イギョウノミライ

青谷因

ミライノイギョウ

どこかの宇宙のいつかの未来。

その星は間もなく、すべてを停止しようとしていた。

必要最小限のエネルギーで活動していた極小のコンピューター・システムはもはや、それを動かすための蓄えを使い果たそうとしていたのだ。


何故なら、動力を生み出すものたちがいなくなったから。


静かなるカウントダウン。


やがてすべての電源が落ちた。





理想的な未来。

誰もがそう思っていた。

終わりを迎えるまでは。


高度に発展したコンピューターシステムや精密でタフな機械たちの躍進によって、多くの者たちがあらゆる労働から解放された。


コンピューターシステムの完全管理下に置かれながらもまだ、"支配者"の立場であった彼らに唯一残された役割は「(労働使役からの)自由」とシステムたちを動かすための「エネルギーの生産」だった。

その手段も、画期的な方法だった。



極端に言うと、「生きている」、ただそれだけでよかったのだ。

それぞれが持つ多種多様な特性を謳歌するだけでいい。

主には娯楽としてこれまで消費行動とされていたものが、今は高エネルギーを生産する手段ともなり得る。

絵画、文筆、歌唱だったり、踊りだったり。

最小エネルギー産生行動はなんと「呼吸」「思念」である。

生体の発する微弱な電気信号をも利用できるということだった。


エネルギー生産に理論上の個人差はほとんど発生しないため、大きな不平不満が生まれることもなく、格差差別を感じることもほぼなかった。

例えば、よく食べる人は食料をたくさん消費することになるが、「食べる」行動そのものがエネルギーも生み出すために相殺される、といった具合だ。


また、あまり動かない人は、エネルギー生産量も少ないがその分、資源消費も少なくなる。


医学分野も目覚ましい発展を遂げていたため、不治の病で苦しむものはいなくなったし、平均寿命も随分と延びた。健康で長生きまで出来るのだ。


まさに理想的な未来だった。


ところが。


ある時から少しずつ、エネルギー産生が下降を示し始めた。


今考えるとそれは、高度知的生命体が陥る"谷"と言ってもよかった。


コンピューターシステムは直ちに、少ない資源での管理運営に対処するとともに、原因解明に向けてさまざまな方策を講じて下降を食い止めようと躍起になったが。


これほどまでの技術革新を成し遂げたにもかかわらず。

二つの存在の"存在する意義と意味"の違いが、完全一体化することはなかった。

"生体生物"と"無生物"との"埋めることのできない"格差がここで、浮き彫りとなる。


そもそも、生まれた意味が違ったのだ。



そうして、最後の"エネルギー生産生命体"の寿命が尽きる。


他の供給源が全く断たれたわけではなかったが、コンピューターシステムもまた呼応するように、役割の終了へ向けての準備を始めていた。


"目的"のために存在する彼らにとって、目的の消失はそのまま存在の消失を意味するものとなりうる。

再び彼らを再始動させる存在が出現すれば、彼らはその時にまた、存在する意味を得られることができるかもしれない。



また、実質彼らの管理下の元でならば、同じ知的レベルの生命体が再び星を統べる存在までに成長進化することは可能だろう。


しかしながら。


いずれその者たちにも試練の時がやってくるだろう。



かろうじて高度な知能をたまったまま、最後の役割を終えた生命体が発したメッセージが正しく解読されれば。



"試練の谷"を越えられる日が来るだろう。



『おれは、なんのために、うまれてきたのだろう・・・いきる、とは・・・なに、か・・・・・・』


(終)

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イギョウノミライ 青谷因 @chinamu-aotani

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