第六章 ブラッディ・マリ

第36話 奥様は怪物(Monster Wife)

 三人が登った螺旋階段は、二階で途切れていた。

 途切れた先の扉を開けると、まるで廊下のような縦長の広い空間が続いている。


(うっ……なんだここ……)


 そこには一切の明かりが点いておらず、何やら重苦しい雰囲気が漂っていた。

 目を凝らすと、どうやら部屋のようである。その広さにもかかわらず、ベッドやソファーなどのあらゆる家具が壁際に寄せられていて不気味な配置だ。壁には絵画やボスターが飾ってあるが、薄暗くて内容は把握できない。

 暗闇の向こう――部屋の最奥にはまた大きな螺旋が見える。三階へと続く階段だ。


(ここを通らないと先に進めないらしいな)

 紫村が呟き、先陣を切った。

 その部屋に足を踏み込むと、ギイと音が軋む。


(まるで幽霊屋敷ね……)

 アイコも紫村に続いた。

 なぜ三階へ行くために部屋を跨がなければならないのだろうか――整合的だった家の外観に反して中々にアンティークな構造だ。

 

(何が飛び出してくるかわからない。みんな注意しろよ!)

 最後にマルヴォが部屋へと入り、扉を閉めた。

 すると突然、その動作に呼応するかの如く、天井の明かりがスポットライトのように「パッ」と灯された。

「!?」「!?」「!?」



「おはようさん。待っとったで」


 明るみになったその部屋の中央には、レスラー体型の肥えた熟女が、純白のキャミソール姿で立っていた。



「うわああああああああっ!?」

「きゃああああああああっ!!」

「なんだ、このオバチャン!?」


「なんや、失敬やな」

 不機嫌な顔で熟女は言った。

 ライオンのようなパーマヘアーをぼりぼりと搔いている。

「あんたらのせいで目が覚めてしもうたんやで。責任取らなあかんよ?」


 清宗院真理。59歳。

 身長176センチ、体重95キロ、体脂肪率27パーセント。

 こう見えても‶総理大臣の妻〟である。

 しかしそれは、ただの肩書にすぎない。

 特筆すべきは、その前職――


「つべこべ言わんと、はようリングに上がれや。ドブネズミども」


 太い腕を腰に当てがい、真理は言った。

 その足下の床――家具の退けられた部屋の中央には、口紅で描かれた赤いラインが真四角に引かれている。


 真理の前職はプロレスラー。


 リングネームは、‶ブラッディ真理〟。

 一度リングに上がれば必ず流血戦に縺れることからそんな異名が付けられた。

 肝心の戦績のほうはあまり振るわなかったが、その肉食系のバトルスタイルで強敵に立ち向かう姿は、世の「社会と戦う男性」たちから絶大な人気を博し、当時落選つづきで大のプロレスファンでもあった清宗院和正(当時28歳)の心を鷲掴みにした結果、その妻の座を見事に獲得した影の女王である。

 結婚後に引退を発表し、その引退会見では「引退後は政界に進出する」というようなことも言っていたが、旦那の和正が議員に当選して躍進を始めたので、それを陰から献身的に支える妻として奮闘し、現在に至る。今年で結婚30年目を迎える。


「あ、あなたが総理大臣の奥さんなの!?」

 衝撃を受けるアイコ。アイコの中で何かが崩れた。

 嫌煙家の妻ともなれば清楚な淑女を想像していたが、あまりにもイメージとかけ離れている。


「せやで」

 粛清の表情で真理は答えた。キャミソールを「パンッ」と引っ張って扇ぐ。

「なんやあんた、文句かばちがあるんか?」

 現役時代は西日本を中心に活動していた為、その言語にはなまりがあるようだ。

「ずいぶんと華奢な女子おなごよのう。ようそれでウチのダンナを討ち取ろうと思うたもんじゃ。度胸だけは立派やな。褒めたるわ」


「なんなのこのババアッ!」

 アイコは憤慨した。

 相手の言っていることは方言交じりでよくわからなかったが、なんだがとてもむかついた。

(悔しい……)

 ちょっと泣きそうにもなった。


「アイコは下がってろ。この女、今までの奴らとは格が違うみたいだ」

 紫村が一歩前に出た。

 合わせてマルヴォも体制を整える。

清宗院ターゲットまであと一歩、ここにきてとんでもない守護神ガーディアンが現れたもんだ」

「ああ、敵も本気らしいな。俺たちも本腰を入れないとここで全て台無しになる。全力で戦おう」

 二人は、足元に見える口紅のラインの手前に立った。


「ウチの使用人は全員やられたみたいやな。しょうがないけえウチがボスとして相手したるわ」

 真理は、ボキボキと腕を鳴らし始めた。

「ただ警察に通報するんじゃつまらんけぇのう。ちょうどサンドバッグほしかってん。処刑したるわ」


「そんなことしたらお前まで捕まるぞ?」

 怯むことなく紫村が小突いた。


「何をゆうとるんや小僧? ウチがあんたらを始末かたしても誰も文句かばちは垂れへんで。正当防衛ってやつじゃ。力の前に平伏しんしゃい」

 鳴らし続けるその指は、変形しそうな勢いだった。

「つべこべ言わんと、はようリングにあがらんかいっ! クソドブクソネズミどもがっ!」


「…………」


(マルヴォ、リングに上がるのは危険だ……)

 肉弾戦では勝ち目がないと踏んだのか、紫村はゆっくり身体を引いた。


(……ああ。そのようだな)

 マルヴォも紫村の身体にかぶさり、そっとポケットに手を入れた。中で拳銃を握り、相手の隙を窺う。


 しかし真理には、全てがお見通しだった。


「撃ってみいや。どうせオモチャじゃろ?」


「何だと?」


(なぜばれているんだ……)


「ちょっと、あれを見て」

 アイコが奥を指さした。

 部屋の片隅へ目をやると、床の一部がマジックミラーになっている。

 一階したでの一部始終を全て目撃されていたようだ……。


Oh My Goodnessなんてこったい......実弾でないことがばれているのか)

 銃撃をためらうマルヴォ。


「ほれ、撃ってみいや」

 しかし真理は、挑発して大口を開けている。

 銃の中身をまったく恐れていないようだ。


(マルヴォ、よくわからないがチャンスだぞ! 撃ち込め!)


(……どうやらオレの特効睡眠薬スペシャルパウダーの力を舐めているらしいな。いいだろう。この機会に食らわせてやる)

「後悔するなよ!」

 マルヴォは素早く銃を取り出し、その大口に向けて撃ち放った。


 撃ち出されたタマは見事、真理の口内に命中――


「クチャクチャクチャクチャクチャ……カアッー、ペッ」

 真理はそれを味わい、床に吐き散らした。

「なんやこの粉は? とんでもなく不味いのう」


「馬鹿なっ!? 効いていないだと!?」

 拳銃を落とすマルヴォ。


「な、何だこの化け物は!?」

 紫村も激しく退いた。


 驚きの顔を見せる二人に、真理は告げる。

「ウチのダンナに用があるんじゃろ? ウチを倒さんと先には行かれへんで」

 左手で髪をかき上げ、右手の親指で後ろの階段を指している。

「ほれ、かかってこいや」

 鬼の形相だ。



「ぐう…………」

 リングへ上がるのをためらうマルヴォ。

 まるで壁に追い詰められたように、じりじりと身体を開いている。


(アイコ! 下へ戻って武器庫を探せ!)

 その背中で紫村が、小声でアイコに伝えた。


(え? ぶ、武器庫……?)

 戸惑うアイコ。

 話が唐突でよくわからない。ちゃんと説明してください。


(よく思い出せ! さっき庭で秘書に襲われただろ? あの秘書は猟銃ライフルを持っていた……この屋敷のどこかに武器庫のようなものが必ずあるはずだ! 探して何か持ってきてくれ!)

 切羽詰まった目で訴える紫村。

(この女は怪物だ! 兵器がないと倒せない! 俺とマルヴォがなんとかして時間を稼ぐ! だからお前は早く行け! 何か打開策を見つけてくるんだ!)


「わ、わかったわ!」

 思わず口に出して応答するアイコ。

 そのまま急いで振り返り、扉を開けて螺旋階段を駆け下りる――



「なんや、女子おなごが逃げたか。……まあええわ」

 あっさりと見逃す真理。

 しかし二人の男に関しては、そうはいかない。

「あんたらは絶対に逃がさへんで。覚悟しいや、ドブネズミ兄弟」


「上等だ。相手してやるよ」

 ハッタリをかます紫村。


「貴様が床に手を付く姿を見るのが今から楽しみだよ」

 マルヴォも同調し、両腕を構える。


(ここを通る以外に道がないと言うならば、オレたちが必ず貴様を倒す!)


 二人は再び、口紅のラインの前に足を並べた。

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