第35話 決意のお片付け(Maiden Pride)

「ふう……ようやく片付いたな」

「ああ……厳しい戦いだった」


 深夜の激闘の末、三人はついに敵を黙らせた。

 最終的にその部屋に残ったのは、壁際の床に倒れ込む執事と、中央のソファーで寝そべるメイドのエリカ。そして、床に落ちたバターナイフとスマホであった。


「あ、あたしのスマホが……」

 アイコがスマホに近寄った。

 興奮して自分で投げたとは言え、ちょっぴり後悔している。


「アイコ、それに触るなよ。おそらく毒だ」

 紫村がすかさず注意した。

 執事の武器を弾いたことにより、アイコのスマホには致死性の毒が付着している。もう使うことはできない。


「ええ……全てが終わったら、解約の手続きを行うわ」

 アイコは悲しみを受け入れた。戦いに犠牲はつきものだ。

 ケータイなんて、また買えばよし。

「それはいいとして、毒をここに放置しておくのはまずいわ。もしも子供が手に取ったら大変よ」

 

「ああ……。それに、このバターナイフも処理しなくてはな……」

 部屋のドアを見ながらマルヴォが言った。

 付近に子供がいる以上、毒物をこのまま放置しておくわけにはいかない。

「あの子供たちに罪はない。あの子たちは、執事によって異常な教育を施されていた――いわば被害者、保護の対象だ」


「……そうだな。ここはもう戦場だ。今のうちに逃がしておいたほうがいいかもしれない」

 紫村が賛成した。

 計画的にはこの家を燃やすと決めている。子供がいては火を点けることができない。

 

「でも、保護している時間なんてないわ……。あんな小さい子たちが働いているなんて聞いてなかったもん……」

 どうしようもなく目を閉じるアイコ。

 受け取った裏情報には不備がありました。


「毒物のほうを処理するのも厄介だな。捨てるにしても一旦外に出ないと難しいぞ」

 重ねて紫村が口にする。

 なんとか敵を倒せたはいいが、問題は散らかりっぱなしであった。


「あの桐山とか言う執事……死して尚オレたちに課題を与えるとは、どこまでもしぶとい男だな」

 倒れた敵を賞賛し始めるマルヴォ。


「あんな奴を讃えても状況は変わらないぞ! どうする!?」

 一蹴する紫村。目の前の課題と向き合う。


「…………」

「……どうしましょう」


 三人は頭を悩ませた。

 毒物の処理と子供の保護。敵地でそんな問題を抱えるなんて想定外だ。

 答えを出そうとすると、どうしても撤退の二文字が頭を過ってしまう。


「…………」

「…………」

「…………」



 そんな沈黙の中、意外な人物が役を買って出た。



「私がやります」


 その声の主は、ソファーで寝そべっていたエリカだった。

 紫村に睡眠薬を撃ち込まれたにもかかわらず、すっきりと目を覚ましているようだ。


「エリカ!? お前、なぜ起きているんだ!?」


 退きながら紫村が訊いた。

 問われたエリカは、呆れた顔で言葉を返す。


「だってあなた、銃撃つの下手すぎ……」


「……え?」


 不発。

 紫村の撃ったタマは、急所を外れていた。

 粉はエリカの唇にヒットしたものの、その口の中までは侵せていなかったのだ。

 恋人を撃つことへのためらいが、紫村の手と瞼をぶれさせた結果である。


「俺は、弾を外していたのか……」

 自らの失態に気が付く紫村。

 しかしその表情は、どこか安堵を覚えている。


「お前、スナイパーには向いていないようだな」

 マルヴォが肩に手を置いた。

 その言葉は皮肉であったが、「でかした」というような顔をしている。


「エリカ……俺たちに、協力してくれるのか……?」

 恐れながらに紫村は訊いた。

『私がやります』の真意。

 自分たちに手を貸すことは、総理大臣への裏切りと同義である。

 

 エリカは答えを決めていた。

「毒物の処理は出来ないけど、私は私の出来ること――やるべきことをやるわ」


「やるべきこと……?」


「うん」

 紫村が訊くと、明るい顔でエリカは答えた。


「私は一葉かずは二葉ふたばを連れて、この家から逃げる――」


 エリカの決意は固かった。

「それが私の最後のお仕事。この職場とも今日でおさらばよ」

 

 エリカ、職場放棄宣言。

 紫村に撃たれたあと、寝たふりをして一部始終を聞いていたエリカは、化けの皮を剥いだ執事に、前々から募らせていた不信感を爆発させ、同僚と共に逃げ出すことを決意したのである。


「エリカ……」


「でも勘違いしないでね。あなたたちが何をしようとしているのかは分からないし、興味もない。私はこの職場から逃げて、次の職場を探すだけ――ただそれだけの話よ」


「ああ、それでいい。お前は、お前の信じる道を行ってくれ」

 頷きながら紫村は言った。

 結果的に子供を逃がしてくれるのならば、心の閊えは何もない。


「ところで、あの子供たちは一体何なんだ? なぜここで働いている?」

 ここぞとばかりにマルヴォが訊いた。

 先へ進む前に、抱いていた疑問を解消しておきたい。


 ドアを見ながらエリカは答えた。

「あの子たちは身寄りがないの。専属のメイドとして育てるために桐山が引き取ったらしいんだけど、もう見ていられない――」

 そしてまた、新たな決意を口にする。

「これからは責任を持って私が育てる。だから、あなたたちは心配しないで大丈夫よ」


「エ、エリカさん……」

 尊敬の眼差しを向けるアイコ。

 旦那もなく、仕事を捨て、いきなり二児の母親になるなんて、なかなか口にできることじゃない。


「仕事のついでに、次の恋人も探してみるわ」

 エリカは小さなウインクを返した。

 そして、屈託のない笑顔で告げる。

「京平、今までありがとう」



「……エリカ……ありがとう……」

 紫村もゆっくりと笑顔を返した。


「オレからも礼を言わせてくれ」

「あたしもよ」

 二人もすかさず笑顔を添える。



「私と別れてから素敵なお友達が出来たみたいね。これで私も、安心して歩いて行ける――」

 エリカはそう言うと、子供部屋のドアへ足を進めた。

 その表情は、清々しいほど晴れている。



「よし、オレたちは二階へ向かおう」

「ええ」

「そうだな」


 対して三人は、階段のほうへ足を向けた。

 そう。戦いはまだ終わりじゃない。討つべき敵はこの先だ。

 その表情は、次第に曇っていく――

「行こう」


 紫村が一歩を踏み出すと、去り際のエリカが、最後の忠告をする。


「二階には奥様がいらっしゃるわ。今の騒音でおそらく目を覚ましているはず……くれぐれも気を付けて――」


「……ああ。エリカも気を付けろよ――」


 紫村の耳には心なしか、エリカのその声が震えて聴こえた。


 総理大臣の妻・清宗院真理。

 メディアへの露出を控えているのか、その姿を未だ見たことがない。

 そもそも清宗院に妻がいるなんて話は、アイコから裏情報を聞いた時点で初耳だった。

 得体が知れない。


(…………)


 三人は階段の螺旋を登り、二階へ上がった。




《Episode5 "Clean House" Closed.》

(第五章‶潔癖の牙城〟終幕)

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