ぜひ立候補してくれって。女性初の総理大臣にも興味があるわね〟


〝この仕事が成功したらフィジーに別荘を買うの。色は白がいいわ。だって、白はこの世で最も美しい色だから〟


 うるさい、すこし静かにしてくれ。呟きながら睨んでやると、女の異様な雰囲気に周りの客がざわつき始めた。

 今日はついてない。明日からヨーロッパへ出張する予定だが、時間が余ったからといってわざわざ混雑するカフェなど入らなければよかった。

 後悔の念を噛み締めながら横を向く。客の一人と目が合うと、そいつは驚いた顔をして私から目をそらした。

 溜息をつき、再度コーヒーカップに手を伸ばした。半分ほどを飲み終えたところで店長らしき人物が近づいてくる。サインでも欲しいのだろうか? なにか言いたそうな顔をしたが、こちらが口を開こうとすると諦めたように肩を落とし、奥に引っ込んでしまった。

 いったいなんなのだ。でも、まあいい。私はエリートだ、小さなことを気にしても仕方ないだろう。仕事の成功を祈ってコーヒーを一息に飲み干した。

 さて、帰ろうか。カップをソーサーに戻し、伝票をつかんで立ち上がった。

 一歩足を踏み出したところで肌寒さを覚え、ふと視線を下げた。

 するといつものブランドスーツではなく、私は女と同じ白い服をまとっていた。足元はサンダル履きで、伸びた親指の爪が黄色く変色している。

 わけがわからず狼狽えていると、

「あなたたち、こんなところにいたのねッ」

 血相を変えて走ってきた看護師が〝私たち〟の腕をつかんだ。          

  〈了〉                                 

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エリートの男 藍山椋丞 @aoyamaryosuke

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